私たちの労苦が無駄になることはない、と、神は言われます

神は私の苦しみと私の骨折りを
目に留められた。
創世記31:42(独)

 

パウロの手紙)
主に結ばれているならば
自分たちの労苦が
決して無駄にはならないことを、
あなたがたは知っているのです。
Ⅰコリント15:58

 

 Ⅱコリント2:1~10
 マタイ5:27~32(通読箇所)
   (ローズンゲン『日々の聖句』7/15;土)

 

    ―――― α&ω  ――――

 

 聖書が啓示している神、天の神、【主】、
「『わたしはある(I am)』という者」と
名乗られる方(出エジプト3:14)は、
私たちの苦しみと骨折り、労苦に
目を留めていてくださる方、

そのすべてをお心に留め、その労苦にふさわしく、
報いてくださる方なのですね。

 

 

 あまり深く考えない性質の兄エサウ
お腹を空かして狩りから帰って来たのをいいことに、
赤い豆の煮物いっぱいで、長子の権を買い取り、
父イサクが老齢で目が見えなくなっていることをいいことに、
母親のそそのかしもあって、兄エサウに成りすまし、 
祝福(相続権)を奪うという、
自分が蒔いた種で
エサウから命をねらわれ、母リベカの実家、
パダン・アラムの母の兄ラバンのもとに身を寄せたヤコブ

 

そのラバンの下での20年間を、
神は、狡猾なラバンの取り扱いからヤコブを守り、
その労苦に報いてくださったのだそうです。

 

 

私たちは今、イエスを通して現された神の愛に信頼し、
エスを通して来てくださる
【聖である霊】と呼ばれる方によって心に来る
【父である神】の御思いの中におります。
 

エスと同じように、
「自分の思いが成ることではなく、
【父である神】の御思いが実現しますように」と願いながら。

 

それで私たちも、神は私たちの労苦に報いてくださる方、
決して、私たちの労苦を無駄にされる方ではないことを
知っているのですね。

 

 

 パウロは、コリントにいるイ
エスを信頼して生きている人たちに宛てた手紙に
書いています。

 

私は誇らずにはいられません。
誇っても無益ですが、
主イエスの幻と啓示の話しに入りましょう。

 

私はキリストにある一人の人を知っています。
この人は14年前に、第三の天にまで引き上げられました。
肉体のままであったのか、私は知りません。
肉体を離れてであったのか、それも知りません。
神がご存じです。

私はこのような人を知っていま。
彼はパラダイスに引き上げられて、
言い表すこともできない、人間が語ることを許されていない
ことばを聞きました。

 

このような人のことを私は誇ります。
しかし、私自身については、弱さ以外は誇りません。
 

たとえ私が誇りたいと思っても、
愚か者とはならないでしょう。
本当のことを語るからです。

 

しかし、その啓示があまりにもすばらしいために、
私について見ること、私から聞くこと以上に、
だれかが私を過大評価するといけないので、
私は誇ることを差し控えましょう。

その啓示のすばらしさのために高慢にならないように、
私は肉体に一つのとげを与えられました。
それは私が高慢にならないように、
私を打つためのサタンの使いです。
この使いについて、私から去らせてくださるようにと、
私は三度、主に願いました。

しかし主は、「わたしの恵みはあなたに十分である。
私の力は弱さのうちに完全に現れるからである」
と言われました。

ですから私は、キリストの力が私をおおうために、
むしろ大いに喜んで自分の弱さを誇りましょう。
ですから、私は、キリストのゆえに、弱さ、侮辱、苦悩、
迫害、困難を喜んでいます。
というのは、私が弱いときにこそ、
私は強いからです。(Ⅱコリント12: 1~ 10)

 

 

 

 イエスの話しは続きます。

「『姦淫してはならない』と言われていたのを、
あなたがたは聞いています。

しかし、わたしはあなた方に言います。
情欲を抱いて女を見る者はだれでも、
心の中ですでに姦淫を犯したのです。

もし右の目があなたをつまずかせるなら、
えぐり出して捨てなさい。
からだの一部を失っても、
全身がゲヘナに投げ込まれない方がよいのです。
 

もし右の手があなたをつまずかせるなら、
切って捨てなさい。
からだの一部を失っても、
全身がゲヘナに落ちない方がよいのです。

 

また『妻を離縁する者は離縁状を与えよ』
と言われていました。
しかし、わたしはあなたがたに言います。
だれでも、淫(みだ)らな行い以外の理由で
自分の妻を離縁する者は、
妻に姦淫を犯させることになります。
また、離縁された女と結婚すれば、
姦淫を犯すことになるのです。」(マタイ5:27~32)

 

 

 イエスは、「わたしは言います」と、
ご自分を、律法を定める者の側、
神の側に置いて語っておられるのですね。

「昔の人はこう言っています」と教える立場ではなく。

 

また、「自分をつまずかせるから」、
「罪を犯させるから」と切り捨てていったら、
私たちは結局、何も残らなくなるのでしょうね。

そして、心そのものが罪を犯すのですから、
心も切り捨てなければならない。
死ぬしかないのですね。

 

だから、イエスが私たちの身代わりになって
私が受けるはずの死刑を受けてくださったのですね。

そして、【聖である霊】と呼ばれる方によって新しい心、
【父である神】の御思いを置いてくださって。

 

 

 また、私たち、どんな大きな、素晴らしい働きを
したとしても、「高慢」、「高ぶり」がすべてを
台無しにしてしまうのですね。

 

だから神は、素晴らしい経験をした、
あるいは、大きな働きをしているパウロ
「高ぶり」から守るために、
一つのとげを与えられたのでしょうね。
守りの御手として。


神は、私たちの苦しみと骨折り、労苦が、
無駄になることがないように
守っていてくださるのですから。

今日も。

 

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