あざけり、ののしる者たちのために、命を献げて

私たちがまだ罪人であったとき、
キリストが
私たちのために死なれたことによって、
神は私たちに対するご自分の愛を
明らかにしておられます。
ロマ書5:8(3/13の週の聖句)

王は軍勢の大きさによって
救われるのではない。
勇者は力の大きさによって
助け出されるのではない。
詩33:16

しかし、先頭にいる多くの者は
最後になり、
最後にいる多くの者が
先頭になる。
マルコ10:31

 ロマ書5:1~5(6~11)
 詩35:1~16(通読箇所)
   (ローズンゲン『日々の聖句』3/ 13;Ⅱ日曜)

 

       ―――― ☆  ――――


 罪人、神の創造の目的(創世記1:26)、
ご自身と心を一つにする者をとの神の願いから
ズレてしまって、
「神の一人のようになり、善悪を知る者」となって、
神の創造の目的から
「的外れ」な者となってしまっている(創世記3:22)私たちを、
目的通りのものに取り戻すために、
【御子である神】が人間イエスとして人の世に来られ、
およそ、33歳の頃、私たちの身代わりとなって
十字架刑での処刑を受けてくださり、
私たちに対する神の愛を明らかにしていてくださるのですね。

「的外れ」になっている私たちは、
自分の力だけが頼みで、
力をつけることによって安心しようとし、
軍勢の大きさを頼みとしていきます。
他人よりも少しでも前に出て。

しかし、イエスは言われます。
「先にいる多くの者が後になり、
後にいる多くの者が先になります」と。
 

 

 私たち、神を求める心がなく、
神と思いを一つにしようとは思わない、
神に対立し、対抗している者ですが、
神は、その私たちのためにイエスを死に渡され、
私たちを義と認めるために
エスを死者の中からよみがえらせ、
ご自身に信頼する者に
ご自身との平和を与えてくださるのですね。


 使徒パウロは言います。
このキリストによって私たちは、信頼によって、
今立っているこの恵みに導き入れられました。
そして、神の栄光にあずかる望みを喜んでいます。

それだけではなく、苦難さえも喜んでいます。
それは、苦難が忍耐を生み出し、
忍耐が練られた品性を生み出し、
練られた品性が希望を生み出すと、
私たちは知っているからです。

この希望は失望に終わることがありません。
なぜなら、私たちに与えられた聖霊によって、
神の愛が私たちの心に注がれているからです。

実にキリストは、私たちがまだ弱かったころ、
定められた時に、不敬虔な者たちのために
死んでくださいました。
正しい人のためであっても、死ぬ人はほとんどいません。
善良な人のためなら、進んで死ぬ人がいるかもしれません。
しかし、私たちがまだ罪人であったとき、
キリストが私たちのために死なれたことによって、
神は私たちに対するご自分の愛を明らかにしておられます。

ですから、今、キリストの血によって義と認められた私たちが、
この方によって神の怒りから救われるのは、
なおいっそう確かなことです。
敵であった私たちが、御子イエスの死によって
神と和解させていただいたのなら、
和解させていただいた私たちが、
御子イエスのいのちによって救われるのは、
なおいっそう確かなことです。(ロマ5:1~10)
 

 

 私たちが頼みとする、軍勢の大きさ、
自分の力によっては救われないのですから。
神である【主】の目は主を畏れる者に
注がれるのですから。

主の恵みを待ち望む者に。

この新しい週も。

 

 

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