永遠の戸よ、挙がれ

高く挙げよ、門戸らよ、自らの頭を、
立ち上がれ、太古の門扉よ、
栄光の王がお入りになる。
詩篇24:7

 

自分を受け入れたものは誰でも、
すなわち自分の名を信じる者たちには、
この方は神の子となる力を与えた。
ヨハネ1:12

 

 Ⅰコリント3:9~15
 イザヤ書1:21~31(通読箇所)
    (ローズンゲン日々の聖句11/23水・祝)

 

    ―――― ☆  ――――

 

  エルサレムにある8つの門のうち、
東側、オリーブ山に面した壁にある黄金門。

 

あの過越しの祭りの時、
エスが、軍馬に乗ってではなく、
柔和な王としてろばの子に乗って入城された門。

 

16世紀、
イスラム教徒であるオスマントルコによって閉じられ、
閉じられたまま現在に至っているその門。

 

やがて、イエスが再臨され、
オリーブ山に立たれるとき(ゼカリヤ14:1~5)、
今度は栄光の王として、この門から入場される、
というのですね。
この時、この門は高く挙げられるのでしょうね。

 

 イエスは、
そして、【父である神】によって、イエスを通して
私たちに来てくださる【聖である霊】と呼ばれる方は、
私たちのうちに入りたいと、
私たちの心の扉をノックしておられます。
私たちは、心の扉を開け、栄光の王に入っていただき、
この方によって【父である神】と思いを一つにしながら
生きることができるのだそうです。
「神の子」の身分を与えていただいて。

 

 

 私たちは、自分の理性による善悪の判断を土台として、
その土台の上に人生という家を建てて来ています。

 

しかし、今は、イエスを通して来てくださる
【聖である霊】と呼ばれる方が心に置いてくださる
【父である神】の御思いを土台として、
その上に家を建てていく生き方をすることが出来るように
なっています。

 

そして、私たちがイエスの前に立つ「その日」には、
「自分の理性による善悪の判断」によった生き方は、
火によって、麻屑が燃えるように燃えてしまうのだそうですが、

「神の御思い」によって生きた部分は残って、
その報いを受けることになるのだそうです。(Ⅰコリント3:9~15)

 

 

 さらに、イエスがオリーブ山に立たれ、
栄光の王として黄金門からエルサレム入城される
その前に、
エスは、私たちを迎えに来てくださると
聖書には書かれています。


号令と御使いのかしらの声と神のラッパの響きとともに、
エスご自身が天から下って来られます。
そしてまず、キリストにある死者が
新しい霊のからだによみがえり、
その時生き残っている私たちが、
このからだを、一瞬にして霊のからだに変えられて
彼らと一緒に雲に包まれて引き上げられ、イエスと会い、
たぶん、天のパラダイスで、イエスとともにいることに
なるのだそうです(空中再臨、携挙)。

 

そして、イエスが、オリーブ山に立たれるとき(地上再臨)、
私たちもイエスと一緒に来ることになるというのですね。

 

私たち、その日を待ち望んで、
いつ、婚礼から帰って来るか分からない主人の帰りを
すぐ、迎えられるように
明かりをともして待っている人たちのように(ルカ12:35~38)、
【聖である霊】と呼ばれる方に心のドアを大きく開いて、

【父である神】の御思いが成るようにと。

今日も。

 

       ~~~~~~~~~~~~~~
 

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