二度目からは、力ある方として来られるのだそうですから。この方

主の道を備えよ。
見よ、主なる神は
力を帯びて来られる。
イザヤ書40:3、10

        (12/17の週の聖句)

 

神は時と時期を変え、
王を退け、王を立てます。
ダニエル書2:21

 

主は

権力のある者をその座から引き降ろし、

低い者を高く上げる。ルカ1:52

 

 Ⅱコリント1:18~22

 イザヤ書49:1~6(通読箇所)

    (ローズンゲン日々の聖句12/18;月) 

 

   ―――― α&ω  ――――

 

 聖書を通しご自身を啓示している神、
天の 神、【主】、
「『わたしはある(I am)』という者」と
名乗られる方(出エジプト3:14)は、力ある方。

 

国の支配者を立てるのも退けるのも
この方がなさることなのだそうです。

そのようにして、時代の区分も変えられて。

 

この方が来られるというのですね。

力を帯びて。

 

 かつて、2000年ほど前に来られた時には、
イザヤ書にも書かれているとおりに、貧しく、弱く、
だれの目にもとまらぬような姿だったのですが。

 

「私たちの聞いたことを、だれが信じたか。
主の御腕は、だれに現れたのか。
彼は主の前に若枝のように芽ばえ、
砂漠の地から出る根のように育った。
彼には、私たちが見とれるような姿もなく、輝きもなく、
私たちが慕うような見ばえもない。


彼はさげすまれ、人々からのけ者にされ、
悲しみの人で病を知っていた。
人が顔をそむけるほどさげすまれ、
私たちも彼を尊ばなかった。
 

まことに、彼は私たちの病を負い、
私たちの痛みをになった。
だが、私たちは思った。
彼は罰せられ、神に打たれ、苦しめられたのだと。


しかし、彼は、私たちのそむきの罪のために刺し通され、
私たちの咎((とが)のために砕かれた。
彼への懲らしめが私たちに平安をもたらし、
彼の打ち傷によって、私たちはいやされた。


私たちはみな、羊のようにさまよい、
おのおの、自分かってな道に向かって行った。
しかし、主は、私たちのすべての咎を彼に負わせた。


彼は痛めつけられた。
彼は苦しんだが、口を開かない。
ほふり場に引かれていく羊のように、
毛を刈る者の前で黙っている雌羊のように、
彼は口を開かない。
しいたげと、さばきによって、彼は取り去られた。
彼の時代の者で、だれが思ったことだろう。
彼がわたしの民のそむきの罪のために打たれ、
生ける者の地から絶たれたことを。
 

彼の墓は悪者どもとともに設けられ、
彼は富む者とともに葬られた。
彼は暴虐を行わず、その口に欺きはなかったが。


しかし、彼を砕いて、痛めることは主のみこころであった。
もし彼が、
自分のいのちを罪過のためのいけにえとするなら、
彼は末長く、子孫を見ることができ、
主のみこころは彼によって成し遂げられる。
 

彼は、
自分のいのちの激しい苦しみのあとを見て、満足する。
わたしの正しいしもべは、その知識によって
多くの人を義とし、彼らの咎(とが)を彼がになう。
      (イザヤ書53:1~11)

 

 2000年ほど前は、このようでした。

しかし、今度、二度目来られるときは、
天使のかしらの声と神のラッパの響きのうちに
天から降って来られるのだそうですから。

力ある方として。

 

 

 パウロは言います。

「神の真実にかけて言いますが、
あなたがたに対する私たちのことばは、
「はい」であると同時に「いいえ」である、
と言うようなものではありません。
私たち、すなわち、私とシルワノとテモテが、
あなたがたの間で宣べ伝えた神の子イエス・キリストは、
「はい(そうです)」と同時に
「いいえ(違います)」であるような方ではありません。
この方においては「はい(そうです)」だけがあるのです。

神の約束はことごとく、この方において
「はい(そうです)」となりました。
それで私たちは、この方によって
「アーメン(そうです)」と言い、神に栄光を帰するのです。

 

私たちをあなたがたと一緒にキリストのうちに堅く保ち、
私たちに油を注がれた方は神です。
神はまた、私たちに証印を押し、
保証として御霊(みたま)を私たちの心に
与えてくださいました。」(Ⅱコリント1:18~22)

 

 

 パウロが言うように、神が言われたことは
エスによって「そのとおり」になっているのですね。

 

この方は、さらにイザヤを通して言われています。

島々よ、私に聞け。

遠い国々の民よ、耳を傾けよ。

【主】は、生まれる前から私を召し、

母の胎内にいたときから私の名を呼ばれた。

主は私に口を鋭い剣のようにし、

御手の陰に私をかくまい、

私を研ぎ澄まされた矢とし、

主の矢筒の中に私を隠された。

 

そして私に言われた。

「あなたはわたしのしもべ。
イスラエルよ。

わたしはあなたのうちに、わたしの栄光を現す。

 

しかし私は言った。

「私は無駄な骨折りをして、

いたずらに空しく自分の力を使い果たした。

それでも、私の正しい訴えは【主】とともにあり、

私の報いは私の神とともにある。」

 

今、【主】は言われる。

ヤコブをご自分のもとに帰らせ、

イスラエルをご自分のもとに集めるために、

母の胎内で私を

ご自分のしもべとして形造った方が言われる。

 

私は【主】の御目に重んじられ、

私の神は私の力となられた。

 

主は言われる。

「あなたがわたしのしもべであるのは、

ヤコブの諸部族を立たせ、

イスラエルのうちの残されている者たちを

帰らせるという、小さなことのためだけではない。

わたしはあなたを国々の光とし、

地の果てにまでわたしの救いを

もたらす者とする。」(イザヤ49:1~6)

 

 

 ナチスドイツが国家権力をもって消滅させようとした
この民族の残りの民を、
鷲の翼に乗せて約束の地に連れ帰ることを小さいこととし、

エスによって実現した救いを、地の果てにまでもたらす、
と言われるのですから。

 

 

 十字架刑での処刑を受け、
処刑場の近くにあった
アリマタヤのヨセフが
自分のために掘ってあった墓に納められ、
三日目、日曜日の早朝、
新しい霊のからだに復活し、
天の、【父である神】の右の座に着いておられる
エスを通して来てくださる
【聖である霊】と呼ばれる方によって
【父である神】の御思いを心に置いていただき、
【父である神】と思いを合わせて生きていく生き方が
地の果てにまで広められて。

今日も。

 

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