神のことばを、口に置いていただいて

わたしのことばをあなたの口に置き、
この手の陰にあなたをかばう。
イザヤ書51:16

私はあなたの行いを知っている。
見よ、わたしはあなたの前に
門を開けておいた。
誰もこれを閉じることはできない。
あなたは力の弱い者であるが、
わたしのことばを守り、わたしの名を
否まなかったからである。
黙示録3:8

 ヤコブ書4:1~10
 ヨハネ12:20~26(通読箇所)
   (ローズンゲン『日々の聖句』3/10;木)

 

        ―――― ☆  ――――

 

 聖書が啓示している神、
天の神、【主】、
「『わたしはある(I am)』という者」と
名乗られる方(出エジプト3:14)は、
私たち、すべての人間の身代わりとなって
十字架刑での処刑を受け、墓に納められ、
三日目、死人の中から新しいからだに復活し、
天の、【父である神】の右の座に復帰されたイエスを通して
来てくださる【聖である霊】と呼ばれる方によって、
ご自身の御思いを私たちの心に置き、
私たちの口を通してご自身の御思いを話されるのですね。
あのペンテコステの日に、【聖である霊】と呼ばれる方が
弟子たちに来られ、弟子たちが、
この方が語らせられるままにかたりはじめたように(使徒2章)。
ご自身の御手によって私たちを守り、かばってくださって。

 

 

 フィラデルフィアにある弟子たちの群れに対して、
天の御座におられるイエスは言われます。
「わたしはあなたの行いを知っている。
見よ。わたしは、だれも閉じることができない
(天の御国の)門を、あなたの前に開いておいた。
あなたは少しばかりの力があって、
わたしのことばを守り、
わたしの名を否まなかったからである」と。

 


そして、イエスの弟のヤコブは書き送っているのですね。
あなたがたの間の戦いや争いは、
どこから出て来るのでしょうか。
あなたがたのからだの中で戦う欲望から
出てくるのではありませんか。
あながたは、決して自分のものにならないと、
人殺しをします。
熱望しても手に入れることができないと、
争ったり戦ったりします。

自分のものにならないのは、
あなたがたが求めないからです。
求めても得られないのは、自分の快楽のために使おうと、
悪い動機で求めるからです。

節操のない者たち。
世を愛することは神に敵対することだと分からないのですか。
世の友となりたいと思う者はだれでも、
自分を神の敵としているのです。

それとも、聖書は意味もなく語っていると思いますか。
「神は、私たちのうちに住まわせた御霊(みたま)を、
ねたむほどに愛しておられる。
神は、さらに豊かな恵みを与えてくださる」と。
 

それで、こう言われています。
「神は高ぶる者に敵対し、へりくだった者には恵みを与える。」

ですから、神に従い、悪魔に対して対抗しなさい。
そうすれば、悪魔はあなたがたから逃げ去ります。
神に近づきなさい。
そうすれば、神はあなたがたに近づいてくださいます。

罪人たち、手をきよめなさい。
二心の者たち、心を清めなさい(単一にしなさい)。
嘆きなさい。悲しみなさい。泣きなさい。
あなたがたの笑いを悲しみに、
喜びを憂いに変えなさい。
主の御前で弊履うだりなさい。
そうすれば、主があなたがたを
高く上げてくださいます。(ヤコブ4:1~10)

 


 イエスの12弟子のヨハネの記事に戻ります。
過越の祭りで礼拝のために
エルサレムに上って来たギリシャ人が、
エスの弟子のピリポのところに来て、
「お願いします。
エスにお目にかかりたいのです」と頼んだ。

すると、イエスは彼らに応えられた。
「人の子(イエスご自身のこと)が栄光を受ける時が来ました。

まことに、まことに、あなたがたに言います。
一粒の麦は、地に落ちて死ななければ、一粒のままです。
しかし、死ぬなら、豊かな実を結びます。
自分のいのちを愛する者はそれを失い、
この世で自分のいのちを憎む者は、
それを保って永遠のいのちに至ります。

わたしに仕えるというのなら、
その人はわたしについて来なさい。
わたしがいるところに、
わたしに仕える者もいることになります。
わたしに仕えるなら、
父はその人を重んじてくださいます。」(ヨハネ12:20~26)

