私の悩みと労苦を見て、幸いに変えてくださる方

あなたがたに耳を傾ける者は、
わたしに耳を傾け、
あなたがたを拒む者は、
わたしを拒むのである。
ルカ10:16a
      (6/11の週の聖句)

 

私の悩みと労苦を見て、
私のすべての罪を赦してください。
詩篇25:18

 

言っておくが、このように、
一人の罪人が悔い改めるなら、
悔い改める必要のない
99人の正しい人にまさる喜びが
天にある。
ルカ15:7

 

 ロマ書12:9~16

 創世記31:33~54(通読箇所)

   (ローズンゲン『日々の聖句』6/12;月)

 

     ―――― α&ω  ――――

 

 聖書が啓示している神、天の神、【主】、
「『わたしはある(I am)』という者」と
名乗られる方(出エジプト3:14)は、
エスを通して私たちに来てくださる
【聖である霊】と呼ばれる方によって、
ご自身の御思いを私たちの心に置き、
書き記してくださって、
私たちのうちにご自身の御思いがあるようにし、
私たちがこの方と思いを一つにして生きるよう
にしてくださるのですね。
  (エレミヤ31:31~34、エゼキエル36:25~28、ヨハネ17::21~23)
 

それで、イエスがそうであったように(ヨハネ12:49~50)、
この方と思いを一つにし、
この方が語ろうと思われることを語っていく者に
耳を傾ける人に、
神である主は、「わたしに耳を傾ける者だ」

と仰ってくださるのですね。
拒む者には、「わたしを拒む者だ」と。

 

 

 この方は私たちをあわれみ、
私たちの労苦と悩みを見て、
私たちの「的外れ」を赦してくださり、
【聖である霊】と呼ばれる方によって、
「的の当った」者、
ご自身と思いを一つにしながら生きる者に
してくださるのですから。

 

そして、私たちがこの出来事を受け取っていくとき、
天では大きな喜びがあるのだそうですから。

 

 

 この方はわたしたちの心にも、
ご自身の御思いを置いてくださるのですね。

偽りのない、心からの愛を起こし、
悪を憎み、善から離れない心を。

兄弟愛をもって互いに愛し合い、
互いに相手をすぐれた者として尊敬し合う思いを。
勤勉で怠らず、霊に燃え、主イエスに仕えたい思いを。
望みを抱いて喜び、苦難に耐え、
ひたすら神と語り合っていたい思いを。

 

聖徒(神である【主】と思いを一つにして生きるようにしていただいた者)たちの必要をともに満たし、
努めて人をもてなす思いを。

自分たちを迫害する者たちを祝福し、
喜んでいる者たちとともに喜び、
泣いている者たちとともになく思いを。

互いに一つ心になり、思い上がることなく、
むしろ身分の低い人たちと交わる思いを。
 

自分を知恵のある者と思う思いは、
エスの十字架の死に合わせていただいた
死んだ者から出て来た思いであると認めて
エスの御前に投げ捨てて、

だれに対しても悪に悪を返さず、
すべての人が良いと思うことを行うよう、心がける思いを。(ロマ12:9~17) 

 

 

 また、この方、天の神、【主】は、
私たちの人生に計画を持っていてくださり、
その計画のとおりに私たちの人生を運び、
守ってくださる方なのですね。

父イサクの目が見えないことをいいことに、
エサウに成りすまして
エサウが受けるはずだった祝福(相続権)を奪い、
エサウの復讐を逃れて母リベカの実家、
伯父ラバンのもとに逃れて20年、
ラバンの下で働き、そこで得たもの、
4人の妻と11人の息子、また娘、羊や多くの財産を携え、
伯父ラバンのもとを逃げ出したヤコブ
そのヤコブを追って来たラバンに
ヤコブが言っているように。

 

「私にどんな背きがあり、どんな罪があるというのですか。
私をここまで追い詰めるとは。
あなたは私の物を一つ残らず調べて、
何か一つでも、あなたの家の物を見つけましたか。
もしあったなら、それを
私の一族と、あなたの一族の前において、
彼らに私たち二人の間をさばかせましょう。


私があなたと一緒にいた20年間、
あなたの雌羊も雌やぎも流産したことはなく、
また私はあなたの群れの雄羊も食べませんでした。
野獣にかみ裂かれたものは、
あなたのもとに持って行かずに、私が負担しました。

それなのに、あなたは
昼盗まれたものや夜盗まれたものについてまでも、
私に責任を負わせました。
私は昼は暑さに、夜は寒さに悩まされて
眠ることもできませんでした。

私はこの20年間、あなたの家で過ごし、
14年間はあなたの二人の娘たちのために、
6年間はあなたの群れのために、
あなたに仕えてきました。
しかも、あなたは何度も私の報酬を変えました。

もし、私の父祖の神、アブラハムの神、
イサクの恐れる方が私に着いておられなかったなら、
あなたはきっと何も持たせずに私を去らせたことでしょう。
神は私の苦しみとこの手の労苦を顧みられ、
昨夜さばきをなさったのです。」(創世記31:36~42)

 

 

 私たちも、私たちの労苦を見て、
私たちにの「的外れ」の結果を全部赦してくださり、
エスの十字架刑での死によって、
私たちの〔生まれたときからの私〕という霊を
処刑が終わっている者、死んだものと
手続きしてくださっているのですから。


そのうえで、イエスを通してもう一人の方、
【聖である霊】と呼ばれる方を私たちにお遣わしくださり、
この方によって私たちの心にご自身の御思いを置き、
私たちがご自身と一つ思いになって生きるように
してくださるのですから。

 

私たちは、その出来事を受け取っていくのですね。
心に来た、
この方がしようと思われることをしていく者へ、と。
この地上での生涯において。

今日も。

 

      ~~~~~~~~~~~~~~ 


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