「的外れ」な者であることを認めて、神と思いを一つにして生きる生き方へと

ダビデは主(神)に言った。
「私は、このようなことをして、
大きな罪を犯しました。
主よ、このしもべの咎
(とが)
取り去ってください。」
サムエル記下24:10

 

私たちが自分の罪(的外れ)を
告白するなら、
神は真実で正しい方ですから、
その罪(的外れ)を赦し、
あらゆる不正から
清めてくださいます。
Ⅰヨハネ1:9

 

 ルカ5:33~39
 ロマ書3:9~20(通読箇所)
   (ローズンゲン『日々の聖句2/21;火)

 

   ―――― ☆  ――――

 

 ダビデ王は、
部下の反対を押し切って民を数えさせました。
その後で、良心にとがめを感じて、
神に、このように告白したのだそうです。
「私は大きな罪を犯しました」と。

 

使徒ヨハネは言います。
「もし私たちが自分の罪
(神の創造の目的からの的外れ)を告白するなら、
神は真実で正しい方ですから、その罪(的外れ)を赦し、
私たちをすべての不義からきよめてくださいます」と。

 

 

 パリサイ人(自分たちは
神の律法を守ることに熱心な者だと
自任しているグループの人)たちが、
エスに言いました。
「(バプテスマの)ヨハネの弟子たちはよく断食をし、
祈りをしています。
パリサイ人の弟子たちも同じです。
ところが、あなたの弟子たちは
食べたり飲んだりしています。」
 

エスは彼らに言われました。
「花婿が一緒にいるのに、
花婿に付き添う友人たちに断食させることが、
あなたがたにできますか。
しかし、やがて時が来て、花婿が取り去られたら、
その日には彼らは断食します。」

 

エスはまた一つのたとえを彼らに話された。
「だれでも、新しい衣から布切れを引き裂いて、
古い衣に継ぎを当てたりはしません。
そんなことをすれば、その新しい衣を裂くことになり、
新しい衣から取った布切れも古い衣には合いません。

まただれも、新しいぶどう酒を
古い革袋に入れたりはしません。
そんなことをすれば、新しいぶどう酒は革袋を裂き、
ぶどう酒が流れ出て、革袋もだめになります。
新しいぶどう酒は、新しい革袋に入れなければなりません。

まただれも、古いぶどう酒を飲んでから、
新しい物を望みはしません。
『古い物が良い』と言います。」(ルカ5:33~39)

 


 また、パウロは書き送っています。
では、どうなるのでしょう。私たち(ユダヤ人)に
すぐれているところはあるのでしょうか。
全くありません。
私たちがすでに指摘したように、
ユダヤ人もギリシャ人も、
すべての人が罪(的外れ)の下にあるからです。

「義人はいない。一人もいない。

悟る者はいない。

神を求める者はいない。

すべての者が離れて行き、
だれもかれも無用な者となった。
善を行う人はいない。
だれ一人いない。」
 

「彼らの喉は開いた墓。
彼らはその舌で欺く。」
「彼らの唇の下にはまむしの毒がある。」
「彼らの口は、呪いと苦みに満ちている。
「彼らの足は血を流すのに速く、
彼らの道には破壊と悲惨がある。
彼らは平和の道を知らない。」
「彼らの目の前には、神に対する恐れがない。」
 

私たちは知っています。
律法が言うことはみな、
律法の下にある者たちに対して語られているのです。

それは、すべての口がふさがれて、
全世界が神のさばきに服するためです。
なぜなら、人はだれも、律法を行うことによっては
神の前に義と認められないからです。
律法を通して生じるのは罪
(ハマルティア、神の創造の目的からの的外れ)の
意識です(ロマ3:9~20)と。

 


 パウロが言うように、私たちは、
罪、
「われわれのかたちとして、
われわれの似姿に人を造ろう」(創世記1:26)と仰られる、
「愛において、自由意思で自発的に、自分から進んで、
われわれと思いを一つにする者を」と願われた
神の創造の目的から、「的外れ」になって、
「神の一人のようになり、
善悪を知る者」(創世記3:22)になっている者であることを
認めて、ダビデ王のように、
また、使徒ヨハネが言うように、
その「的外れ」な思いを神の前に差し出し、
聞いていただき、見ていただきながら生きるのですね。
神の赦しの中を。

 

私たちの身代わりとなられたイエス
十字架刑での処刑は、すでに完了しているのですから。

そして、死んで墓に納められ、
三日目、日曜日の早朝、
エスは死人の中から新しい霊のからだに復活し、
40日にわたって何度も弟子たちに現れ、
神の国のことを語り、
自分が確かに生きていることを証明したのち、
オリーブ山で弟子たちが見守る中、上げられ、
天の、【父である神】の右の座に
復帰されているのですから。

 

そのイエスがお遣わしくださる【
聖である霊】と呼ばれる方が私たちに来て、
わたしたちの心に【父である神】の御思いを置き、
書き記してくださるので、
私たちのうちに【父である神】の御思いがあるようになり 
私たちが【父である神】と思いを一つにして生きる、
「的に当たった」新しい生き方が
すでに始まっているのですから。
 

この【聖である霊】と呼ばれる方の働きが、
私に実現しますようにと。

今日も。

 

       ~~~~~~~~~~~~~~

(聖書のことばへの疑問やご意見、
近くの教会を知りたい等の方、
また、婚活で広く出会いを求めたい、
教会に行っていないけれど
葬儀をキリスト教でしたい、等の方、
お問い合わせは、
shkhknsyg4@yahoo.co.jpへどうぞ。)

 

〈復活社 http://www.sougi8849.jp/index.html 〉

 

(株)ブレス・ ユア・ ホーム https://christ-sougi.com/所属〉)


〈日本仲人協会 https://www.omiaink.com/ 認定〉


〈クリスチャンの結婚相談所


 

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 聖書・聖句へ

 

[にほんブログ村 哲学・思想ブログ キリスト教へ]

 

[https://blog.with2.net/link/?1470390人気ブログランキング