新天新地、神の国での大宴会に加わって

わたしの造る新しい天と新しい地が、
わたしの前にいつまでも続くように、
あなたがたの子孫と
あなたがたの名も、
いつまでも続く
――主の仰せ。
イザヤ書66:22

 

東から西から大勢の人が来て、
天の国でアブラハム、イサク、
ヤコブと一緒に宴会の席に着く。
マタイ8:11


 Ⅰテサロニケ4:13~18
 イザヤ書4:1~23(通読箇所)
   (ローズンゲン日々の聖句12/10;土)

 

     ―――― ☆  ――――
 

 聖書が啓示している神、
天の神、【主】、
「『わたしはある(I am)』という者」と
名乗られる方(出エジプト3:14)は、私たち人間を、
「われわれのかたちとして、
われわれの似姿に造ろう」と思われ、
まず、私たち人間の住む場所としてこの天地宇宙、
地球の自然環境を造り、
私たち人間が存在していくのに
何一つ、不自由をしないように、
楽しんで生きていけるように準備し、
すべてが整ったところで、
「さあ、人を造ろう」と
最初の人アダムとエバを造られたのだそうです。

 

 

 けれども、アダムとエバは、神様がおっしゃる
「われわれのかたち」、
【父である神】、【御子である神】、
【聖である霊】と呼ばれる神が、それぞれ、
全知、全能、永遠不変の方でありながら、
愛において、「自分の思いが成ることではなく、
相手の思いが成るように」と思われ、
自由意思で、自発的に思いを一つにしておられる、
そのかたち、神と思いを一つにして行く場に留まるよりも、
もっとすぐれた、素晴らしい者に、
自分が神のひとりのようになろうとして、
「神の一人のようになり、善悪を知る」者になる道を
選び取ったのだそうです。


神と思いを一つにしていく生き方から、
神と対立、対抗して生きる生き方へと。


その結果、人は、自分の理性による「善悪の判断」によって
生きることになり、互いに対立し、競い合い、
良いものは全部自分一人で独占しようとし、
人の上に立たないと気が済まない者となりました。

 

イザヤ書14:13~14に書かれているサタンの性質と
同じ性質を持つ者に。

 

「おまえは心の中で言った。
『私は天に上ろう。
神の星々(天使たち)のはるか上に私の王座を上げ、
北の果てにある会合の山で(議長の)座に着こう。
(神の御座をおおっている)密雲の頂(いただき)に上り、
いと高き方のようになろう』(イザヤ14:13~14)とする者に。

 

 

それゆえ、人が増えるに従って世は乱れ、
暴虐が地に満ちるようになりました。(創世記6:5、11)

 

それで神は、ご自分の側の働きによって人間を、
最初の創造の目的のように回復しようと
計画されたのですが、
その時、人間は、人間の側の二つの言い分によって
その神からの回復、救いを受け取らないであろうことを
想定されたようです。

その一つは、全部はだめでも、その中の一番良いものから
人類を造り直せば、世の中は良くなるだろうというもの、

 

二つ目は、人間が、
「私たちだってその気になれば、ちゃんとやれますよ。
だから、あなたに救っていただく必要はありません」と
言うだろうこと。

 

そこで神は、この人間の歴史の中で、人間にやらせてみて、
そのことが出来るかどうかを実証されたようです。

 

まず、一つ目は、その当時、人々の中で一番正しかった、
神とともに歩んでいたノアを選び、
彼を元にして人類を新しく造りなおすこと。

それで神は、洪水によって世界を一掃し、
神の警告に信頼して箱舟に入ったノアとその家族が
生き残るようにされ、
新しく、ノアから人類を始められました。
しかし、その結果が今の世界です。

 

二つ目の、「人がその気になれば、自分の努力で
ちゃんと神の御思いのように生きることが出来ます」
ということについては、
神は今から4000年ほど前、一人の人、
アブラハムを選んで、このアブラハムから一つの民族、
イスラエル民族を生まれさせ、
この民族と特別な契約を結んで、
人がその気になれば、、
神の御思いのように生きることが出来るかを
実験されました。

 

シナイ山で、
エジプトを出て来たイスラエルの民に律法を示し、
民は、「私たちは、【主】の言われたことをすべて行います」
と答えて神とイスラエルの民との間で
契約を結びました(出エジプト24:2)。

