イエスが受けてくださった苦しみによって

恐れるな、
地よ、喜び、安らかであれ。
主は
大いなることをなされたからだ。
ヨエル書2:21

 

大勢の弟子たちは自分たちが見た
すべての御業について、
喜んで大声で讃美し始めて、言った。
「祝福されよ、
主の名によって来られる王よ。」
ルカ19:37~38

 

 ヨブ記38:1~11(40:1~5)
 マタイ27:1~14(通読箇所)
   (ローズンゲン『日々の聖句』4/4;火)

 

  ―――― α&ω  ――――

 

 聖書が啓示している神、
天の神、【主】、
「『わたしはある(I am)』という者」と
名乗られる方(出エジプト3:14)は、
私たちのために
大いなることをしてくださっているのですね。

 

だから、この方にあって、楽しみ、喜び、
安らかであるようにと。

 

大勢の弟子たちが、
エルサレムに入城されるイエスに対して、
「祝福されよ、。主の名によって来られる王に」と讃美したように、

 

 

 神である主は、ヨブの叫びに答えて言われました。

「知識もなしに言い分を述べて、
摂理を暗くするこの者はだれか。
さあ、あなたは勇士のように腰に帯を締めよ。
わたしはあなたに尋ねる。わたしに示せ。
 

わたしが地の基を定めたとき、
あなたはどこにいたのか。
分かっているなら、告げて見よ。

あなたは知っているはずだ。
だれがその(地球の)大きさを定め、
だれがその上に測り縄を張ったのかを。
その台座は何の上にはめ込まれたのか。
明けの星々がともに喜び歌い、
神の子たちがみな喜びさけんだときに。
 

海が噴き出て、胎内から流れ出たとき、
だれが戸でこれを閉じ込めたのか。
そのとき、わたしは雲をその衣とし、
暗黒をその産衣(うぶぎ)とした。
わたしは、これを区切って境を定め、
かんぬきと戸を設けて、
言った。『ここまでは来てもよい。
しかし、これ以上はいけない。
おまえの高ぶる波はここでとどまれ』と。(ヨブ38:1~11)

 

主はヨブに答えられた。
「非難する者が全能者と争おうとするのか。
神を責める者は、それに答えよ。」
 

ヨブは【主】に答えた。
「ああ、私は取るに足りない者です。
あなたに何と口答えできるでしょう。
私はただ手を口に当てるばかりです。
一度、私は語りました。もう答えません。
二度、語りました。もう繰り返しません。」(ヨブ40:1~5)

 

 

 このように仰られる方、
天地宇宙の創造者の側におられる【御子である神】が、
人となられ、
人間の裁判にかけられ、
それを黙って受けてくださった、というのですね。

 

マタイの記事は続きます。

さて夜が明けると、
祭司長たちと民の長老たちは全員で、
エスを死刑にするために協議した。

 

そしてイエスを縛って連れ出し、
(ローマの)総督ピラトに引き渡した。

 

そのころ、イエスを売ったユダは
エスが死刑に定められたのを知って後悔し、
銀貨30枚を祭司長たちと長老たちに返して、言った。
「私は無実の人の血を売って罪を犯しました。」

 

しかし、彼らは言った。
「われわれの知ったことか。自分で始末することだ。」

そこで、彼は銀貨を神殿に投げ込んで立ち去った。
そして出て行って首をつった。

 

祭司長たちは銀貨を取って、言った。
「これは血の代価だから、
神殿の金庫に入れることは許されない。」
 

そこで彼らは相談し、
その金で陶器師の畑を買って、
異国人のための墓地にした。
このため、その畑は今日まで血の畑と呼ばれている。

 

そのとき、
預言者エレミヤを通して語られたことが成就した。
「彼らは銀貨30枚を取った。
イスラエルの子らに値積もりされた人の価である。
主が私に命じられたように、
彼らはその金を払って陶器師の畑を買い取った。」

 

さて、イエスは総督の前に立たれた。
総督はイエスに尋ねた。
「あなたはユダヤ人の王なのか。」
エスは言われた。
「あなたがそう言っています。」

 

しかし、祭司長たちや長老たちが訴えている間は、
何もお答えにならなかった。
そのとき、ピラトはイエスに言った。
「あんなにも、
あなたに不利な証言をしているのが聞こえないのか。」

 

それでもイエスは、どのような訴えに対しても
一言もお答えにならなかった。
それで総督は非常に驚いた。(マタイ27:1~14)

 

 

 イエスはこのように、訴えられる罪状について、
ひと言の弁解もされないで、
訴えられるままを黙って受けてくださったのだそうです。
屠り場に引かれて行く羊のように、
毛を刈る者の前で黙っている雌羊のように。(イザヤ53:7)

 

そして、このイエスが打たれた傷によって私たちは癒され、
その流された血によって、
私たちの、神の創造の目的からの「的外れ」が赦され、
私たちが神に立ち返り、
私たちに、もう一人の方、
【聖である霊】と呼ばれる方が来てくださることが
可能となったのですね。

 

この方が私たちの心に【父である神】の御思いを置いて、
私たちのうちに【父である神】の御思いがあるように
してくださって。
 

私たちが
【父である神】の御思いで生きるようになるように、と。

今日も。

 

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