滅びの穴から、引き上げてくださって

あなたは私のいのちを
滅びから引き上げてくださいました。
私の神、主よ。
ヨナ書2:7

神の堅固な土台は据えられていて、
そこに次のような銘が刻まれています。
「主はご自分に属する者を
知っておられる。」
Ⅱテモテ2:19

 ガラテヤ書2:16~21
 ヨハネ13:31~35(通読箇所)
   (ローズンゲン『日々の聖句』3/19;土)

 

     ―――― ☆  ――――


 【父である神】は、【御子である神】を、
人間イエスとして、この人間の歴史の中に遣(つか)わし、
この方を十字架刑で処刑することで、
私たちへの処罰が終わったことにしてくださり、
私たちのいのちを滅びから引き上げてくださったのですね。

そして、死んで墓に納められ、
三日目、日曜日の早朝、
死人の中から新しい霊のからだに復活し、
天の、ご自身の右の座に復帰されたイエスを通して、
もう一人の方、【聖である霊】と呼ばれる方をお遣わしくださり、
この方によって、私たちの心に
ご自身が思っておられる思いを置き、書き記してくださって、
私たちの心にご自身の思いがあるようにし、
受け入れる者がご自身と思いを一つにして生きるように
してくださって。(エレミヤ31:31~34、エゼキエル36:25~28、ヨハネ17::21~23)

神の子の身分を与え、神の名で呼ばれる者にし、
「神と思いを一つにして生きる」という岩盤を土台として、
人生という家を建てる者にしてくださって。


 それで、使徒パウロは書き送っています。
「人は、神の律法(ことば)を、
自分の努力で行うことによってではなく、
ただイエス・キリストに信頼することによって
義と認められると知って、
私たちもキリスト・イエスに信頼しました。

律法を自分の力で行うことによってではなく、
キリストに信頼することで義と認められるためです。

というのは、肉なる者(生まれたときからの私)はだれも、
律法を自分の力で行うことによっては義と認められない
(神の合格点に達することができない)からです。

私は神に生きるために、
律法の定めにしたがって律法に死にました。
私はキリストとともに十字架につけられました。

もはや私が生きているのではなく、
キリストが私のうちに生きておられるのです。
今私が肉において生きているいのちは、
私を愛し、私のためにご自分を与えてくださった、
神の御子に対する信頼によるのです。

私は神の恵みを無にはしません。
もし義が律法を自分の力で行うことによって得られるとしたら、
それこそ、キリストの死は
無意味になってしまいます。」(ガラテヤ2:16~21)

 


 十字架刑での死を翌日に控えたイエスのことを、
12弟子のヨハネは次のように記しています。


イスカリオテのユダが、イエスを敵の手に売り渡そうと
(夕食の席から)出て行ったとき、イエスは言われた。
「今、人の子(イエスご自身のこと)は栄光を受け、
神も人の子(イエスによって栄光をお受けになりました。

神が、人の子によって栄光をお受けになったのなら、
神も、ご自分で人の子に栄光を与えてくださいます。
しかも、すぐに与えてくださいます。

子どもたちよ、わたしはもう少しの間あたがたとともにいます。
あなたがたはわたしを捜すことになります。
ユダヤ人たちに言ったように、今あなたがたにも言います。
わたしが行くところに、あなたがたは来ることができません。

わたしはあなたがたに新しい戒(いまし)めを与えます。
互いに愛し合いなさい。
わたしがあなたがたを愛したように、
あなたがたも互いに愛し合いなさい。
互いの間に愛があるなら、それによって、
あなたがたがわたしの弟子であることを、
すべての人が認めるようになります。」(ヨハネ13:31~35)

 


 この、イエスが目指して行かれた十字架刑での死によって、
私たちは、神の律法の手続きのとおりに
処刑が終わっているもの、死んだものとしていただき、
 

【聖である霊】と呼ばれる方によって、
【父である神】の御思いを土台として生きる者に
していただけるとパウロは言うのですね。

滅びの穴から引き上げられて、神に属する者にと。

今日も。

 

 

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神は、苦しみによって私たちを試み、心にある思いを明らかにされ

