天使を、御子イエスを、そして、聖霊なる神を遣わしてくださって

主は私を遣わされた。
主が恵みをお与えになる年、
私たちの神が報復される日を
告知するために。
イザヤ書61:1、2

 

天使はマリアに言った。
「マリア、恐れることはない。
あなたは
神から恵みをいただいたのだ。」
ルカ1:30

 

 黙示録12:7~12
 創世記21:8~21
 ヘブル書9:16~28(通読箇所)
   (ローズンゲン『日々の聖句』9/29;水)

 

     ―――― ☆  ――—―


 【父である神】は、【御子である神】を人間イエスとして
人の世に遣わされたのだそうです。

 

【神】の恵みの年、
ご自身が報復される日を告げ知らせるために。

 

 

また、天使長の一人カブリエルを
ナザレの貧しい一処女マリアに遣わされて
告げられたのですね。
「見なさい。あなたは身ごもって男の子を産みます。
その名をイエスとつけなさい。
その子は大いなる者となり、
いと高き方の子と呼ばれます。
また神である主は、彼に
その父ダビデの王位をお与えになります。
彼はとこしえにヤコブイスラエル)の家を治め、
その支配は終わることがありません」と。

 

 

 黙示録12章7~12節には、次のように書かれています。
「さて、天に戦いが起こって、
ミカエルとその御使いたちは竜(サタン)と戦った。
竜とその使い(悪霊)たちも戦ったが、勝つことができず、
天にはもはや彼らのいる場所がなくなった。

こうして、その大きな竜、すなわち、古いへび
悪魔とかサタンと呼ばれている者、全世界を惑わす者が
地に投げ落とされた。

 

私は、大きな声が天でこう言うのを聞いた。
『今や、私たちの神の救いと力と王国と、
神のキリストの権威が現れた。
 

私たちの兄弟たちの告発者、
昼も夜も私たちの神の御前で訴える者が、
投げ落とされたからである。

兄弟たちは、子羊(イエスのこと)の血と、
自分たちの証しのことばのゆえに竜に打ち勝った。
彼らは死に至るまでも自分のいのちを惜しまなかった。
それゆえ、天とそこに住む者たちよ、喜べ。

しかし、地と海はわざわいだ。
悪魔が自分の時の短いのを知って激しく怒り、
おまえたちのところへ下ったからだ。』」

 


 創世記21章8~21節には、アブラハム側女そばめハガルとその子イシュマエルに御使いが現れたことが記されています。


アブラハムが100歳のとき、
子どもが生まれなかった妻サラとの間に
男の子、イサクが生まれました。

 

アブラハムはイサクが乳離れした日に、盛大な宴会を催した。
サラは、エジプトの女ハガルがアブラハムに産んだ子が、
イサクをからかっているのを見た。
それで、アブラハムに言った。
「この女奴隷とその子を追い出してください。
この女奴隷の子は、
私の子イサクとともに跡取りなるべきではないのですから。」

このことで、アブラハムは非常に苦しんだ。
それが自分の子に関わることだったからである。
神はアブラハムに仰せられた。
「その少年とあなたの女奴隷のことで苦しんではならない。
サラがあなたに言うことはみな、言うとおりに聞き入れなさい。

というのは、
イサクによって、あなたの子孫が起こされるからだ。
しかし、あの女奴隷の子も、わたしは一つの国民とする。
彼も、あなたの子孫なのだから。」

翌朝早く、アブラハムは、
パンと、水の革袋と取ってハガルに与え、
彼女の肩に担がせ、その子とともに彼女を送り出した。
それで彼女は行って、ベエルシェバの荒野をさまよった。
革袋の水が尽きると、
彼女はその子を一本のかんぼくの下に放り出し、
自分は、弓で届くくらい離れた向こうへ行って座った。
「あの子が死ぬのを見たくない」と思ったからである。

彼女は向こうへ座り、声をあげて泣いた。
神は少年の声を聞かれ、
神の使いは天からハガルを呼んで言った。
「ハガルよ、どうしたのか。恐れてはいけない。
神が、あそこにいる少年の声を聞かれたからだ。
立って、あの少年を起こし、あなたの腕でしっかり抱きなさい。
わたしは、あの子を大いなる国民とする。」
 

神がハガルの目を開かれたので、彼女は井戸を見つけた。
それで、行って革袋に水を満たし、少年飲ませた。
神が少年とともにおられたので、彼は成長し、
荒野に住んで、弓を射る者となった。
彼はパランの荒野に住んだ。
彼の母は、エジプトの地から彼のために妻を迎えた。

 


 このイシュマエルからアラブ人が出たのですね。
だから、イスラエル人とアラブ人の確執はこの時から始まり、
現在まで約4000年続いていると言えるのでしょうね。

 


 そして今から2000年ほど前、
【父である神】は、【御子である神】を
人間イエスとして人の世に遣わされました。
エスは、私たちの罪、「的外れ」を取り除くために
ご自分をいけにえとして献げてくださいました。

 

人間には、一度死ぬことと
死後にさばきを受けることが定まっているように、
エスは、多くの人の罪、「的外れ」の責任を
ご自分に負うために、一度、ご自分を献げ、
二度目には、罪を負うためではなく、
ご自分を待ち望んでいる人々の救いのために
現れてくださるのだそうです。(ヘブル9:26~28)

 


 このように、神は、私たちに、
御使いを遣わして、これからしようと思われることを
告げられることもあるのでしょうが、
今は、イエスによって、
そして、イエスが私たちに遣わしてくださる
【聖である霊】と呼ばれる方、【聖霊なる神】によって
御思いを告げてくださるのですね。
私たちの心に御思いを置き、書き記して。

今日も。

 

 

~~~~~~~~

(聖書のことばへの疑問やご意見、
近くの教会を知りたい等の方、

また、婚活で広く出会いを求めたい

教会に行っていないけれど、
葬儀をキリスト教でしたい、等の方、
お問い合わせは、
shkhknsyg4@yahoo.co.jpへどうぞ。)

 

〈日本仲人協会 https://www.omiaink.com/ 認定〉

〈クリスチャンの結婚相談所

 <b>Lita</b>&nbsp;marriage service&nbsp;

〈復活社 http://www.sougi8849.jp/index.html 〉

〈(株)プレス・ ユア・ ホーム https://christ-sougi.com/ 所属〉)

 

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 聖書・聖句へ
にほんブログ村

 

[にほんブログ村 哲学・思想ブログ キリスト教へ]

 

[https://blog.with2.net/link/?1470390人気ブログランキング]