私たちが塵にすぎないことを、覚えておられて

主は私たちの造られた様を知り、
私たちが塵にすぎないことを
覚えておられる。
詩篇103:14

 

私たちは、いつも
エスの死を体にまとっています。
エスの命が
この体に現れるために。
Ⅱコリント4:10

 

 ヨブ記19:21~27
 マタイ26:17~30(通読箇所)
   (ローズンゲン『日々の聖句』3/ 28)

 

   ―――― ☆  ――――

 

 聖書が啓示している神、
天の神、【主】、
「『わたしはある(I am)』という者」と
名乗られる方(出エジプト3:14)は、
私たち人間を造られた方。

この方が、大地のちりで人間を形作り、
その鼻に息を吹き込まれ、
人間を生きる者にされたのですから。

 

この方は、私たちが,塵(ちり)にすぎないことを
覚えておられるのだそうです。
 

それで、【父である神】は、
【御子である神】を、
人間イエスとして人の世にお遣わしになり、
この方に、私たちすべての人間の、
創造の目的からの「的外れ」の責任を負わせて、
神に呪われら者とし、十字架刑で処刑されました。

 

そして、このイエスの死に私たちを合体させて、
私たちの処刑が完了しているものとしてくださっています。
それで私たちは、いつも、
この、イエスの死を身に帯びているのですね。

 

そして、死んで墓に納めら、
三日目、日曜日の早朝、
死人の中から、新しい霊のからだに復活した
エスに合体させていただいて、
からだもイエスの復活にあずかる者とされ、
天の、【父である神】の右の座に帰られたイエスを通して
私たちに来てくださる【聖である霊】と呼ばれる方によって
、【父である神】の御思いを心に置いていただき、
私たちが、私たち自身である〔生まれたときからの私〕という
霊から来る思いによって生きるのではなく、

この、【聖である霊】と呼ばれる方が心に置いてくださる
【父である神】の御思いによって生きる、
新しく創造された私として生きるようにくださるのですから。

 

【父である神】と思いを一つにしておられ、
【父である神】がしようと思われることだけをしておられる
エスのいのちが私たちの身にも現れるように、と。

 

 

 このイエスの出来事を、はるかに望み見て、
ヨブが、苦痛の中にあって言いました。


「ああ今、できることなら、
私のことばが書かれ、
書物に記されればよいのに。
哲の筆と鉛によって、
いつまでも岩に刻みつけられればよいのに。

私は知っている。

私を贖(あがな)う方は生きておられ、
ついには、土のちりの上に立たれることを。
 

私の皮がこのように剥ぎ取られた後に、
私は私の肉から神を見る。
この方を私は自分自身で見る。
私自身の目がこの方を見る。
ほかの者ではない。
私の思いは
胸のうちで絶え入るばかりだ」(ヨブ19:21~27)と。

 

 

1000年くらい後、この、ヨブが言った
「私たちを贖(あがな)う方」、イエスは、
エルサレムに入城され、そして弟子たちに言われました。


「あなたがたも知っているとおり、
二日たつと過越しの祭りになります。
そして、人の子(イエスご自身のこと)は
十字架につけられるために引き渡されます。」

 

そしてイエスが、
ベタニアのシモンの家で食卓についておられたとき、
マリアが、
非常に高価なナルドの香油をイエスの頭に注ぎました。

弟子たちは、「何のために、こんな無駄なことをするのか。
この香油なら高く売れて、
貧しい人たちに施しができたのに」と憤慨したのですが、
エスは、「この人はこの香油をわたしのからだに注いで、
わたしを埋葬する備えをしてくれたのです」と言われました。

 

ユダヤ人の指導者たち、祭司長たちや民の長老たちは、
エスをだまして捕らえ、殺そうと相談していましたが、
「祭りの間はやめておこう。
民の間に騒ぎが起こるといけない」と話し合っていました。

 

エスの12弟子の一人、
イスカリオテ(カリオテ出身)のユダは
祭司長たちのところに行って、
銀貨30枚でイエスを引き渡す約束をし、
群衆のいないとき、イエスを引き渡す
機会を狙(ねら)っていました。


種なしパンの祭りの最初の日に、弟子たちは、
エスが命じられたとおりにエルサレムに入り、
ある家で過越しの食事の用意をしました。

 

夕方になって、イエス
12人と一緒に食卓に着かれました。
皆が食事をしているとき、イエスは言われました。
「まことに、あなたがたに言います。
あなたがたのうちの一人がわたしを裏切ります。」

 

弟子たちはたいへん悲しんで、一人ひとりイエス
「主よ、まさか私ではないでしょう」と言い始めた。

 

エスは答えられた。
「わたしと一緒に手を鉢に浸した者がわたしを裏切ります。
人の子は、自分について書かれているとおりに
去って行きます。

 

しかし、人の子を裏切るその人はわざわいです。
そういう人は、生まれて来なければよかったのです。」

 

すると、イエスを裏切ろうとしていたユダが
「先生、まさか私ではないでしょう」と言った。
エスは彼に「いや、そうだ」と言われた。

 

また、一同が食事をしているとき、
エスはパンを取り、神をほめたたえてこれを裂き、
弟子たちに与えて言われた。
「取って食べなさい。これはわたしのからだです。」

 

また、杯を取り、感謝の祈りをささげた後、
こう言って彼らにお与えになった。
「みな、この杯から飲みなさい。
これは多くの人のために、罪の赦しのために流される、
わたしの契約の血です。

わたしはあなたがたに言います。
今から後、わたしの父の御国で
あなたがたと新しく飲むその日まで、
わたしがぶどうの実からできた物を飲むことは
決してありません。」

そして、彼らは賛美の歌を歌ってから
オリーブ山へ出かけた。(マタイ26:1~30)

 

 最後の晩餐と呼ばれている夜のことを、
12弟子の一人マタイはこのように記しています。

 

エスは、預言されているとおりに
十字架への道を真っ直ぐに歩んで行かれたのですね。

 

 

 【父である神】は、
私たち人間の造られた様を知っておられ、
私たちがちりにすぎないことを覚えておられて、
私たちがご自身に立ち返るようにと、
エスの死によって
私たちを生かそうとしておられるのですから。

 

私たちも、このイエスの死を身に帯び、
エスのいのちに生きていくのですね。
エスを通して来てくださる
【聖である霊】と呼ばれる方によって
【父である神】の御思いを心に置いていただき、
【父である神】と思いを一つにしながら。

今日も。

 

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