あなたの神、主がこの40年の間、
荒れ野であなたを導いた、
すべての道のりを思い起こしなさい。
主はあなたを苦しめ、試み、
あなたの心にあるもの、
すなわちその戒めを守るかどうかを
知ろうとされた。
申命記8:2

エスは言われた:
わたしは柔和で
心のへりくだったものだから、
わたしの軛
(くびき)を負い、
わたしに学びなさい。
そうすれば、あなたがたの魂に
安らぎが得られる。
マタイ11:29

 Ⅰヨハネ1:8~2:2
 ヨハネ13:12~20(通読箇所)
   (ローズンゲン『日々の聖句』3/17;木)

     ―――― ☆  ――――

 聖書が啓示している神、
天の神、【主】、
「『わたしはある(I am)』という者」と
名乗られる方(出エジプト3:14)は、
私たちを苦しめ、試みることで、
私たちの心の内にある思いを明らかにされる方のようです。
私たちの心のうちに、
ご自身と思いを一つにして歩もうとする思いがあるかどうかを。

そして、わたしたちが、自分の内に、神と思いを一つにして
歩もうと思う思いがないことを知ったならば、
ないものを絞り出そうとするのではなく、
エスを求めなさいと言われるのですね。

エスは、柔和で心のへりくだった方。
エスの軛(くびき)、束縛は、軽く、安心なのだそうですから。

自分が、ご自分と心を一つにして生きる者を造ろうとの、
神の創造の目的から「的外れ」の、
神のひとりのようになり、
自分の理性で判断した善悪の判断で生きようとする者となって、
神と対立、対抗する者になっていることを
認めようとしない者は、自分自身を欺(あざむ)いており、
その人のうちに真理はない、と、ヨハネは言うのですね。

もし私たちが自分の罪、「的外れ」な者であることを認め、
神に告白するなら、神は真実で正しい方であるから
その罪、「的外れ」な存在であることを赦し、
私たちをすべての不義からきよめ、
【聖である霊】と呼ばれる方によって
神と思いを一つにして生きる者、
神の創造の目的に合致した生き方をするように
してくださるのですから。


だから、罪を犯したことがないと言い、
このイエスがいのちをかけて完了した新しい生き方を
不要とし、受け取ろうとしない者は、
神を偽り者とすることなのですね。

このイエスの死と復活によって完了した救いの手続きを
してもらった者は、「的外れ」な生き方の中に
とどまり続けることはできなくなります。

その、以前の生き方をしてしまっても、
御父の前でとりなしてくださる方、
義なるイエス・キリストがおられますから。

この方こそ、私たちの罪のための、
全世界の罪のための宥(なだ)めのささげ物と
なっていてくださる方なのですから。(Ⅰヨハネ1:8~2:2)

 


 ご自分が【父である神】に帰る時が
間近になっていることを思われたイエスは、
夕食の席から立ち上がり、
弟子たち一人ひとりの足を洗われました。
洗い終わって、イエス上着を着て再び席に着き、
弟子たちに言われました。
 

「わたしがあなたがたに何をしたのか分かりますか。
あなたがたはわたしを『先生』とか『主』と呼んでいます。
そう言うのは正しいことです。そのとおりなのですから。

主であり、師であるこのわたしが、
あなたがたの足を洗ったのであれば、あなたがたもまた、
互いに足を洗い合わなければなりません。
わたしがあなたがたにしたとおりに、
あなたがたもするようにと、あなたがたに模範を示したのです。

まことに、まことに、あなたがたに言います。
しもべは主人にまさらず、
(つか)わされた者は遣わした者にまさりません。

これらのことが分かっているなら、
そして、それを行うなら、あなたがたは幸いです。

わたしは、あなたがたすべてについて
言っているのではありません。
わたしは、自分が選んだ者たちを知っています。

けれども、聖書に
『わたしのパンを食べている者が、
わたしに向かって、かかとを上げます』と書いてあることは
成就するのです。

事が起こる前に、今からあなたがたに言っておきます。
起こったときに、わたしが『わたしはある(I am)』であることを、
あなたがたが信じるためです。

まことに、まことに、あなたがたに言います。
わたしが遣(つか)わす者を受け入れる者は、
わたしを受け入れるのです。
そして、わたしを受け入れる者は、
わたしを遣(つか)わされた方を
受け入れるのです。」(ヨハネ3:12~20)