 


 一粒の麦のようになって、
【父である神】の御思いのとおりに
十字架刑での死を遂げられ、
【父である神】がねたむほどに大事に思っておられる
【聖である霊】と呼ばれる方を私たちにお遣わしくださり、
この方によって私たちが、ご自身と思いを一つにし、
ご自身が思われることを語り、していく者としてくださる
エスの御業(みわざ)の中へと。

今日も。

 

 

(聖書のことばへの疑問やご意見、
近くの教会を知りたい等の方、

また、婚活で広く出会いを求めたい教会に行っていないけれど、
葬儀をキリスト教でしたい、等の方、
お問い合わせは、
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イエスが、父である神の御思いのとおりを生きられたように

主を畏れることは悪を憎むこと。箴言8:13

私たちは神の作品へと、
善い行いのために、
キリスト・イエスにあって
造られたからです。
エフェソ書2:10

 Ⅰコリント10:9~13
 ヨハネ12:12~19(通読箇所)
   (ローズンゲン『日々の聖句』3/9;水)

        ―――― ☆  ――――

 聖書が啓示している神、
天の神、【主】、
「『わたしはある(I am)』という者」と
名乗られる方(出エジプト3:14)をおそれ敬うことは、
悪を憎むことにつながるのですね。

この方は、高ぶりと、おごりと、悪の道と、
ねじれごとを言う口を憎まれるのですから。

神は私たちを、イエスによって善い行いをするよう、
新しく生まれさせてくださったのですから。
 

 

 使徒パウロは書き送っています。
「また私たちは、彼らのうちのある人たちがしたように、
キリストを試みることのないようにしましょう。
彼らは蛇によって滅んでいきました。

また、彼らのうちのある人たちがしたように、
不平を言ってはいけません。
彼らは滅ぼす者によって滅ぼされました。

これらのことが彼らに起こったのは、戒めのためであり、
それが書かれたのは、世の終わりに臨んでいる私たちへの
教訓とするためです。

ですから、立っていると思う者は、
倒れないように気をつけなさい。

あなたがたの経験した試練はみな、
人の知らないものではありません。
神は真実な方です。
あなたがたを耐えられない試練にあわせることはなさいません。
むしろ、耐えられるように、試練とともに脱出の道も
備えていてくださいます。(1コリント10:9~13) 

 


12弟子のひとり、ヨハネはイエス
最後のエルサレム入城のことを次のように書き記しています。
 

その翌日、(過越の)祭りに来ていた大勢の群衆は、
エスエルサレムに来られると聞いて、
なつめ椰子(やし)の枝を持って迎えに出て行き、こう叫んだ。
「ホサナ。
祝福あれ、
主の御名によって来られる方に。イ
スラエルの王に。」

エスはろばの子を見つけて、それに乗られた。
次のように(ゼカリヤ9:9に)書いてあるとおりである。
「恐れるな、娘シオン。
見よ、あなたの王が来られる。
ろばの子に乗って。」

これらのことは、初め、弟子たちには分からなかった。
しかし、イエスが栄光を受けられた(十字架に架かって)後、
これがイエスについて書かれていることで、
それを人々がイエスに行ったのだと、彼らは思い起こした。

さて、イエスがラザロを墓から呼び出して、
死人の中からよみがえらせたときにイエスと一緒にいた群衆は、
そのことを証し続けていた。
群衆がイエスを出迎えたのは、
エスがこのしるしを行われたことを聞いたからであった。

それで、(イエスを殺そうとしていた)パリサイ人たちは
互いに言った。
「見てみなさい。何一つうまくいっていない。
見なさい。世はこぞって
あの人の後について行ってしまった。」(ヨハネ12:12~19)

 


 私たちもイエスによって完成している、
【聖である霊】と呼ばれる方によって新しく造られる神の業に
(あずか)って、善い行い、
【父である神】と思いを一つにして生きる生き方へと
進むのですね。

今日も。

 

 

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主なる神が、私たちに来てくださって

神の子が現れたのは、
悪魔の働きを滅ぼすためです。
Ⅰヨハネ3:8b(3/6の週の聖句)

