あなたとともにいて、守り、連れ帰る、と言われた言葉のとおりにしてくださって

(主のヤコブへの言葉)

見よ。わたしはあなたとともにいて、
あなたがどこへ行ってもあなたを守り、
あなたをこの地に連れ帰る。
創世記28:15

 

あなたがたを召された方は
真実ですから、
そのようにしてくださいます。
Ⅰテサロニケ5:24

 

 ヤコブ書4:1~10
 ロマ書6:1~11(通読箇所)
   (ローズンゲン『日々の聖句』3/2;木)

 

   ―――― ☆  ――――

 

 一杯の豆の煮物で、兄エサウから長子の権を買い取り、
年をとり、目が見えない父イサクをだまして
エサウが受けるはずだった祝福(相続権)を
奪ったヤコブ

兄の怒りを避けて、
母の実家への逃避行の途中で野宿をしているとき、
天の神、【主】はヤコブに現れ、
このように約束してくださいました。

 

また、使徒パウロは書き送っています。

あなたがたを召された方は真実ですから、
そのように、約束の言葉のとおりにしてくださいます、と。

 

 

エスの弟のヤコブは書いています。

あなたがたの間の戦いや争いは、
どこから出てくるのでしょうか。
ここから、すなわち、あなたがたのからだの中で戦う
欲望から出て来るのではありませんか。

あなたがたは、欲しても自分のものにならないと、
人殺しをします。
熱望しても手に入れることができないと、
争ったり戦ったりします。

自分のものにならないのは、
あなたがたが求めないからです。
求めても得られないのは、自分の快楽のために使おうと、
悪い動機で求めるからです。

 

節操のない者たち。
世を愛することは
神に敵対することだと分からないのですか。
世の友となりたいと思う者はだれでも、
自分を神の敵としているのです。

それとも、聖書は意味もなく語っていると思いますか。
「神は、私たちのうちに住まわせた御霊を、
ねたむほどに慕っておられる。
神は、さらに豊かな恵みを与えてくださる」と。

それで、こう言われています。
「神は高ぶる者に敵対し、
へりくだった者には恵みを与える。」

 

ですから、神に従い、悪魔に対抗しなさい。
そうすれば、悪魔はあなたがたから逃げ去ります。
神に近づきなさい。
そうすれば、神はあなたがたに近づいてくださいます。

罪人たち、手をきよめなさい。
二心の者たち、心を清めなさい。
嘆きなさい。悲しみなさい。泣きなさい。
あなたがたの笑いを悲しみに、喜びを憂いに変えなさい。
主の御前にへりくだりなさい。
そうすれば、主があなたがたを
高く上げてくださいます。(ヤコブ4:1~10)

 

 

パウロは書き送っています。

それでは、どのように言うべきでしょうか。
恵みが増し加わるために、
私たちは罪にとどまるべきでしょうか。
決してそんなことはありません。
罪に対して死んだ私たちが、
どうしてなおも罪のうちに生きていられるでしょうか。

それとも、あなたがたは知らないのですか。
キリスト・イエスにつくバプテスマを受けた私たちはみな、
その死にあずかるバプテスマ
受けたのではありませんか。

私たちは、キリストの死にあずかるバプテスマによって
キリストとともに葬られたのです。
それは、ちょうどキリストが御父の栄光によって
死者の中からよみがえられたように、
私たちも、新しいいのちに歩むためです。
 

私たちがキリストの死と同じようになって、
キリストと一つになっているなら、
キリストの復活とも同じようになるからです。

 

私たちは知っています。
私たちの古い人が
キリストとともに十字架につけられたのは、
罪のからだが滅ぼされて、
私たちがもはや罪の奴隷でなくなるためです。
死んだ者は罪から解放されているのです。
 

私たちがキリストとともに死んだのなら、
キリストとともに生きるにもなる、と私たちは信じています。
 

私たちは知っています。
キリストは死者の中からよみがえって、
もはや死ぬことはありません。
死はもはやキリストを支配しないのです。

なぜなら、キリストが死なれたのは、
ただ一度罪に対して死なれたのであり、
キリストが生きておられるのは、
神に対して生きておられるのだからです。

同じように、あなたがたもキリスト・イエスにあって、
自分の罪に対して死んだ者であり、
神に対して生きている者だと、認めなさい。(ロマ6:1~11) 

 

 

 神は真実な方。
おことばのとおりに私たちを扱ってくださるのですね。
 

私たち、二心、心が割れている者です。
神は言われます。
心を清く、単一、一つ思いになりなさい、と。
 

嘆く時には嘆くだけ、悲しいむ時には悲しむだけ、
泣く時には泣くだけに。
そうすれば、神が私たちを本当に笑う者に、
喜ぶ者にしてくださる、というのですから。

 

私たち、神の創造の目的、
「さあ、人をわれわれのかたちとして、

われわれに似姿に造ろう」(創世記1:26)
われわれが愛において、自由意思で、自発的に、
思いを一つにしている、そのように、

われわれと思いを一つにしていく者を、との願いで
造られていながら、
「神の一人のようになり、
善悪を知る者」となって(創世記3:22)、
神に対立、対抗している、「的外れ」になっている
〔生まれたときからの私〕という霊を、
【父である神】は、
エスの十字架刑での死に合体させてくださって、
死んだ者としてくださるのですから。

 

そのうえで、死人の中から新しい霊のからだに復活し、
天の【父である神】の右の座に復帰されたイエスによって、
もう一人の助け主、【聖である霊】と呼ばれる方が
私たちに来てくださって、
私たちの心に【父である神】の御思いを置き、
書き記してくださって、
私たちが【父である神】と一つ思いになって生きるように
していてくださるのですから。
約束のとおりに。

今日も。

 

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