夜回りが夜明けを待ち望むように、主を待ち望んで

私の魂は主を待ち望みます。
夜回りが
朝を待ち望むのにまさって。
詩篇130:6(独)

 

愛の内に自分自身を保ち、
永遠のいのちに導く、
私たちの主イエス・キリスト
あわれみを待ち望みなさい。
ユダ書21

 

 ヨハネ10:1~10

 ロマ書16:1~16(通読箇所)
   (ローズンゲン日々の聖句4/24;月)

 

      ―――― α&ω  ――――

 

 神である【主】を待ち望むのですね。私たち。

イエス・キリストのあわれみを。

 

エスは言われました。

まことに、まことに、あなたがたに言います。
羊飼いたちの囲いに、門から入らず、
ほかのところを乗り越えて来る者は、
盗人であり強盗です。
 

しかし、門から入るのは羊たちの牧者です。
門番は牧者のために門を開き、
羊たちはその声を聞き分けます。
牧者は自分の羊たちを、
それぞれの名を呼んで連れ出します。

 

羊たちをみな外に出すと、牧者はその先頭に立って行き、
羊たちはついて行きます。
彼の声を知っているからです。

 

しかし、ほかの人には決してついて行かず、
逃げて行きます。
ほかの人たちの声は知らないからです。」

 

「まことに、まことに、あなたがたに言います。
わたしは羊の門です。
わたしの前に来た者はみな、盗人であり強盗です。
羊たちは彼らの言うことを聞きませんでした。

 

わたしは門です。
だれでも、私を通って入るなら救われます。
また出たり入ったりして、牧草を見つけます。

盗人が来るのは、盗んだり、殺したり、
滅ぼしたりするためにほかなりません。
わたしが来たのは、羊たちが命を得るため、
それも豊かに得るためです。(ヨハネ10:1~5、7~10)

 

 

 私たちも、この方、
私たちにいのちを豊かに得させようと、
人となって来てくださった方を待ち望むのですね。
期待をもって。

 

 

 この方、すべての人間の、
神の創造の目的からの「的外れ」の責任を負っての
十字架刑での死、
三日目の死人の中からの、
新しい霊のからだへの復活を経て、
天の、【父である神】の右の座に復帰されたイエス

 

そのイエスを通して来てくださる【
聖である霊】と呼ばれる方。

この方は、私たちの心に
【父である神】の御思いを置いてくださって、
私たちにうちに【父である神】の御思いがあるようにし、
私たちが、御子イエスと同じように、
愛において、自由意思で、自分から進んで、
【父である神】と思いを一つにして生きていくように
してくださるのですから。

 

私たちも、この方のみわざの実現を待ち望んで。
羊が、自分の羊飼いのあとについて行くように。

今日も。

 

       ~~~~~~~~~~~~~~ 


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