 

 

 私たち、苦しみや試みによって、自分の心のうちに
神と思いを一つにしようという思いがないことを知ったなら、
自分がそういう「的外れ」な者であることを認めて、
エスを求めればいいのですね。
柔和で、へりくだった方であるイエスを。

エスは、【父である神】のご計画のとおりに、
十字架刑での処刑を受けてくださって、
私たち、すべての人間の罪、「的外れ」のための
(なだ)めのささげ物となって、
私たちを、処刑が終わっている者、死んだものとしてくださり、
【聖である霊】と呼ばれる方が私たちに来ても
大丈夫なようにしてくださっているのですから。

【父である神】は、この、イエスを通して来てくださる
【聖である霊】と呼ばれる方によって、
私たちの心にご自身の思いを置き、
私たちのうちにご自身の思いがあるようにしてくださり、
私たちがご自身と一つ思いになって生きるように
していてくださるのですから。

御心が天でなっているように、
地にいるこの私にも成りますように、と。

今日も。

 

 

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全き心、喜びの気持ちも、私たちの心に置いてくださって

全き心と喜びの気持ちをもって
神に仕えなさい。
主はすべての心を
探られるからです。
歴代誌上28:9

平和の神が、
御前でみこころにかなうことを、
イエス・キリストを通して、
私たちのうちに行ってくださいますように。
栄光が世々限りなくイエス・キリスト
ありますように。
ヘブル書13:20、21

 ヨハネ16:29~33
 ヨハネ13:1~11(通読箇所)
   (ローズンゲン『日々の聖句』3/16;水)

      ―――― ☆  ――――

 イスラエルの二代目の王、ダビデは、
その子、ソロモンに言いました。
「あなたの父の神を知り、
全き心と喜びの気持ちをもって神に仕えなさい」と。


 ヘブル書の著者は書き送っています。
「永遠の血による羊の大牧者、私たちの主イエスを、
死者の中からよみがえらせた平和の神が、
あらゆる良いものをもって、あなたがたを整え、
みこころを行わせてくださいますように。

また、御前でみこころにかなうことを、
イエス・キリストを通して、
私たちのうちに行ってくださいますように。」 


 イエスは、自分が捕らえられ、十字架刑で殺される前夜、
弟子たちに言われました。
「わたしは父のもとから出て、世に来ましたが、
再び世を去って、父のもとに行きます。

あなたがたはそれぞれ散らされて自分のところに帰り、
わたしを一人残します。
しかし、父がわたしとともにおられるので、
わたしは一人ではありません。

これらのことをあなたがたに話したのは、
あなたがたが私にあって平安を得るためです。
世にあっては苦難があります。
しかし、勇気を出しなさい。
わたしはすでに世に勝ちました。」(ヨハネ16:28~33) 
 

 

 12弟子のひとり、ヨハネは記します。
さて、過越(すぎこし)の祭りの前のこと、
エスは、この世を去って父のみもとに行く、
ご自分の時が来たことを知っておられた。

そして、世にいるご自分の者たちを愛してきたイエスは、
彼らを最後まで愛された。

夕食の間のこと、悪魔はすでに
シモンの子イスカリオテのユダの心に、
エスを裏切ろうとする思いを入れていた。

エスは、父が万物をご自分の手に委ねてくださったこと、
またご自分が神から出て、神に帰ろうとしていることを
知っておられた。

エスは夕食の席から立ち上がって、
上着を脱ぎ、手ぬぐいを取って腰にまとわれた。
それから、たらいに水を入れて、弟子たちの足を洗い、
腰にまとっていた手ぬぐいでふき始められた。

こうして、イエスがシモン・ペテロのところに来られると、
ペテロはイエスに言った。
「主よ、あなたが私の足を洗ってくださるのですか。」
エスは彼に答えられた。
「わたしがしていることは、
今は分からなくても、後で分かるようになります。」

