朽ちることのない、栄光の神の恵みの中で

あなたがたは恵みにより、
信仰(信頼)を通して救われたのです。
それは、
あなたがたの力によるのではなく、
神の賜物です。
エフェソ書2:8(7/9の週の聖句)

 

来たれ。
ひれ伏し、膝をかがめよう。
私たちを造られた方、主の御前に
ひざまずこう。
詩篇95:6

 

どうか、世々の王、
すなわち、朽ちることなく、
目に見えない唯一の神に、
誉れと栄光が
世々限りなくありますように。
Ⅰテモテ1:17

 

 エレミヤ書20:7~11
 マタイ4:18~22(通読箇所)
   (ローズンゲン日々の聖句7/10;月)

 

     ―――― α&ω  ――――

 

 救い、
私たちが、「神の一人のようになり、
善悪を知る」者になっている、
自分自身である〔生まれたときからの私〕
という霊から出て来る思いで生きる生き方から、
一つ一つのことを、神である【主】に
報告、連絡、相談しながら、
神である【主】と思いを一つにしながら生きる生き方に
立ち返ることができたのは、
私たち自身の力によるのではなく、
神の側で一方的に完成してくださって、
プレゼントとして与えてくださった恵みによるのですね。

 

だから私たち、互いに呼びかけあって、
この方の御前にひざまずき、ひれ伏して、
この方に「誉れと栄光がとこしえにありますように」
と礼拝するのですね。

 

 

  紀元前600年頃のエルサレムでのこと。
イスラエル王国は、
すでにアッシリア帝国によって捕囚にされ、
残った南ユダ王国も、
今、バビロン軍によって攻められていました。

 

エルサレムの人たちは、
「ここには神の神殿があるから、
絶対に滅ぼされることはない」
と戦意をかき立てていました。

 

一人、エレミヤだけが、神からの命令を受けて
違うことを人々に伝えていました、
「ユダの王たちとエルサレムの住民よ。
【主】のことばを聞け。
イスラエルの神、万軍の【主】はこう言われる。
 

見よ、わたしはこの場所にわざわいをもたらす。
だれでもそのことを聞く者は、両耳が鳴る。
彼らがわたしを捨てて、
この場所を見知らぬ所としたからである。
 

彼らはこの場所で、彼らも彼らの先祖も、
ユダの王たちも知らなかったほかの神々に犠牲を供え、
この場所をとがなき者たちの血で満たし、

バアルのために
自分の子どもたちを全焼のささげ物として火で焼くために、
バアルの高き所を築いた。

このようなことは、わたしが命じたこともなく、
語ったこともなく、思いつきもしなかった。

 

わたしは、包囲と、
彼らの敵、いのちを狙う者がもたらす窮乏のために、
彼らに自分の息子の肉、娘の肉を食べさせる。
彼らは互いに、その友の肉を食べ合う。

 

見よ。わたしはこの都とすべての町に、
わたしが告げたすべてのわざわいをもたらす。
彼らがうなじを固くする者となって、
わたしのことばに
聞き従わなかったからである」(エレミヤ19:3~9、15)と。

 

また、バビロンに降伏し、捕囚となって
バビロンに仕え、生きるように」と。

 

それでエレミヤは、足かせにつながれたり、
投獄されたりするわけですが、
次は、そのエレミヤのことばです。

 

「【主】よ。あなたが私を惑わしたので、
私はあなたに惑わされました。
あなたは私をつかみ、思いのままにされました。
私は一日中笑いものとなり、
皆が私をあざけります。

 

私は、語るたびに大声を出して

『暴虐だ。暴行だ』と叫ばなければなりません。
【主】のことばが、一日中、
私への嘲りのもととなり、笑いぐさとなるのです。
 

私が、「主のことばを宣べ伝えない。
もう御名みなによっては語らない」と思っても、
主のことばが私のうちで、
骨の中に閉じ込められて、
燃えさかる火のようになり、
私は内にしまっておくのに耐えられません。
もうできません。 

 

私が、多くの人のささやきを聞いたからです。
『「恐怖が取り囲んでいる」と告げよ。
われわれも彼に告げたいのだ』と。
 

私の親しい者もみな、
私がつまずくのを待ちかまえています。
『たぶん彼は惑わされるから、
われわれは彼に勝って、
復讐できるだろう』と。
 

しかし、【主】は私とともにいて、
荒々しい勇士のようです。
ですから、私を迫害する者たちはつまずき、
勝つことはできません。
彼らは成功しないので、大いに恥をかき、
忘れられることのない
永久の恥となります」(エレミヤ20:7~11)と。

 

 

 イエスは言われました。
「まことに、あなたがたに言います。
天地が消え去るまで、
律法の一点一画も決して消え去ることはありません。
すべてが実現します。
 

ですから、これらの戒めの最も小さいものを一つでも破り、
また破るように人々に教える者は、
天の御国で最も小さい者と呼ばれます。

 

しかし、それを行い、また行うように教える者は
天の御国で偉大な者と呼ばれます。

 

わたしはあなたがたに言います。
あなたがたの義が、
律法学者やパリサイ人の義にまさっていなければ、
あなたがたは決して天の御国に入れません。

 

昔の人々に対して、
『殺してはならない。
人を殺す者はさばきを受けなければならない』
と言われていたのを、あなたがたは聞いています。

 

しかし、わたしはあなたがたに言います。
兄弟に対して怒る者は、
だれでもさばきを受けなければなりません。
兄弟に『ばか者』と言う者は最高法院
(ローマ時代,ユダヤ人の司法・行政・宗務をつかさどった
最高自治機関)で裁かれます。
『愚か者』と言う者は
火の燃えるゲヘナに投げ込まれます」(マタイ4:18~22)と。

 

 

 イエスは、私たちの身代わりとなって、
神に呪われた者として、
十字架刑での死刑を受けてくださり、
ご自身の死によって、
神の創造の目的から「的外れ」になっている私たちの霊、
〔生まれたときからの私〕という霊を、
死刑が終わっているもの、死んだものとしてくださり、
律法の要求を満たしてくださいました。

 

そして、死んで、墓に納められたイエスは、
三日目、日曜日の早朝、
死人の中から新しい霊のからだに復活し、
40日にわたって何度も弟子たちに現れ、
神の国のことを語り、
ご自分が確かに生きていることを弟子たちに見せたのち、
オリーブ山で弟子たちが見守る中、上げられ、
天の、【父である神】の右の座に帰られました。

 

そして、その10日後のペンテコステ
(五旬節、モーセを通しての律法授与の記念日)に、
約束の、【聖である霊】と呼ばれる方を
弟子たちにお遣わしくださり、
弟子たちは、
この方が心に置いてくださる
【父である神】の御思いのとおりに行動するように
なりました。

 

自分の力で神の律法を守って、
神の前に義と認められようとする人とは違った質の、
心のほうから
【父である神】の御思いのように生きたいと願って。
 

だから、エレミヤのように迫害されても、
なお、神に望みを置き、期待しながら、
この方に感謝と賛美をささげながら生きるのですね。
喜びの中で。

今日も。

 

      ~~~~~~~~~~~~~~ 


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