心にある思いが、行動となって現れるのですから

私の口を毎日
あなたへの称賛と賛美で
満たしてください。
詩71:8

心に満ちていることを
口が話すのです。
マタイ12:34

 ヨハネ6:16~21
 エフェソ書2:1~10(通読箇所)
   (ローズンゲン『日々の聖句』2/12;土)

    ―――― ☆  ――――

 心にあること、
心に満ちていることが口から出てくるのですね。

だから、口から毎日、神への称賛と賛美が出てくるように、とは、
心に、神への称賛と賛美が満ちるように、
ということなのでしょうね。

 

 

 イエスガリラヤ湖の向こう岸に行かれたとき、
大勢の群衆がイエスを追いかけて来たのですね。
エスはこの群衆を
空腹のまま帰らせるのはかわいそうに思い、
人々を草の上に座らせ、
ちょうど、少年が持っていた大麦のパン五つと二匹の魚を取り、
感謝の祈りをささげてからそれを裂き、人々に配らせました。

男だけで、およそ、5千人いた人々は、
それを食べて満腹したので、イエスは弟子たちに
余ったパン切れを集めさせると
12のかごがいっぱいになりました。

それで、人々は
「まことにこの方こそ、世に来られるはずの預言者だ」と言って、
エスを王にしようとしました。

それでイエスは、再び山に退かれ、
夕方になったとき、弟子たちだけで湖畔におり、
船に乗り込み、カぺナウムを目差しました。

あたりは暗くなり、強風が吹いて湖は荒れ始めた。
そして、4~5㎞ほど漕ぎだしたとき、
エスが湖の上を歩いて舟に近づいて来られました。
弟子たちはそれを見て、「あれは幽霊だ」と言っておびえ、
恐ろしさのあまり叫び声を上げました。
しかし、イエスは言われました。
「わたしだ。恐れることはない」(ヨハネ6:1~20)と。

この時も、弟子たちの心のうちに恐怖が満ちて、
叫び声をあげることになったのでしょうね。
 

 

 使徒パウロは書き送っています。
「あなたがた(律法を持たない異邦人)は
自分のそむきと罪(的外れ)の中に死んでいた者であり、
かつては、それらの罪の中にあってこの世の流れに従い、
空中の権威を持つ支配者、
すなわち、不従順の子らの中に今も働いている霊に従って
歩んでいました。

私たち(律法を持っている者)もみな、
不従順の子らの中にあって、
かつては自分の欲のままに生き、
肉(「生まれたときからの私」)と心の望むことを行い、
ほかの人たちと同じように、
生まれながら御怒りを受けるべき子らでした。

しかし、あわれみ豊かな神は、
私たちを愛してくださったその大きな愛のゆえに、
そむきの中に死んでいた私たちを、
キリストとともに生かしてくださいました。
あなたがたが救われたのは恵みによるのです。

神はまた、キリスト・イエスにあって、
私たちをともによみがえらせ、
ともに天上に座らせてくださいました。

それは、キリスト・イエスにあって
私たちに与えられた慈愛によって、
この限りなく豊かな恵みを、来るべき世々に示すためでした。

この恵みのゆえに、
あなたがたは信仰によって救われたのです。
それはあなたがたから出たことではなく、神の賜物です。
(自分の)行いによるのではありません。
だれも誇ることがないためです。

実に、私たちは神の作品であって、
良い行い(【聖である霊】と呼ばれる方により心に来た、
神の御思いを行う行い)をするために
キリスト・イエスにあって造られたのです。
神は、私たちが良い行いに歩むように、その良い行いを
あらかじめ備えてくださいました。」(エペソ2:1~10)

 


 私たち人間は、心に満ちたことによって行動していく
霊的な存在なのですね。
道徳や教育で、悪い思いを、
ある程度、抑え込んだりはしていますが。


それで神は、この人間の歴史の中で、
一人の人、アブラハムを選び、その子孫を
空の星、海辺の浜の砂の数のように多くし、
モーセを通してこの民と契約を結び、
ご自身の思いをことばで、文字として示し、
自分の努力で、ご自身と
思いを一つにして歩むことができるかどうか実験をされました。


しかし、モーセ以後、1500年ほどの、
神の民、イスラエルの歴史において実証されたことは、
人は、自分の努力で神と思いを一つにして生きることはできない、

という事実でした。(ロマ3:9~18)


そして、そのことが明らかになった時点で、
いよいよ神は天地が造られる前から持っておられた計画を
実行に移されました。

 

その計画とは、【御子である神】を、
人間イエスとして、人の世に送り、
この方を、すべての人間の身代わりとし、
神に呪われた者として十字架刑で処刑する、というものでした。

すべての人を、このイエスの十字架刑での処刑に合体させて、
「神の一人のようになろうとし、
善悪の判断を神に相談することなく、
自分の理性の判断だけで決めていく者になって、
神の創造の目的から「的外れ」になっている
私たちの〔生まれたときからの霊〕を
処刑が終わったもの、死んだものと手続きしてくださって。


そのうえで、死んで墓に納められたイエスを、
三日目、日曜日の早朝、新しい霊のからだに復活させ、
40日にわたって何度も弟子たちに現れさせ、
神の国のことを語らせ、
死んだイエスが確かに生きていることを見せたのち、オ
リーブ山で弟子たちが見守る中、上げられ、
天の、【父である神】の右の座に復帰させられました。

そして、このイエスを通してもう一人の方、
【聖である霊】と呼ばれる方を私たち人間におつかわしになり、
この方によって御自身の御思いを
私たちの心に置き、書き記して、
私たちのうちにご自身の思いがあるようにし、
受け入れる者がご自身と思いを一つにして生きるように
してくださっているのだそうです。
((エレミヤ31:31~34、エゼキエル36:25~28、ヨハネ17::21~23)

それで、私たち、
【聖である霊】と呼ばれる方によって
【父である神】の御思いに心満たされ、
心にあるその【父である神】の御思いを行っていくように
していただけるのだそうです。

だから、【御霊みたま】を受けなさい。(ヨハネ20:21~22)
御霊みたまに満たされ続けなさい】(エペソ5:18)と。

この方によって心に来る
【父である神】の御思いで生きるように、と。

今日も。

 

 

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