見よ、主なる神がここにいる。
彼はその御腕によって
統治される。
イザヤ書40:10

身を起こし、頭を上げなさい。
あなたの救いが近づいているからだ。
ルカ21:28

 ヤコブ書1:1~6(7~11)12、13
 ヨハネ11:46~57(通読箇所)
   (ローズンゲン『日々の聖句』3/7;月)

        ―――― ☆  ――――

 【御子である神】が、人間イエスとなって
人間の歴史の中に来てくださったのは、
悪魔の働きを滅ぼすためだったのですね。

サタンと呼ばれる悪魔は、
自分が神のようになろうとして、神のさばきを受け、
滅びる運命にあるので、
私たち人間を、神の創造の目的からズレた、
「的外れ」な者にして、
私たちを道連れにしようとしているのですから。

それで、【御子である神】は、人となって人の世に来られ、
私たちすべての人間の身代わりとなり、
私たちの「的外れ」の責任をご自分の身に負って
十字架刑での処刑を受けられました。

ご自身の死によって、私たちすべての人間の、
「的外れ」になっている〔生まれたときからの私〕という霊を、
処刑が終わっているもの、死んだものとしてくださるために。

エスは、死んで墓に納められ、
その手続きを完了されたうえで、
三日目、日曜日の早朝、新しい霊のからだに復活し、
40日にわたって何度も弟子たちに現れ、
神の国のことを語り、
ご自分が確かに生きていることを弟子たちに見せたうえで、
オリーブ山で弟子たちが見守る中、上げられ、
天の、【父である神】の右の座に復帰されました。

そして、その【父である神】の右の座にあって、
死亡手続きが終わった私たちに、
もう一人の方、【聖である霊】と呼ばれる方をお遣わしくださり、
この方によって
私たち一人ひとりに対する【父である神】の御思いを
私たちの心に置き、書き記してくださって、
私たちの心に【父である神】の御思いがあるようにし、
受け入れる者が【父である神】と一つ思いになって、
【父である神】が思われることをしていく者に
してくださるのだそうです。

手や足など、からだの部分が、
その人の思うように動くように、
私たち一人ひとりを御自身のからだの部分とし、
そのからだである私たちをとして御思いを実現なさって。

主なる神は、ここに、私たちがいるところにいてくださって、
からだである私たちをとおして
この世界を統治されるのですから。
御思いのとおりに。

だから、身を起こし、頭を上げ、この、創造の目的である、
【父である神】と思いを一つにしながら生きる生き方に
回復してくださるイエスの御業(みわざ)を受け取ってほしい、と。

 
 イエスの弟のヤコブは手紙に書いています。
「私の兄弟たち。様々な試練にあうときには、
この上もない喜びと思いなさい。
あなたがたの知っているとおり、
信仰が試されると忍耐が生まれます。
その忍耐を完全に働かせなさい。
そうすれば、あはたがたは何一つ欠けたところのない、
成熟した、完全な者となります。

あなたがたのうちに、知恵にかけている人がいるなら、
その人は、だれにでも惜しみなく、
とがめることなく与えてくださる神に求めなさい。
そうすれば与えられます。

試練に耐える人は幸いです。
耐え抜いた人は、神に愛する者たちに約束された
いのちの冠を受けるからです。(ヤコブ1:2~5、12、13)

 

 

 12弟子の一人、ヨハネはイエスの言動について記しています。
兄弟ラザロが病気になったので、マルタとマリアは
エスに使いを送り、「主よ、ご覧ください。
あなたが愛しておられる者が病気です」と伝えました。

それでもイエスは、なお二日そこにとどまられたあと、
マルタとマリアのところへ行かれました。

エスが来られた時、ラザロは死んで墓に入れられ、
四日たっていました。

エスのもとに来たマリアも、
「主よ。もしここにいてくださったなら、
私の兄弟は死ななかったでしょうに」と言いました。

ラザロの墓に来たイエスは、
墓の入り口をふさいでいる石を取り除けるよう言われました。
マルタは言います。
「主よ、もう臭くなっています。四日になりますから。」

エスは彼女に言われた。
「信じるなら神の栄光を見る、と
あなたに言ったではありませんか。」

そこで彼らは墓のふたの石を取り除けた。
エスは目を上げて言われた。
「父よ、わたしの願いを聞いてくださったことを感謝します。
あなたはいつでもわたしの願いを聞いてくださると、
わたしは知っておりましたが、
周りにいる人たちのために、こう申し上げました。
あなたがわたしを遣わされたことを、
彼らが信じるようになるために。」