ペテロはイエスに言った。
「決して私の足を洗わないでください。」
エスは答えられた。
「わたしがあなたを洗わなければ、
あなたはわたしと関係ないことになります。」

シモン・ペテロは言った。
「主よ、足だけでなく、手も頭も洗ってください。」イ
エスは彼に言われた。
「水浴した者は、足以外は洗う必要がありません。
全身がきよいのです。
あなたがたはきよいのですが、
皆がきよいわけではありません。」
エスはご自分を裏切る者を知っておられた。
それで「皆がきよいわけではない」と
言われたのである。(ヨハネ13:1~11)


 天の神、【主】によって、
「われわれのかたちとして、
われわれの似姿に」(創世記1:26)と望まれ、
神と一つ思いになって生きる者にと造られながら、

「神の一人のようになり、
善悪を知る者」(創世記3:22)となって、
神に対立、対抗する、
「的外れ」なものになっている私たち人間。

「全き心と喜びをもって神に仕える心は
持っていないのですね。
どう、絞り出そうとしても。

【父である神】は、その「的外れ」になってしまっている
私たちの〔生まれたときからの私〕という霊を、
処刑済みに、死んだものにし、
新しい霊を授けて、
最初の目的、
ご自身たちの在り方である、
ご自身と思いを一つにする者にしようと
計画してくださったのですね。

その計画にしたがって、【御子である神】を
人間イエスとして人の世に遣わし、
このイエスを私たちすべての人間の身代わりとして立て、
十字架刑で処刑することによって、
私たちの〔生まれたときからの私〕という霊を
処刑が終わったもの、死んだものとしてくださいました。

そのうえで、墓に納められたイエス
死人の中から新しい霊のからだに復活させ、
天の、ご自身の右の座に復帰させられました。

そして、このイエスを通してもう一人の方、
【聖である霊】と呼ばれる方を私たちにお遣わしくださり、
この【聖である霊】と呼ばれる方によって
私たちの心にご自身の御思いを置き、書き記して、
私たちのうちに神の御思いがあるようにし、
受け入れる者が神と思いを一つにして生きるように
してくださるのですね。

私たちを御心にかなうことをする者にしてくださって。
それぞれが、周りの人の足を洗い合う思いも
私たちの心に置いてくださって。

今日も。

 

 

 

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聖霊が心に置いてくださる、父である神の思いを願い求めて

主はこう言われます。
「わたしはあなたの祈りを聞いた。
あなたの涙も見た。
見よ、
わたしはあなたを癒
(いや)す。
列王記下20:5

(たた)きなさい。
そうすれば、あなたがたに開かれる。
マタイ7:7

 ヨブ記2:1~10
 ヨハネ12:44~50(通読箇所)
   (ローズンゲン『日々の聖句』3/15;火)

 

       ―――― ☆  ――――


  ユダの王、ヒゼキヤが病気になり、死にかかっていたとき、
そこへ、預言者イザヤが来てヒゼキヤに言いましたた。
「天の神、「わたしはある(I am)』という者」と
名乗られる方(出エジプト3:14)、【主】はこう言われる。
『あなたの家を整理せよ。あなたは死ぬ。治らない。』

ヒゼキヤは顔を壁に向け、【主】に祈った。
「ああ、【主】よ、どうか思い出してください。
私が真実と全き心をもって、あなたの御前を歩み、
あなたの御目にかなうことを行って来たことを。」
ヒゼキヤは大声で泣いた。

イザヤがまだ中庭を出ないうちに、
次のような【主)のことばがイザヤにあった。
「引き返して、わたしの民の君主ヒゼキヤに告げよ。
あなたの父ダビデの神、【主】はこう言われます。
「わたしはあなたの祈りを聞いた。
あなたの涙も見た。
見よ、わたしはあなたを癒(いや)す。
あなたは三日目に【主】の宮に上る。
わたしは、あなたの寿命にもう十五年を加える。

わたしはアッシリアの王の手からあなたとこの都を救い出し、
わたしのために、わたしのしもべダビデのために
この都を守る。」(列王記20:1~6)

