新しい契約の生き方を生き生きと。見捨てることなく

主よ、
あなたは大いなる憐れみにより、
あなたの民に終わりをもたらさず、
またお見捨てになりませんでした。

    ネヘミヤ記9:31(独) 

 

(イエスの言葉)
わたしは生きている。
だからあなたがたもまた生きる。

    ヨハネ14:19(独)

 

 ヨハネ21:1~9
 ロマ2:17~21(通読箇所)
    (ローズンゲン『日々の聖句』4/13:木)

 

      ―――― α&ω  ――――

 

 聖書が啓示している神、
天の神、【主】、
「『わたしはある(I am)』という者」と
名乗られる方(出エジプト3:14)は、あわれみ深い方。

私たちの「的外れ」を打たれることがありますが、
滅ぼし尽くすことはせず、
見捨てることもしない方なのですね。

 

そして、この方、イエスが死んで生きられたことによって、
私たちも生きさせてくださるのですから。

 

 

 ヨハネの記事は続きます。

その後、イエスはティベリア湖畔で、
再び弟子たちにご自分を現された。

現された次第はこうであった。
シモン・ペテロ、デドモと呼ばれるトマス、
ガリラヤのカナ出身のナタナエル、ゼベダイの子たち、
そして、ほかに二人の弟子が同じところにいた。
 

シモン・ペテロが彼らに「私は漁に行く」と言った。
すると、彼らは、「私たちも一緒に行く」と言った。
彼らは出て行って、小舟に乗り込んだが、
その夜は何も捕れなかった。

 

夜が明け始めていたころ、イエスは岸辺に立たれた。
けれども弟子たちには、
エスであることが分からなかった。

 

エスは彼らに言われた。
「子どもたちよ、食べる魚がいませんね。」
彼らは答えた。「ありません。」
エスは、彼らに言われた。
「舟の右側に網を打ちなさい。そうすれば捕れます」。
そこで、彼らは網を打った。
すると、おびただしい数の魚のために、
もはや彼らには網を引き揚げることができなかった。

 

それで、イエスが愛されたあの弟子が、
ペテロに「主だ」と言った。

シモン・ぺテロが「主だ」と聞くと、
裸に近かったので上着をまとい、湖に飛び込ん。

一方、ほかの弟子たちは、
魚の入った網を引いて小舟で戻っていった。
陸地から遠くなく、
200ペキス(約900m)ほどの距離だったからである。

 

こうして彼らが陸地に上がると、
そこには炭火がおこされていて、その上には魚があり、
またパンがあるのが見えた。
エスは彼らに、
「今捕った魚を何匹か持って来なさい」と言われた。
シモン・ペテロは舟に乗って、網を陸地に引き上げた。
網は153匹の大きな魚でいっぱいであった。
それほど多かったのに、網は破れていなかった。

 

エスは彼らに言われた。「さあ、朝の食事をしなさい。」
弟子たちは、主であることを知っていたので、だれも
「あなたはどなたですか」とあえて尋ねはしなかった。

 

エスは来てパンを取り、彼らにお与えになった。
また、魚も同じようにされた。
エスが死人の中からよみがえって、
弟子たちにご自分を現されたのは、
これですでに三度目である。」(ヨハネ21:1~14)  

 

         

 このように、イエスが死んで、いなくなって、
失望落胆し、悲しんでいた弟子たちを、
エスは、新しい霊のからだに復活し、生きていて、
弟子たちも生きるようにしてくださったのですね。

 

40日にわたって何度も弟子たちに現れ、
神の国のことを語り、
自分が確かに生きていることを見せたイエスは、
オリーブ山で弟子たちが見守る中、上げられ、
天の、父である神】の右の座に帰られました。

 

「エルサエムから離れないで、
わたしから聞いた父の約束を待ちなさい。
あなたがたは間もなく、
聖霊によるバプテスマを授けられるからです」と言い残して。

 

そしてその10日後のペンテコステ(五旬節、
シナイ山で律法が与えられ、契約が結ばれた記念日)に、
約束どおり、
【聖である霊】と呼ばれる方が弟子たちに来て、
弟子たちは
この方が心に置かれるままに語り出したのですから。

 

新しい契約、
この方によって心に来た
【父である神】の御思いで生きるように、との
新しい契約が始まって。

 

 

 それで、パウロ
この新しい契約で生きる生き方について書き送っています。

 

だれに対しても悪に悪を返さず、
すべての人が良いと思うことを行うよう、
心がける思いが私たちの心に来るようになる、と。

自分に関することについては、できる限り、
すべての人と平和を保とうと思う思いも。

 

自分で復讐しようとする、自分のうちから出て来る思いは、
エスの十字架刑での死に合わせていただいた
死んだ者から出て来た思いであると認めて、
エスに差し出し、受け取ってもらいながら、
【聖である霊】と呼ばれる方が
私たちの心に置いてくださる、
自分で復讐しないで、神の怒りにゆだね、
「復讐はわたしのもの。わたしが復讐する」と言われる神に
おまかせしようと思う思いが来て、
「もしあなたの敵が飢えているなら食べさせ、
渇いているなら飲ませよ。
なぜなら、こうしてあなたは彼の頭上に
燃える炭火を積むことになるからだ」と仰る方の御思いが
私のうちにも来て、
善をもって悪に打ち勝ちながら。(ロマ12:17~21)

今日も。

 

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