そう言ってから、イエスは大声で叫ばれた。
「ラザロよ、出て来なさい。」
すると、死んでいた人が、
手と足を長い布で巻かれたまま出て来た。
彼の顔は布で包まれていた。

エスは彼らに言われた。
「ほどいてやって、帰らせなさい。」

マリアのところに来ていて、
エスがなさったことを見たユダヤ人の多くが、イエスを信じた。

祭司長たちとパリサイ人たちは最高法院を招集した。
そして、その年の大祭司カヤパの、
「一人の人が民に代わって死んで、
国民全体が滅びないですむほうが、
自分たちにとって得策だ」とのことばによって、
その日以来、イエスを殺そうと企(たくら)んだ。(ヨハネ11:1~53)

 

 

 このようにしてイエスは、預言されているとおりに
エルサレムでの十字架刑での死に向かって
進んでいかれました。

そして、死と復活を経て、天の父である神の右の座に復帰され、
もう一人の方、【聖である霊】と呼ばれる方を
私たちにお遣わしくださり、
この方が私たちの内におられるようにし、この方によって
【父である神】の御思いを私たち一人ひとりの心に置き、
私たちの内に御思いがあるようにし、
私たちが【父である神】の御思いと思いを一つにして
生きるようにしてくださいます。
神の統治の中へ。

だから、身を起こし、頭を上げて。

今日も。

 

 

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目を、信頼を、この神に向けて

主よ、私の目はあなたに向いています。
私はあなたに信頼を寄せます。
私を死の力にさらさないでください。
詩141:8

エスは言う:
わたしが生きているので、
あなたがたも生きるようになる。
ヨハネ14:19

 エズラ記9:5~9、13~15
 ヨハネ11:20~27(通読箇所)
   (ローズンゲン『日々の聖句』3/4;金)

 

        ―――― ☆  ――――


 聖書が啓示している神、天の神、【主】、
「『わたしはある(I am)』という者」と
名乗られる方(出エジプト3:14)に、
私たちは目を向け、信頼を寄せるのですね。
私たちを死の力から守ってくださる方に。
 

エスが、【父である神】と思いを一つにして、
今も生きているので、
エスに信頼する私たちも、【父である神」と
思い一つにする関係の中で生きることになるのですから。

 

  
 ペルシャの王アルタクセルクセスの手紙を携えて、
祭司であり、律法の学者であるエズラ
エルサレムに帰って来とき、
指導者たちがエズラのもとに来て言いました。
「バビロンの捕囚から解放されて
イスラエルに帰って来た人たちのうち、
異国の忌み嫌うべき習慣と縁を立つことなく、
かえって、彼らの息子たちも、これらの国々の娘を妻にし、
聖なる種族がもろもろの地の民と混じり合ってしまいました。
しかも、指導者たち、代表者たちが
この不信の罪の張本人なのです。」
 

エズラは記します。
「私はこのことを聞いて、衣と上着を引き裂き、
髪の毛と髭を引き抜き、呆然として座り込んでしまった。
 

夕方のささげ物の時刻になって、打ちのめされていた私は
立ち上がり、ひざまずき、
自分の神、【主】に向かって手を伸べ広げてこう言った。
 

『私の神よ。私は恥じています。
私の神よ。私は
あなたに向かって顔を上げることを恥ずかしく思います。
私たちの咎(とが)は増し、私たちの頭より高くなり、
私たちの罪過は大きく、天にまで達したからです。
 

私たちの先祖の時代から今日まで、
私たちは大きな罪過の中にありました。
私たちのその咎(とが)のために、私たちや、私たちの王、
祭司たちは、諸国の王たちの手に渡され、剣にかけられ、
捕虜にされ、かすめ奪われ、面目を失って、
今日あるとおりです。