 

 

 天の神、【主】は、
このヒゼキヤ王の時のように、私たちの祈りを聞き、
私たちの涙を見ていてくださる方。
私たちが門をたたき続けるとき、
その閉ざされていた門を開いてくださる方なのですね。

 

悪魔であるサタンは、この神の前に私たちを告訴して、
私たちにわざわいを来させて、
神への信頼を失わせようとしますが。(ヨブ2:1~10)

 


 イエスは言われます。
「わたしに信頼する者は、わたしではなく、
わたしを遣(つか)わされた方に信頼するのです。
また、わたしを見る者は、
わたしを遣わされた方を見るのです。

わたしは光として世に来ました。
わたしに信頼する者が、
だれも闇の中にとどまることのないようにするためです。

だれか、わたしのことばを聞いてそれを守らない者がいても、
わたしはその人をさばきません。
わたしが来たのは世をさばくためではなく、
世を救うためだからです。
わたしを拒み、わたしのことばを受け入れない者には、
その人をさばくものがあります。
わたしを話したことば、それが、終わりの日に
その人を裁きます。

わたしは自分から話したのではなく、
わたしを遣わされた父ご自身が、
言うべきこと、話すべきことを、
わたしにお命じになったからです。

わたしは、父の命令(御思い)が
永遠のいのちであることを知っています。

ですから、わたしが話していることは、
父がわたしに言われたとおり、
そのままを話しているのです。」(ヨハネ12:44~50)


 天の神、【主】は、
私たちが流す涙の、一粒一粒を覚え、
その革袋に蓄えていてくださり、
私たちの願いを受け取り、
閉じている門も、私たちの求めに応じて開いてくださる方。

エスは、神のことばである方。
【父である神)の御思いを、そのまま、実現しておられる方。

【父である神】は、私たちをそのイエスに似せて、
【父である神】と心を一つにし、
思いを一つにして生きるようにしてくださるのですね。

「神の一人のようになり、善悪を知る者」になって、
造り主である神に対立、対抗し、「的外れ」になっている
私たちの〔生まれたときからの私〕という霊を、
エスの十字架刑の死に合体させて、
処刑されたもの、死んだものとし、
 

私たちが、
この〔生まれたときからの私〕という霊から出てくる思いを、
死んだものから出て来た思いであると認めて、
エスの御前に投げ捨てながら
生きるようにしてくださるのですから。

そのイエスの十字架刑で死んだ私たちに、
エスを通して【聖である霊】と呼ばれる方をお遣わしくださり、
この方によって、
私たちの心にご自身の御思いを置き、書き記して、
私たちの心に【父である神】の御思いがあるようにし、
私たちが、【父である神】と一つ心になって生きるように
してくださるのですから。

【父である神】、主イエスの願いを願い祈る者、
エスの「からだ」の一部分として。

今日も。

 

 

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あざけり、ののしる者たちのために、命を献げて

私たちがまだ罪人であったとき、
キリストが
私たちのために死なれたことによって、
神は私たちに対するご自分の愛を
明らかにしておられます。
ロマ書5:8(3/13の週の聖句)

王は軍勢の大きさによって
救われるのではない。
勇者は力の大きさによって
助け出されるのではない。
詩33:16

しかし、先頭にいる多くの者は
最後になり、
最後にいる多くの者が
先頭になる。
マルコ10:31

 ロマ書5:1~5(6~11)
 詩35:1~16(通読箇所)
   (ローズンゲン『日々の聖句』3/ 13;Ⅱ日曜)

 

       ―――― ☆  ――――


 罪人、神の創造の目的(創世記1:26)、
ご自身と心を一つにする者をとの神の願いから
ズレてしまって、
「神の一人のようになり、善悪を知る者」となって、
神の創造の目的から
「的外れ」な者となってしまっている(創世記3:22)私たちを、
目的通りのものに取り戻すために、
【御子である神】が人間イエスとして人の世に来られ、
およそ、33歳の頃、私たちの身代わりとなって
十字架刑での処刑を受けてくださり、
私たちに対する神の愛を明らかにしていてくださるのですね。

