思い煩いが、平安に変わるのですから

主にあっていつも喜びなさい。
もう一度言います。喜びなさい。
主は近いのです。

            フィリピ書4:4、5b(12/18の週の聖句)

主はモーセに言われた。
「人に口をつけたのはだれか。
それは、わたし、主ではないか。」

                      出エジプト記4:11

 

私のことばも私の宣教も、
雄弁な知恵の言葉によるものではなく、
霊と力の証明によるものでした。

                         Ⅰコリント2:4

 

 フィリピ書4:4~7

 詩篇58(通読箇所)
   (ローズンゲン日々の聖句12/18;Ⅲ日曜)

 

    ―――― ☆  ――――
 

 聖書が啓示している神、
天の神、【主】、
「『わたしはある(I am)』という者」と
名乗られる方(出エジプト3:14)は、
私たち人間が、いつも喜んでいるように、と、
思っておられる方なのですね。

 

それで、この世では、
何かと、苦しいこと、つらいことなどがありますが、
エスが二度目に来られて、
私たちをこの世から天のパラダイスに
迎えてくださる日を近づかせてくださっているのだそうです。

 

 

この方が、
エジプトで奴隷状態になり苦しみ叫んでいる
イスラエルの民を解放するため、

モーセを遣わそうとしたとき、
モーセは、いろいろ理由をつけて逃げようとしました。

 

その理由の一つが、
「私はことばの人ではありません。
私は口が重く、舌が重いのです」と言って、
エジプト王ファラオと交渉したり、
イスラエルの民が納得するよう、話したりすることが
できないからと言いました。

 

それで、神である【主】は、
「人に口をつけ、話せるようにしたのはわたしではないか」と
モーセに言われたのですね。

 

この方は、私たち一人ひとりを用いようと
計画していてくださり、
私たち一人ひとりに、その御計画にふさわしい能力を
与えておられるようです。

 

当時の地中海世界にイエスによる「良い知らせ」を伝えた
使徒パウロも、
「雄弁な知恵のことば」による説得によったのではなく、
【聖である霊】と呼ばれる方の現れ、
御力の現れによったのだと言っていますから。

 


 そのパウロは勧めます。
いつも主にあって(主イエス・キリストの御思いの中で)
喜びなさい。
もう一度言います。喜びなさい。
あなたがたの寛容な心、

自己中心的でなく、思いやりにあふれた思いが、
すべての人に知られるようにしなさい。
主(イエス)は近いのです。
何も思い煩わないで、
あらゆる場合に、感謝をもってささげる祈りと願いによって、
あなたがたの願い事を神に知っていたさい。
そうすれば、すべての理解を越えた神の平安が、
あなたがたの心と思いをキリスト・イエスにあって
守ってくれます」(ピリピ4:4~7)と。

 

 私たちも、イエスを通して来てくださる
【聖である霊】と呼ばれる方の現れの中で、
心に浮かぶ思いの一つ一つを
【父である神】と【御子である神】、イエスに話していき、
聞いていただき、見ていただき、知っていただきながら
歩んでいくのですね。

 

喜びをいただきながら、
エスが迎えに来てくださるその日を目指して。

この新しい週も。

 

       ~~~~~~~~~~~~~~

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