 

しかし今、しばらくの間、私たちの神、【主】は
そのあわれみによって、私たちに逃れの者を残し、
私たちのためにご自分の聖なるところに
一本の杭(くい)を与えてくださいました。

これは、私たちの神が私たちの目を明るくし、
奴隷の身の私たちを
少しでも生き延びさせてくださるためでした。

 

事実、私たちは奴隷です。
しかし私たちの神は、
この奴隷の身の私たちを見捨てることなく、
かえって、ペルシャの王たちによって恵みを施し、
私たちを生かして、私たちの神の宮を建て直させ、
その廃墟をもとに戻し、
ユダとエルサレムに石垣を与えてくださいました。

私たちの悪い行いと大きな罪過のゆえに、
様々なことが私たちの上に起こりましたが、
私たちの神、あなたは、
私たちの咎(とが)に値するよりも軽い罰を与え、
逃れの者をこのように私たちに与えてくださいました。

そのようなことの後で、私たちは再びあなたの命令を破って、
忌み嫌うべき行いをするこれらの民と、
姻戚関係に入ってよいのでしょうか。
あなたは怒って、ついに私たちを絶ち滅ぼし、残りの者も、
逃れの者もいないようにされるのではないでしょうか。

イスラエルの神、【主】よ、あなたは正しいお方です。
まことに今日あるとおり、
私たちは逃れの者として残されています。

ご覧ください。
私たちは罪過を負ってあなたの御前におります。
このような状態で、だれもあなたの御前に立つことが
できないにも関わらず。』」(エズラ9:5~9、13~15)

 


 使徒ヨハネは記します。

「マルタはイエスが来られたと聞いて、出迎えに行った。
マリアは家で座っていた。
 

マルタはイエスに言った。
『主よ。もしここにいてくださったなら、
私の兄弟は死ななかったでしょうに。
しかし、あなたが神にお求めになることは何でも、
神があなたにお与えになることを、私は今でも知っています。』

エスは彼女に言われた。
『あなたの兄弟はよみがえります。』
 

マルタはイエスに言った。
『終わりの日のよみがえりの時に、
私の兄弟がよみがえることは知っています。』

エスは彼女に言われた。
『わたしはよみがえりであり、いのちです。
わたしを信じる者は死んでも生きるのです。
また、生きていてわたしを信じる者はみな、
永遠に決して死ぬことがありません。
あなたは、このことを信じますか。』

彼女はイエスに言った。
『はい、主よ。私は、あなたが世に来られる
神の子キリストであると信じております。』」(ヨハネ11:20~27)

 


 私たちもエズラのように、罪で顔を上げられないような場で、
また、マルタのように、
エスに使いを出したのにイエスは来てくれなくて、
兄弟ラザロが死んでしまった悲しみの場で、
「なんで、すぐに来てくれなかったの」と
言いたてたい思いの場で、
なお、目を神に向け、信頼しいくのですね。

心の思いのさまをイエスの御前に広げ、見ていただきながら。
エスが生きているので、私たちも生きるのですから。
【聖である霊】と呼ばれる方の働きの中で。

今日も。

 

 

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町にいても祝福し、野にいても祝福しようと。あなたのいるところ、どこででも

あなたが
あなたの神、主の声に聞き従うとき、
あなたは町にいても祝福され、
野にいても祝福される。
申命記28:2~3

幸いなのは神の言葉を聞き、
それを守る人である。
ルカ11:28

 マタイ6:16~21
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私たちを祝福しようと思っておられるようですね。
だから、「わたしのことばに聞き従え」と。

 

 

 イエスは言われます。
「あなたがたが断食するときには、
偽善者たちのように暗い顔をしてはいけません。
彼らは断食していることが人に見えるように、
顔をやつれさせるのです。

まことに、あなたがたに言います。
彼らはすでに自分の報いを受けているのです。

断食するときは、頭に油を塗り、顔を洗いなさい。
それは、断食していることが、人にではなく、
隠れたところにおられるあなたの父(である神)に
見えるようにするためです。
そうすれば、隠れたところで見ておられる
あなたの父(である神)が報いてくださいます。