その後の、イエスが生まれられるまでの、
イスラエル、1500年ほどの歴史において実証されたことは、
だれ一人として、自分の努力によって
神と思いを一つにして歩める者は
いなかったということでした。

 

「義人はいない。一人もいない。
悟る者はいない。
神を求める者はいない。
すべての者が離れて行き、
だれもかれも無用の者となった。
善を行う人はいない。だれ一人いない。
彼らは平和の道を知らない。
彼らの目の前には、神に対する恐れがない」(ロマ3:10~12、17~18)と書かれているとおりに。

 


 【父である神】は、実際に人間にやらせてみて、
人間の側では、人間は自分で神の創造の目的のとおりに
生きることができないことを実証したうえで、
数々の預言のとおりに、【御子である神】を、
ダビデの子孫の一人、処女マリアの胎を通して、
人間イエスとしてダビデの町ベツレヘムで生まれさせ、
およそ33歳の頃、
十字架刑での処刑を受けさせなさいました。

 

私たちを、そのイエスに合体させて、
エスの十字架刑での処刑で、
神の創造の目的から「的外れ」になっている
私たちの〔生まれたときからの私〕という霊を
処刑が終わった者、死んだものと手続きしてくださって。

 

 

 十字架刑での死刑を受け、
死んで墓に納められたイエスは、
三日目、日曜日の早朝、
新らしい霊のからだに復活なさいました。
そして、40日にわたって何度も弟子たちに現れ、
神の国のことを語り、
ご自分が確かに生きていることを証明なさいました。

そしてオリーブ山で弟子たちが見守る中、上げられ、
天の、【父である神】の右の座に復帰なさいました。

そしてその10日後、ペンテコステ(五旬節)の祭り、
モーセを通して神とイスラエルの民との契約が結ばれた
その記念の祭りの日に、
新しい契約の成立としての、
「わたしの霊をあなた方のうちに授けて、
わたしの律法を彼らのただ中に置き、
彼らの心にこれを書き記す。
わたしは彼らの神となり、彼らはわたしの民となる」

(エレミヤ31:31~34、エゼキエル36:25~28、ヨハネ17::21~23)
との約束が実現して、

【聖である霊】と呼ばれる方が弟子たちに来られ、
弟子たちはこの方によって心に来た
【父である神】の御思いのとおりに話し出したのだそうです。

 

弟子たちの理性による「善悪の判断」によってではなく、
この方を通して心に来る【父である神】の御思いのとおりを。(使徒2:1~4)


すべての人は、自分の力によってではなく、
この、イエスを通して来てくださる
【聖である霊】と呼ばれる方によって、
【父である神】と思いを一つにして生きることが
出来るようにしてくださっているのだそうですから。

 

エスが、「わたしは、自分の思いを行うのではなく、
【父である神】の御心を行っている」(ヨハネ6:38、8:28)と
仰っておられるように。

 

そして、この生き方、
【聖である霊】と呼ばれる方によって、
【父である神】の御思いと
思いを一つにして生きている者に、
神は、いつまでも続く、
新しい天と新しい地を受け継がせてくださり、
アブラハムやイサク、ヤコブ
そのほか、多くの先輩たちとともに、
神の国での大宴会に参加させてくださるのだそうですから。

 

 天の、【父である神】の右の座におられるイエスは、
間もなく、二度目に来られます。

最初の時は、十字架刑での処刑を受けて、
私たちに【聖である霊】と呼ばれる方が来られる道を
開くためでしたが、
今度は、私たちを迎えに来てくださるのだそうです。

 

号令と御使いのかしらの声と神のラッパの響きとともに
エスご自身が天から下って来られて。
その時、イエスに信頼して生きて来た死者が
新しい霊のからだによみがえり、
その時生きている私たちは、一瞬にして、
このからだを霊のからだに変えていただいて
天に引き上げられ、
いつまでも、イエスとともにいるようにしてくださるのですから。
(Ⅰテサロニケ4:16~17)

 

その約束、その希望の中で。
いよいよ、【聖である霊】と呼ばれる方により、
【父である神】と思いを一つにしながら。

今日も。


       ~~~~~~~~~~~~~~

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