イエスは、聖書の、預言されているとおりを実行してくださって

主は、
ご自分の大いなる御名のために、
ご自分の民を
捨て去りはしない。
サムエル記上12:22

 

私たちが真実でなくても、
この方は常に真実でおられる。
この方はには
ご自身を否むことは
できないからである。
Ⅱテモテ2:13

 

 黙示録4:1~3(4、5)

 マタイ26:57~68(通読箇所)

   (ローズンゲン『日々の聖句』 4/1;土)

 

  ―――― α&ω  ――――

 

 聖書が啓示している神、
天の神、【主】、
「『わたしはある(I am)』という者」と
名乗られる方(出エジプト3:14)は、決して、
ご自分の民を捨て去られてしまうことは、しないのですね。

 

この方は、常に真実な方、
ご自身が言われたことを
否定することはない方なのですから。

 

 

 ローマ皇帝の迫害でパトモス島に島流しにされていた
使徒ヨハネに、
神は幻で、天の御国の様子も見せてくださいました。
ヨハネは記しています。

 

また私は見た。
すると見よ、
子羊(十字架刑での処刑を受けられたイエスご自身)が
シオン(エルサレム)の山の上に立っていた。

また、子羊とともに14万4千人の人たちがいて、
その額には子羊の名と、子羊の父の名が記されていた。
 

また、私は天からの声を聞いた。
それは大水のとどろきのようであり、
激しい雷鳴のようでもあった。
しかも、私が聞いたその声は、
竪琴を弾く人たちが竪琴に合わせて歌う声のようであった。

 

彼らは御座の前と、四つの生き物および長老たちの前で、
新しい歌を歌った。
しかし、地上から贖(あがな)われた14万4千人のほかに、
この歌を学ぶことができなかった。
 

この人たちは、
女に触れて汚(けが)れたことがない者たちで、
童貞である。

彼らは、子羊が行くところ、どこにでもついて行く。
彼らは神と子羊に献げられた初穂として、
人々の中から贖い出されたのである。
彼らの口には偽りが見出されなかった。
彼らは傷のない者たちである(黙示録14:1~5)と。

 

 

 マタイによる
エスが十字架へ向かわれる記事は続きます。

 

人々はイエスを捕らえると、
大祭司カヤパのところに連れて行った。
そこには律法学者たち、長老たちが集まっていた。
ペテロは、遠くからイエスの後について、
大祭司の家の中庭まで行った。
そして中に入り、
成り行きを見ようと下役たちと一緒に座った。

 

さて、祭司長たちと最高法院全体は、
エスを死刑にするために
エスに不利な偽証を得ようとした。
多くの偽証人が出て来たが、証拠は得られなかった。
しかし、最後に二人の者が進み出てこう言った。
「この人は、
『わたしは神の神殿を壊して、
それを三日で建て直すことができる』と言いました。」

 

そこで大祭司が立ち上がり、イエスに言った。
「何も答えないのか。
この人たちがおまえに不利な証言をしているのは、
どういうことか。」
しかし、イエスは黙っておられた。

 

そこで大祭司はイエスに言った。
「私は生ける神によっておまえに命じる。
おまえは神の子キリストなのか。答えよ。」

 

エスは彼に言われた
「あなたが言ったとおりです。
しかし、わたしはあなたに言います。
あなたがたは今から後に、
人の子が(イエスご自身)が力ある方の右の座に着き、
そして天の雲とともに来るのを見ることになります。」

 

すると、大祭司は自分の衣を裂いて言った。
「この男は神を冒涜した。
なぜこれ以上、証人が必要か。
なんと、あなたがたは今、
神を冒涜することばを聞いたのだ。
どう思うか。」

すると彼らは「彼は死に値する」と答えた。

 

それから彼らはイエスの顔に唾をかけ、拳(こぶし)で殴った。
また、ある者たちはイエスを平手で打って、
「当ててみろ。
おまえを打ったのはだれだ」と言った。(マタイ26:57~68)

 

 

 このようにしてイエスは、
ユダヤ最高法院の裁判で、
自分を「神の子キリストだ」と言ったことで、
また、「今から後に、
わたしは力ある方、天の神の右の座に着き、
やがて、天の雲とともに来る、再臨する」と言ったことで
神を冒涜したとして、
死刑に当たると評決されたのですね。

 

 

 神である【主】は、
ご自分の民を捨て去ることなく、
これを救うために、
【御子である神】ご自身が人間イエスとなられて、
人の世に来られ、このような裁判を黙って受けられ、
私たちすべての人の身代わりとなり、
神に呪われた者となって、
十字架への道を歩まれました。

 

イスラエルの歴史を通し、
多くの預言者を通して預言していたことばを
変更することなく、そのことばのとおりに実行されて。

 


 さらに、約束のことばのとおりに、
この【父である神】の右の座に帰られたイエスを通して、
もう一人の方、
【聖である霊】と呼ばれる方が私たちに来られ、
私たち一人ひとりに関する【父である神】の御思いを
それぞれの心に置いてくださり、
私たちひとり一人が自由意思で、自発的に、
自分から進んで、
【父である神】と思いを一つにして生きるように
してくださるのですね。

神がしようと思われることをしていく私たちに。

今日も。

 

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