「的外れ」になっている私たちは、
自分の力だけが頼みで、
力をつけることによって安心しようとし、
軍勢の大きさを頼みとしていきます。
他人よりも少しでも前に出て。

しかし、イエスは言われます。
「先にいる多くの者が後になり、
後にいる多くの者が先になります」と。
 

 

 私たち、神を求める心がなく、
神と思いを一つにしようとは思わない、
神に対立し、対抗している者ですが、
神は、その私たちのためにイエスを死に渡され、
私たちを義と認めるために
エスを死者の中からよみがえらせ、
ご自身に信頼する者に
ご自身との平和を与えてくださるのですね。


 使徒パウロは言います。
このキリストによって私たちは、信頼によって、
今立っているこの恵みに導き入れられました。
そして、神の栄光にあずかる望みを喜んでいます。

それだけではなく、苦難さえも喜んでいます。
それは、苦難が忍耐を生み出し、
忍耐が練られた品性を生み出し、
練られた品性が希望を生み出すと、
私たちは知っているからです。

この希望は失望に終わることがありません。
なぜなら、私たちに与えられた聖霊によって、
神の愛が私たちの心に注がれているからです。

実にキリストは、私たちがまだ弱かったころ、
定められた時に、不敬虔な者たちのために
死んでくださいました。
正しい人のためであっても、死ぬ人はほとんどいません。
善良な人のためなら、進んで死ぬ人がいるかもしれません。
しかし、私たちがまだ罪人であったとき、
キリストが私たちのために死なれたことによって、
神は私たちに対するご自分の愛を明らかにしておられます。

ですから、今、キリストの血によって義と認められた私たちが、
この方によって神の怒りから救われるのは、
なおいっそう確かなことです。
敵であった私たちが、御子イエスの死によって
神と和解させていただいたのなら、
和解させていただいた私たちが、
御子イエスのいのちによって救われるのは、
なおいっそう確かなことです。(ロマ5:1~10)
 

 

 私たちが頼みとする、軍勢の大きさ、
自分の力によっては救われないのですから。
神である【主】の目は主を畏れる者に
注がれるのですから。

主の恵みを待ち望む者に。

この新しい週も。

 

 

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命と息と万物を、私たちに与えていてくださる方が

主のことばによって、天は造られた。
天の万象もすべて、
御口の息吹によって。
詩33:6

また、何か
足りないことでもあるかのように、
人の手によって
仕えてもらう必要もありません。
すべての人に
命と息と万物とを与えてくださるのは、
この神だからです。
使徒17:25

 Ⅱテサロニケ3:1~5
 ヨハネ12:34~36(通読箇所)
   (ローズンゲン『日々の聖句』3/12;土)

       ―――― ☆  ――――


 天も、天の万象も、天の神、【主】のことばによって、
ことばなる神によって造られたのですね。
「初めにことばがあった。ことばは神とともにあった。ことばは神であった。この方は、初めに神とともにおられた。
すべてのものは、この方によって造られた。造られたもので、この方によらずにできたものは一つもなかった」(ヨハネ1:1~3)と書かれているとおりに。

だから、人間が造った神々のように、
人の手によって仕えてもらう必要はないのだそうです。

むしろこの方が、すべての人にいのちと息と万物を
与えていてくださるのですから。
そして私たちを強くし、悪い者から守ってくださるのですね。

エスを通して、【聖である霊】と呼ばれる方が来てくださって、
私たちの心を【父である神】の御思いに導き、
神の愛とキリストの忍耐に
向けさせてくださるのですから。(2テサロニケ3~5)

 


 エルサレムでの過越(すぎこし)の祭りでの群衆とイエスとの
やり取りは続きます。、
群衆はイエスに答えた。
「私たちは律法によって、 
キリストはいつまでも生きると聞きましたが、
あなたはどうして、
人の子は上げられなければならないと言われるのですか。
その人のことはだれですか。」

そこでイエスは彼らに言われた。
「もうしばらく、光はあなたがたの間にあります。
闇があなたがたを襲うことがないように、
あなたがたは光があるうちに歩きなさい。
闇の中を歩く者は、自分どこに行くのか分かりません。
自分に光があるうちに、光の子どもとなれるように、
光を信じなさい。」(ヨハネ12:34~36)

