安らかな憩いの場、平和で安全な家に、私たちを住まわせようと

わたしの民は、
平和な牧地、
安全な家に住むことになる。
ザヤ書32:18

 

こういうわけで、あなたがたは、
もはや他国人でも寄留者でもなく、
聖徒たちと同じ国の民であり、
神の家族なのです。
使徒たちや預言者たちという
土台の上に建てられていて、
キリスト・イエスご自身が
その要の石です。
エフェソ書2:19~20

 

 ヤコブ書2:5~13
 歴代誌下18:1~27(通読箇所)
   (ローズンゲン『日々の聖句』9/16;金)

 

     ―――― ☆  ――――

 

 私たち、かつては、
イスラエルの民から除外され、

約束の契約については他国人で、
この世にあって望みもなく、神もない者でした。

 

しかし、今は、イエス・キリストにあって
神の子ども、家族としていただき、
エスを通して来てくださる
【聖である霊】と呼ばれる方によって
【父である神】に近づくことができるように
していただいています。

 

聖書に記されている
使徒たちや預言者たちを通して語られた
神のことばによって。 

 

 

それで、わたしたちは、平和な牧草地にいる羊のよう。
安らかな家に住む者なのですね。

 

 

 天の神、【主】は、
この世の貧しい者である私たちを選んで、
ご自身との信頼関係に富む者にしてくださり、
神を愛する者に約束された御国を受け継ぐ者と
してくださいました。

 

神が示された律法を自分の努力で守って、
律法のことばどおりの生き方ができるようになって、
神に義と認められようとする生き方では、
私たち、だれ一人、及第点に達することができません。

 

律法全体を守っても、一つの点で過ちを犯すなら、
私たちはすべてについて責任を問われることになります。
「姦淫してはならない」と言われた方は、
「殺してはならない」とも言われました。

 

ですから、
姦淫(情欲をもって異性を見ること)をしなくても
人殺し(ばか者とか愚か者と思う、
他の人の存在を否定する思いを持つこと)をすれば、
私たちは律法の違反者になるのですから。

 

エスを通して来てくださる【聖である霊】と呼ばれる方は、
私たちの心に【父である神】の御思いを置いてくださって、
私たちのうちに【父である神】の御思いがあるように
してくださるのですね。

 

私たちが、イエスと同じように
「私の思いが成ることではなく、
【父である神】の御思いが成るように」と願い、
 

私たち自身である
〔生まれたときからの私〕という霊から出てくる思いは、
エスの十字架刑での処刑に合わせていただいて
死んだものから出て来た思いであるとして、
その思いの一つ一つを神の御前に差し出し、
聞いていただき、見ていただき、知っていただきながら、
 

【聖である霊】と呼ばれる方が心に置いて下さる
【父である神】の御思いで生きる者は、
自由の律法によってさばかれることになる者として、
ふさわしく語り、ふさわしい行いをすることになります。

 

神の国の民、神の子の身分を戴いた者にふさわしく。

今日も。

 

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