〔生まれたときからの私〕をイエスの中に脱ぎ捨て、新しい人を着て

立ち帰れ、
お前たちの悪しき道から。
どうしてお前たちは
死んでよいだろうか。
エゼキエル書33:11

 

私たちを、
悪からお救いください。
マタイ6:13

 コロサイ書3:(5~7)8~11
 ロマ書3:27~31 (通読箇所)
   (ローズンゲン日々の聖句2/23;木・祝)

 

   ―――― ☆  ――――

 

 聖書が啓示している神、
天の神、【主】、
「『わたしはある(I am)』という者」と
名乗られる方(出エジプト3:14)は言われます。
 

「わたしは決して悪しき者の死を喜ばない。
悪しき者がその道から立ち返り、生きることを喜ぶ。
立ち帰れ、お前たちの悪しき道から。
どうしてお前たちは死んでよいだろうか。
なぜ、あなたは死のうとするのか」と。

 

それで、イエスは言われたのですね。
「私たちを悪からお救いください」と神に願え、と。

 

 使徒パウロは書き送っています。

ですから、地にあるからだの部分、
すなわち、淫(みだ)らな行い、汚(けが)れ、情欲、悪い欲、
そして貪欲を殺してしまいなさい。
貪欲は偶像礼拝です。
これらのために、
神の怒りが不従順の子らの上に下ります。

 

あなたがたも以前は、そのようなものの中に生き、
そのような歩みをしていました。
しかし今は、これらすべてを、
すなわち、怒り、憤り、悪意、ののしり、
あなたがたの口から出る恥ずべきことばを捨てなさい。
互いに偽りを言ってはいけません。

あなたがたは古い人をその行いと一緒に脱ぎ捨てて、
新しい人を着たのです。
新しい人は、それを造られた方のかたちにしたがって
新しくされ続け、真の知識に至ります。

そこには、ギリシャ人もユダヤ人もなく、
割礼のある者もない者も、未開の人も、
スキタイ人(ロシア南部に住んでいた人々。
最も未開な人々と考えられていた)も
、奴隷も自由人もありません。
キリストがすべてであり、
すべてのうちにおられるのです(コロサイ3:5~11)と。

 

 

 また、使徒パウロは書き送っています。 

それでは、
ユダヤ人である)私たちの誇りはどこにあるのでしょうか。
それは取り除かれました。
どのような種類の律法によってでしょうか。
行いの律法でしょうか。
いいえ、信仰(信頼)の律法によってです。

人は律法の行いとは関わりなく、
信仰(信頼)によって義と認められると、
私たちは考えているからです。

それとも、神はユダヤ人だけの神でしょうか。
異邦人の神でもあるのではないでしょうか。
そうです。異邦人の神でもあります。
神が唯一なら、そうです。
 

神は、割礼のあるものを信仰(信頼)によって義と認め、
割礼のない者も
信仰(信頼)によって義と認めてくださるのです。

それでは、私たちは信仰によって
律法を無効にすることになるのでしょうか。
決してそんなことはありません。
むしろ、律法を確立することになります(ロマ3:27~31)と。

 

 

 神である【主】は、
私たち人間を創造する時にも、
造られた私たち人間が一つも困らないようにと、
人間の住む場所として、
この宇宙、地球の自然環境を造り、整え、
全部出来上がってから、「さあ、人を造ろう」と
最初の人アダムを造ってくださいました。

 

そのように、「わたしに立ち返れ」と言われるときにも、
前もって、
私たちの創造の目的からの「的外れ」の責任を
問うことがないように、と、
【御子なる神】を人間イエスとして人の世に遣わし、
この方をユダヤ人として、律法の下に生まれさせ、
律法によって裁かせ、
神に呪われたものとして木に掛け、
十字架刑で処刑されました。
私たち、すべての人間の身代わりとして、
私たちすべての人間の「的外れ」の責任を
この方に負わせて。

 

それで、私たちの「的外れ」の責任は、
律法の要求のとおりに果たされたものとされ、
私たちは処刑が終わっている者として、
責められるところが一点も残っていないものとして
扱っていただけるのだそうです。

 

だから、安心して「わたしに帰って来なさい」
と言われるのですね。

 

さらに、帰って来た私たちには、
【聖い御霊】と呼ばれる方をお遣わしくださるのだそうです。

この方によって、【父である神】ご自身の御思いを
私たちの心に置き、書き記して、
私たちのうちにご自身の思いがあるようにされ、
私たちがご自身と思いを一つにして生きるように
してくださるのだそうですから。

 

私たち自身である〔生まれたときからの私〕という霊を、
エスの十字架刑での死に合体させて、
処刑されたもの、死んだ者、古い者としてくださり、
御霊によって新しく生まれた者、
神の子としてくださり、神の子の生き方を生きる者にと。
(エレミヤ31:31~34、エゼキエル36:25~28、ヨハネ17::21~23)

 

 神は、悪しき者が滅びてしまうのを悲しまれる方。
私たちも「的外れ」な生き方に気づくたびに
立ち返り、立ち返り、しながら。

今日も。

 

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