「隣人を自分のように愛する」ことが出来るようになるのだそうですね。私たちも

「神を畏れ、
その戒めを守れ。」
 
これこそ、
人間のすべて。
コヘレトの言葉(伝道の書)12:13
 
 
 
あなたがたが、
聖書に従って、
「隣人を
自分のように
愛しなさい」
という
最も尊い律法を
実行しているのなら、
 
それは
結構なことです。
ヤコブ2:8
 
 
 (ローズンゲン日々の聖句2/6;木)
 
 
知恵の総結集の言葉なのだそうです。
知恵の言葉、
いろいろ言われますが、
そのすべての行きつくところの結論が
これだと、
 
知恵ある者として知られた
ソロモン王は
言うのですね。
 
そして、
聖書の神の戒めの中で、
最高のものがこれだと、
イエスの弟、
ヤコブは
言うのですね。...
 
あの方との一つをやめて、
自分が
善悪を判断する者となった
私たちの、
「生れた時からの霊」の
本性は、
 
他の誰よりも
自分を一番にしたい者、
 
良いもののすべてを
自分一人で
独占したい者
なのですね。
 
 
それで、
他の人を批判し、
こき下ろすことに
快感を覚え、
 
他の人の成功は
妬ましく思えるのでしょうね。
 
 
だから、
出て来るそういう思いを
理性で押し込んで、
出て来ないように努力することで、
一見、
そのような者ではなくなったかのようにふるまえますが、
 
本質は
元のまま。
 
激しい怒り、悲しみ、
あるいは
老齢などで、
理性のタガが外れた時、
その本性が
噴出して来ることになるのだそうです。
 
思いが出て来る一番の大元である
「霊」を
取り替えることが
必要なのだそうですね。
 
それで、
あの方は、
御子である方を
処刑することによって、
 
私たちの「生まれた時からの霊」を
処刑したものと
みなし、
 
「聖である霊」と呼ばれる方を
私たちの内に派遣して、
 
この方によって、
 
愛する価値の全くない者を、
自分自身のように愛しておられる、
ご自身の思いを、
 
私たちの心に
思わせて下さる道を
拓いて下さったのだそうです。
 
それで、
このお方をお迎えして、
 
心を
この方にお渡ししていくなら、
 
私たちの心にも、
あの方の
「隣人を自分のように愛する」思いが
起こって来るようになるのだそうです。
 
律法によっては出来なくなっていることを、
あの方は
出来るようにして下さり、
律法の要求が
全うされるように
して下さっているのだそうですね。
 
今日も。
 
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