 


 私たちも、自分がどこに行くのか分からない、
闇の中を歩む者ですが、
光であるこの方、ことばによって天と、その万象を造られ、
私たちすべての人間にいのちと息と万物を
与えてくださっている方の御思いによって
生きていくのですね。
光の中を。
今日も。

 

 

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死の日を支配する力、私たちにはないのですが、イエスにはあるのですね

人には死の日を
支配する力はない。
コヘレト(伝道の書)8:8

あなたがたのうちの誰が、
思い煩
(わずら)ったからといって、
寿命を僅
(わず)かでも
延ばすことができようか。
マタイ6:27

 ヘブル書2:11~18
 ヨハネ12:27~33(通読箇所)
   (ローズンゲン『日々の聖句』3/11;金)

 

        ―――― ☆  ――――


 死の日を自分の思うようにできる人はいないのですね。
それでイエスは、
「あなたがたが、いくら思い煩ったからといって、
少しでも自分のいのちを延ばすことができるでしょうか」
と言われるのですね。

 


 ヘブル書の記者は言います。
聖とする方(イエスも、聖とされる者たち(私たち)も、
みな一人の方(万物の存在の目的であり、
また原因でもある【父である)
神から出ています。
 

それゆえ、イエスは彼らを兄弟と呼ぶことを恥とせず、
こう言われます。
「わたし(イエスは、あなた(父である神)の御名(みな)
兄弟たちに語り告げ、
会衆の中であなたを賛美しよう。」

 

また、「わたしはこの方に信頼を置く」と言い、
さらに、「見よ。わたしと、神がわたしに下さった子たち」と
言われます。

そういうわけで、子たちがみな血と肉を持っているので、
エスもまた同じようにそれらのものを持ちになりました。

それは、死の力を持つ者、
すなわち、悪魔をご自分の死によって滅ぼし、
死の恐怖によって一生涯奴隷としてつながれていた人々を
解放するためでした。
当然ながら、イエスは御使いたちを助け出すのではなく、
アブラハムの子孫を助け出してくださるのです。

したがって、神に関わる事柄について、
憐れみ深い、忠実な大祭司となるために、
エスはすべての点で
兄弟たちと同じようにならなければなりませんでした。
それで民の罪の宥(なだ)めがなされたのです。

エスは、自(みずか)ら試みを受けて苦しまれたからこそ、
試みられている者たちを助けることができるのです。(ヘブル2:11~18)

 


 ヨハネによるイエスに関わる記事は続きます。
(イエスは、十字架刑での処刑を受けることを見据えて)
「今わたしの心は騒いでいる。
なんと言おうか。

『父よ、この時からわたしをお救いください』と言おうか。
いや、このためにこそ、わたしはこの時に至ったのだ。
父よ、御名の栄光を現してください。」

すると、天から声が聞こえた。
「わたしはすでに栄光を現した。
わたしは再び栄光を現そう。」

そばに立っていてそれを聞いた群衆は、
「雷が鳴ったのだ」と言った。
ほかの人々は、
「御使いがあの方に話しかけたのだ」と言った。

エスは答えられた。
「この声が聞こえたのは、わたしのためではなく、
あなたがたのためです。
今、この世に対するさばきが行われ、
今、この世を支配する者が追い出されます。

わたしが(十字架に架かって)地上から上げられるとき、
わたしはすべての人を自分のもとに引き寄せます。」
これは、自分がどのような死に方で死ぬことになるかを
示して、言われたのである。(ヨハネ12:27~33)

 


 イエスは。私たちを死の恐怖から解放してくださるため、
(みずか)ら私たちの身代わりとなり、
私たちが受けるはずの十字架刑での処刑を受けてくださって、
私たちの〔生まれながらの私〕という霊を
死んだものとしてくださり、
【聖である霊】と呼ばれる方を私たちにお遣わくださり、
この方によって私たちが、
永遠のいのちで生きるようにしてくださるのですね。

今日も。

 

 

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