暗やみから光の中、神の宝の民へと

あなたは、
あなたの神、主の聖なる民である。
主は地の面のすべての民の中から
あなたを選んで、
ご自分の宝の民とされた。
申命記14:2

 

あなたがたは皆、
光の子、昼の子だからです。
私たちは
夜にも闇にも属していません。
Ⅰテサロニケ5:5

 

 ロマ書9:14~23(24~26)
 マタイ5:21~26(通読箇所)
   (ローズンゲン『日々の聖句』7/14;金)

 

     ―――― α&ω  ――――

 

 聖書が啓示している神、天の神、【主】、

「『わたしはある(I am)』という者」と
名乗られる方(出エジプト3:14)は、
私たちを世界中のすべての民の中から選んで、
ご自分の宝の民としてくださった、というのですね。

 

もちろん、このことばは、直接的には
イスラエルの民に対して言われているものですが、
アブラハムの神への信頼にならう私たちも、
アブラハムの霊的子孫として、
私に言われていることとして、
このことばを受け取っていいのでしょうね。

天の神、【主】は、私たちを選んで、
ご自身の宝の民としてくださった、と。

 

そして、闇の中から連れ出し、光の子、昼の子どもにして、
光に属する者にしてくださっているのですから。 

 

 

 パウロは、
ローマのクリスチャンに宛てた手紙に書いています。

 

アブラハムの子どもたちがみな、
アブラハムの子孫だということではなく、
約束の子どもが子孫と認められる、と。

イサクの子、ヤコブとエソウの場合も、
その子どもたちがまだ生まれもせず、
善も悪も行わないうちに、
選びによる神のご計画が、
(子どもたちの)行いによるのではなく、
召してくださった方によって進められた、と。

 

そしてパウロは続けます。

それでは、どのように言うべきでしょうか。
神に不正があるのでしょうか。
神はモーセに言われました。
「わたしはあわれもうと思う者をあわれみ、
いつくしもうと思うものをいつくしむ。」

ですから、これは人の願いや努力によるのではなく、
あわれんでくださる神によるのです。
神は人を御心のままにあわれみ、
また御心のままに(かたく)なにされる
(頑なになるままにされる)のです。

 

神は、
御怒りを示してご自分の力を示そうと望んでおられた、
滅ぼされるはずの怒りの器を、
豊かな寛容をもって耐え忍ばれました。

栄光のためにあらかじめ備えられた
あわれみの器に対して、
ご自分の豊かな栄光を知らせるために。

 

このあわれみの器として、神は私たちを、
ユダヤ人の中からだけでなく、
異邦人の中からも召してくださったのです。

それは、ホセアの書でも神が言っておられるとおりです。
「わたしは、わたしの民でない者を

わたしの民と呼び、
愛されない者を愛されるものと呼ぶ。

あなたがたはわたしの民ではない、
と言われたその場所で、
彼らは生ける神の子らと呼ばれる」(ロマ9:14~26より)と。

 

 

 イエスは言われます。

「昔の人々に対して、『殺してはならない。
人を殺す者はさばきを受けなければならない』
と言われていたのを、あなたがたは聞いています。

 

しかし、わたしはあなたがたに言います。
兄弟に対して怒る者は、
だれでもさばきを受けなければなりません。
兄弟に『ばか者』と言う者は最高法院(ローマ時代,
ユダヤ人の司法・行政・宗務をつかさどった
ユダヤの最高自治機関)で裁かれます。

『愚か者』と言う者は火の燃えるゲヘナに投げ込まれます。

 

ですから、
祭壇の上にささげ物を献げようとしているときに、
兄弟が自分を恨んでいることを思い出したなら、
ささげ物はそこに、祭壇の前に置き、
行って、まずあなたの兄弟と仲直りをしなさい。
それから戻って、そのささげ物を献げなさい。
 

あなたを訴える人とは、一緒に行く途中で早く和解しなさい。
そうでないと、訴える人はあなたを裁判官に引き渡し、
裁判官は下役に引き渡し、
あなたは牢に投げ込まれることになります。
まことに、あなたに言います。
最後の1コドラント(1デナリ〈労働者の1日分の給料〉の
64分の一の貨幣、日本流にいえば「最後の1円まで」)
を支払うまで、
そこから決して出ることはできません。」(マタイ5:21~26)

 

 

 私たちの人生は、
ちょうど、イエスが言われた、
この訴える人と一緒に裁判官の所へ行っている
途中のようなものなのでしょうね。
最後の審判」と呼ばれている
最終的な神のさばきの法廷に向かって。

 

そして、神のほうで、
エスのいのちをかけて和解を用意し、
和解を受け取るように提案していてくださる。

だから、これを受け取るように、と。

 

さらに、【聖である霊】と呼ばれる方によって
私たちの心に神の御思いを置いて、
私たちが神と思いを一つにして生きられるように
してくださるのですから。

 

だれからも後ろ指をさされることのない、
しみもしわもない、
エスと同じ神の子の栄光に輝く者にしようと。

 

私たちをも、ご自身のあわれみにおいて一方的に選んで、
ご自分の宝の民、光の子としてくださって。

今日も。

 

      ~~~~~~~~~~~~~~ 


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