自分のために、地上に宝を蓄えるのはやめなさい。
そこでは虫やさびで傷物になり、
盗人が壁に穴をあけて盗みます。

自分のために、天に宝を蓄えなさい。
そこでは虫やさびで傷物になることはなく、
盗人が壁に穴をあけて盗むこともありません。
 

あなたの宝のあるところ、
そこにあなたの心もあるのです。」(マタイ6:16~21) 

 

 

 使徒ヨハネは書き記しています。
さて、ある人が病気にかかっていた。
ベタニアのラザロである。
ベタニアはマリアとその姉妹マルタの村であった。
このマリアは、主イエスに香油を塗り、
自分の髪で主イエスのぬぐったマリアで、
彼女の兄弟ラザロが病んでいたのである。

姉妹たちは、イエスのところに使いを送って言った。
「主よ、ご覧ください。
あなたが愛しておられる者が病気です。」

これを聞いて、イエスは言われた。
「この病気は死で終わるものではなく、
神の栄光のためのものです。」


エスはマルタとその姉妹とラザロを愛しておられた。
しかし、イエスはラザロが病んでいると聞いてからも、
そのときいた場所に二日とどまられた。

それからイエスは、
「もう一度ユダヤに行こう」と弟子たちに言われた。
弟子たちはイエスに言った。
「先生。ついこの間ユダヤ人たちがあなたを
石打ちにしようとしたのに、
またそこへおいでになるのですか。」

 

エスは答えられた。
「昼間は12時間あるではありませんか。
だれでも昼間歩けば、つまずくことはありません。
この世の光を見ているからです。
しかし、夜歩けばつまずきます。
その人のうちに光がないからです。」(ヨハネ11:1~10)

 


 私たちも、神の声を聞いて、それを守る幸いな人、
祝福された者になりたいですね。
【父である神】は、
エスを通して来てくださる
【聖である霊】と呼ばれる方によって、
私たちの心にご自身の御思いを置き、
私たちのうちにご自身の御思いがあるように
してくださるのですから。

その、御思いのとおりに踏み出して行って。
【聖である霊】と呼ばれる方により、
【父である神】に、報告、連絡、相談して
このかたと思いをひとつにしながら。

今日も。

 

 

 

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楽しみ、喜び、この方を慕い求めて

あなたを慕い求める人たちが
あなたにあって
楽しみ喜びますように。
詩40:17

彼らは毎日心を一つにして宮に集まり、
家々でパンを裂き、
喜びと真心をもって食事をともにし、
神を賛美し、民全体から
好意を持たれていた。
使徒2:46~47

 ルカ5:33~39
 エフェソ書6:18~24(通読箇所)
   (ローズンゲン『日々の聖句』3/1;火)

 

   ―――― ☆  ――――


 聖書が啓示している神、
天の神、【主】、
「『わたしはある(I am)』という者」と
名乗られる方(出エジプト3:14)。
この方を慕い求める者は、
この方にあって楽しみ、喜ぶようになるのですね。

エスの弟子たちが、イエスの十字架刑での死の後、
エスの新しい霊のからだへの復活、
そして、天の【父である神】の右の座に帰られたイエスが、
ペンテコステ(五旬節)の日に、
【聖である霊】と呼ばれる方を弟子たちに遣わされ、
弟子たちが、この方、【聖である霊】と呼ばれる方が
心に置かれる【父である神】の御思いを
そのままに語るようになって、
新しくイエスの弟子に加わる者が大勢起こったのですね。

そして、彼らは心を一つにし、宮に集まり、
家々では、聖餐をともにし、喜びと真心をもって食事をともにし、
他の人々からは好意を持たれて。

しかし、今までの教えに満足している人は、
このイエスによってもたらされた新しい出来事を
受け入れようとはしないのですね。
ぶどう酒は古いものの方が良いと思っている人が、
古いぶどう酒を飲んでから新しいぶどう酒を
欲しがろうとはしないように。

また、新しい服から布切れを切り取って
古い服につぎを当てたりはしません。
そんなことをすれば、新しい服もダメになるし、
新しい布切れは、古い服を引き裂いてしまいますから。

