どこででも、絶え間のない、この方との交わり、語らいの中で

神よ、
神殿にあって私たちは、

あなたの慈しみを思い描きます。詩48:10

 

ペトロとヨハネが、
祈りの時間に神殿に上って行った。
使徒3:1

 

 使徒15:4~12
 使徒17:1~15(通読箇所)
   (ローズンゲン『日々の聖句』7/8;木)

 

    ―――― ☆  ――—―

 
 旧い契約の時代、
人々は神殿に行って神を礼拝し、
神のいつくしみ、恵みに思いを寄せていたのですね。

 

新しい契約にあっては、
エスが受けてくださった十字架刑での処刑により、
私たちの〔生まれたときからの私〕という霊が
処刑が終わっているもの、死んだものとしていただき、

 

死んで墓に納められたイエス
新しい霊のからだに復活され、
天の父である神の右の座に復帰され、

 

そのイエスを通して
【聖である霊】と呼ばれる方が私たちに来られ、
私たちの心に【父である神】の御思いを置いてくださって、
私たちの心に【父である神】の御思いがあるようになり、
 

受け入れる者が
この【聖である霊】と呼ばれる方によって心に来た
【父である神】の御思いで生きるようにしていただいている今は((エレミヤ31:31~34、エゼキエル36:25~28、ヨハネ17::21~23)、

 

私たちは、「この山(サマリヤのゲリジム山)でもなく、
エルサレムでもない所で父を礼拝する」(ヨハネ4:21)のですね。

 

いつでもどこでも、
【聖である神】が臨まれるすべての所で。

 

 けれども、日曜日には、
エスの復活を記念して、みんなで教会堂に集まり
礼拝し、喜び合うときをもっていますが。

 

神がなさった出来事を報告し、分かち合い、
主イエスの恵みを喜び合いながら。(使徒15:4~12)

 

 イエスこそ、苦しみを受け、
死者の中からよみがえられたキリストであることを確認し、
 

心に来た思いが、
このイエスを通して来てくださる
【聖である霊】と呼ばれる方が心に置かれた
【父である神】の御思いであるかどうかを、
聖書によって吟味し、確認しながら。
べレアの人たちのように。(使徒17:1~15)


私たちも、いつでも、どこでも、それぞれの場所で
神のいつくしみを思い描き、
この方との親しい語らい、交わりのなかへと。

今日も。

 

 

~~~~~~~~

(聖書のことばへの疑問やご意見、
近くの教会を知りたい等の方、

また、婚活で広く出会いを求めたい

教会に行っていないけれど、
葬儀をキリスト教でしたい、等の方、
お問い合わせは、
shkhknsyg4@yahoo.co.jpへどうぞ。)

 

〈クリスチャンの結婚相談所

 <b>Lita</b>&nbsp;marriage service&nbsp;

〈復活社 http://www.sougi8849.jp/index.html 〉

〈(株)プレス・ ユア・ ホーム https://christ-sougi.com/ 所属〉)

〈日本仲人協会 https://www.omiaink.com/ 認定〉

 

 

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 聖書・聖句へ
にほんブログ村

 

[にほんブログ村 哲学・思想ブログ キリスト教へ]

 

[https://blog.with2.net/link/?1470390人気ブログランキング]