イエスによる、自由と解放を得て

あなたが、隣人に何かを売ったり、
彼から何かを買ったりするとき、
誰もその兄弟に損をさせて
甘い汁を吸ってはいけない。
レビ記25:14(ド)

 

私たちは、主の前だけでなく、

人の前でも公明正大にふるまうように
心がけています。
Ⅱコリント8:21

 

 ガラテヤ書5:1~6
 創世記9:1~17(通読箇所)
   (ローズンゲン日々の聖句1/20;金)

 

    ―――― ☆  ――――

 

 私たち自身から出てくる思いは、
出来れば、相手が損をすることが分かっていても、
自分の得になるようにして、
甘い汁を吸えればいいと思うのですね。

 

しかし、イエスを通して来てくださる
【聖である霊】と呼ばれる方によって私たちの心に来る、
【父である神】の御思いは、
互いに損失を与えないようにと思うのですね。
人前でも公明正大であるように、と。

 

 

 パウロは書いています。

イエス・キリストは、
自由を得させるために私たちを解放してくださいました。
ですから、あなたがたは固く立って、再び奴隷のくびきを
負わされないようにしなさい」(ガラテヤ5:1)と。

 

 【父である神】は、
「神の一人のようになり、
善悪を知る者」(創世記3:22)になって、
「われわれのかたちとして、
われわれの似姿に」(創世記1:26)との、
ご自身の創造の目的から「的外れ」になっている
私たちの〔生まれたときからの私〕という霊を、
エスの十字架刑での死刑に合体させてくださって、
死刑が終っている者、死んだものとしてくださいました。

 

そして、十字架に架けられたイエスは、
死んで墓に納められ、
三日目、日曜日の早朝、
死人の中から、新しい霊のからだに復活し、
40日にわたって何度も弟子たちに現れ、
神の国のことを語り、
ご自身が確かに生きていることを見せたのち、
オリーブ山で弟子たちが見守る中、上げられ、
天の、【父である神】の右の座に復帰されました。

 

【父である神】は、そのイエスを通して
もう一人の方、【聖である霊】と呼ばれる方を
受け入れる者に派遣してくださり、
この方によってご自身の御思いを
私たちの心に置いてくださり、
私たちのうちにご自身の思いがあるようにし、
受け入れる者がご自身と思いを一つにして生きるように
してくださっているのですね。
自由を得ている者に。

 

だから、再び、自分の力で律法を守って
神に義に到達しようとする生き方は、
この、〔生まれたときからの私〕という霊を
生かそうとする生き方で、
エスの十字架刑での身代わりの死など、
私には必要ないとする生き方なのですね。

 


 私たちは、イエスの死に合わせていただいて、
この〔生まれたときからの私〕という霊を
死んだものと手続きしていただき、
【聖である霊】と呼ばれる方をお迎えして、
【父である神】の御思い、
相手に損をさせてでも
自分は甘い汁を吸おうとするのではなく、
人の前でも公明正大に生きる、
その思いを心に置いていただきながら生きるのですね。

今日も。

 

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