また、新しいぶどう酒を古い革袋に入れたりもしません。
新しいぶどう酒が古い革袋を破ってしまって、
革袋もぶどう酒もダメになってしまいますから。
だから、新しいぶどう酒は
新しい革袋に入れないといけないのですから。(ルカ5:36~39)

 

 

 新しい契約、
エスを通して来てくださる
【聖である霊】と呼ばれる方によって心に置かれる
【父である神】の御思いと思いを一つにして生きる者は、
【聖である霊】と呼ばれる方によって
【父である神】との親しい話し合いによって願いを知ってもらい、
いつも、この方と心を通じ合わせながら、
すべての弟子たちのため希望をもって願いをお伝えし、
また、イエスに関わる良い知らせを伝える者が、
神の奥義を大胆に語れるように願い、
様子を伝えあって、励まし合い、
神への信頼による平安と愛が、
【父である神】と主イエス・キリストから
兄弟たちにあるように、と。(エペソ6:18~24)

私たちも、【聖である霊】と呼ばれる方によって
【父である神】の御思いの中へと。
たのしみと喜びの中で。
今日も。

 

 

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愛である神を待ち望んで

ご覧なさい。
わたしたちはエルサレムに上って行きます。
人の子について、預言者を通して
書き記されているすべてのことが
実現するのです。
ルカ18:31(2/27の週の聖句)

待ち望め、主を。
安心して、悠然と待ち望め、
主を。
詩27:14

 

パウロは書いている:
私たちの希望は、
あなた方については揺るぎません。
なぜなら、あなたがたが苦難を共にし、
また慰めを共に得たことを
知っているからです。
Ⅱコリント1:7

 Ⅰコリント13:1~13
 詩31(通読箇所)
   (ローズンゲン『日々の聖句』2/27;Ⅳ日曜)

 

   ―――― ☆  ――――

 

 イエスは弟子たちに言われました。
これから上って行こうとしているエルサレムで、
人の子(イエスはご自身のことをよく、こう言われた)について、
預言者たちを通して書き記されている
すべてのことが実現する、と。

 

エスがキリストとして活動される1000年ほど前、
ダビデは、詩篇で歌っています。
この方を待ち望むように、と。
安心して、悠然と、と。

 

 

 そして、イエスが十字架刑での死刑を受け、
死んで墓に納められ、三日目、日曜日の早朝、
死人の中から新しい霊のからだに復活し、
40日にわたって何度も弟子たちに現れ、神の国のことを語り、
ご自身が、死んだけれども、確かに生きていることを
弟子たちに体験させたのち、
オリーブ山で弟子たちの見守る中、
天の、【父である神】の右の座に帰られました。

そして、その10日後のペンテコステ(五旬節)の日に、
約束の【聖である霊】と呼ばれる方が弟子たちに来られて、
弟子たちの心に【父である神】の御思いを置き、
弟子たちが、その心に来た御思いのとおりに語り出す
出来事が実現しました。

その、イエスの弟子たちを捕らえ、投獄し、滅ぼそうと
迫害の急先鋒であったパウロを、
復活されたイエスはひっくり返し、
迫害者サウロからイエスを宣べ伝える使徒パウロとされました。

そのパウロが言います。
私たちがあなたがたに対して抱いている希望は揺るぎません。
なぜなら、あなたがたが私たちと苦しみをともにしているように、
慰めもともにしていることを、私たちは知って知るからです、と。

 

 天の、【父である神】の右の座に着いておられるイエス
お遣わしくださる【聖である霊】と呼ばれる方。
 

この方は、私たちに、異言(いげん)を語ることや
預言(神の御思いを取り次ぐ)する賜物(たまもの)として
働いてくださいます。


しかし、何よりも、イエスを通して現された
【父である神】の私たちに対する愛を
現してくださる方なのですね。(Ⅰコリント13:1~13)

それで、この、【父である神】のご愛を根拠にした
私たちの希望は、揺るぐことがないのですね。

それで私たちも、この方を待ち望むのですね。
「雄々しくあれ。心を強くせよ。
すべて【主】を待ち望む者よ」(詩篇31:24)と歌いながら。

この新しい週も。

 

 

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