大きな報いがあるのですから

主に望みをおき、尋ね求める魂に、
主は幸いをお与えになる。
哀歌3:25

 

自分の確信を捨ててはいけません。
この確信には
大きな報いがあります。
ヘブル書10:35
 

 箴言9:1~10
 使徒9:1~9(通読箇所)
   (ローズンゲン『日々の聖句』6/14;月)

 

       ―――― ☆ ――—―

 

 聖書が啓示している神、
天の神、【主】、
「『わたしはある(I am)』と名乗られる方(出エジプト3:14)は、
慈しみ深い方。
ご自身に望みを置き、ご自身を求める者に
幸いを与えてくださる方。

 

私たちも、この方に望みを置き、
信頼し続けているなら、
大きな報いを得ることになるのだそうです。

 

神に対抗して自分の義を立てようとする浅はかな
〔生まれたときからの私〕という霊から出てくる思いを、
エスの十字架刑での処刑に合わせていただき、
処刑された者、死んだ者としていただき、
その自分から出てくる思いを
死んだ者から出て来たものであると認めて、
エスの御前に差し出し、受け取ってもらいながら、
神の御思いで生きることこそが、
知恵のある生き方なのだそうです。

 

神である【主】を恐れることこそ、知恵の初め、
分別、悟りの初め、なのだそうですから。

 

 

 後に、使徒パウロとされたサウロも、
最初は、エルサレムで、ステパノを殺すことに賛成し、
それだけでは満足せず、
なおもイエスの弟子たちを捕らえ、
殺害しようとして息をはずませ、

隣国シリアのダマスコにまで出かけて、
エスの弟子を男も女も見つけ出し、縛り上げて
エルサレムにひいて来ようとしていたのだそうです。

 

ところが、ダマスコの近くまで来たとき、
突然、天から光が彼の周りを照らし、
彼は地に倒れ、
そして、声があったのだそうです。

「サウロ、サウロ、なぜわたしを迫害するのか」と。

 

サウロが、「主よ、あなたはどなたですか」と言うと、
「わたしはあなたが迫害しているイエスである。
立ち上がって、町に入りなさい。
そうすれば、あなたがしなければならないことが
告げられる」との答えがあり、
サウロは立ち上がったものの、何も見えず、
手を引いてもらって
ダマスコに連れて行ってもらったのだそうです。(使徒9:1~9)

 

 サウロは、このようにしてイエスと出会い、
やがて、使徒パウロとされて行くのですが、
神は、私たちも、
このイエスを主とし、
エスが派遣してくださる
【聖である霊】と呼ばれる方が心に置いてくださる
【父である神】の御思いと思いを一つにして生きるようにと
招いていてくださるのですね。

 

 神の招きに応え、
この方に望みを置き、
この方の御前で受ける大きな報いを望み見ながら生きる
一日、一日を。

今日も。

 

 

~~~~~~~~

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「休ませてあげよう。わたしのもとに来なさい」と、私たちにも

疲れた者、重荷を負う者は、
だれでもわたしのもとに来なさい。
休ませてあげよう。
マタイ11:28(6/13の週の聖句)

 

私は主に歌を歌います。
主が私によくしてくださいましたから。
詩13:6
 

あなたがたの中で
苦しんでいる人は、祈りなさい。
喜んでいる人は、
賛美の歌をうたいなさい。
ヤコブ書5:13

 

 エフェソ書2;(11~16)17~22
 詩13(通読箇所)
   (ローズンゲン『日々の聖句』6/13;Ⅱ日曜)

 

       ―――― ☆ ――—―


 休ませたいと思っていてくださるのだそうです。
どんな人にも。
重荷から解放して。
聖書が示している天の神、【主】、
「『わたしはある(I am)』と名乗られる方(出エジプト3:14)は。

 

 そして、賛美の歌をうたうのですね。
この方に信頼し、
この方のもとに行き、
苦しみ、重荷を取ってもらい、
休みを与えてもらったものは。

 


 この神、【主】は、
神の民ではなく、他国人であって、
望みもなく、神もない者であった私たちを
イエス・キリストにあって、
エスの十字架刑での処刑で流された血によって
神の民とし、神の家族としてくださるのだそうです。

 

 他国人であった私たち一人ひとりを、
神の住まい、神殿の構成部分とし、
神がいつでもともにいてくださるものにしようと
思っていてくださるのだそうです。(エペソ:11~22)

 

 私たちもこの方に信頼し、
約束のことばのとおりにしていただき、
ダビデのように歌いながら歩みたいですね。

 

「私はあなたの恵みに拠り頼みます。
私の心はあなたの救いを喜びます。
私は【主】に歌をうたいます。
主が私に良くしてくださいましたから」と。

 

この新しい週も。

 

 

  ~~~~~~~~~~

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高ぶり、高慢は、破滅や挫折につながるのですから

破滅に先立つのは驕(おご)り。
つまずきに先立つのは
高慢の霊。
箴言16:18

 

あなたは、
兄弟の目にある屑は見えるのに、
なぜ自分の目の中にある丸太に
気付かないのか。
ルカ6:41

 

 ヨナ書1:1~16
 使徒8:26~40(通読箇所)
   (ローズンゲン『日々の聖句』6/12;土)

 

        ―――― ☆ ――—―

 


 おごり高ぶりの後には、破滅が、
高慢の後には、つまずき、挫折が続くようです。

 

 だれかの目にあるゴミには気がつくのに、
自分の目にある丸太には気がつかない。
これも私たちの心の高ぶり、高慢のせいのでしょうか。

 

 

 天の神、【主】、
「『わたしはある(I am)』と名乗られる方(出エジプト3:14)から、
アッシリア帝国の首都ニネベに行って、
「あと40日するとニネベは滅びる」と
告げて回るように言われたヨナが、
そう宣言して回るとニネベの人たちが神に立ち返り、
憐れみ深い神は思いなおして、
異邦人であり、イスラエルの敵であるニネベの人たち
赦してしまうだろうと思い、
 

神の御顔を避けて、
タルシシュ(スペイン)舟に乗り、逃げ出したのも、
神の選民であるとして自分を義とするヨナの
高ぶりのなせるわざだったのでしょうか。(ヨナ1:1~16)

 

 

 天の神、【主】は、
イスラエルをご自分の民として選ばれましたけれど、
それは、イスラエルが他の民族と比べて
良かったから、立派だったからではなく、
イスラエルを通してす
べての人を祝福するため、だったのだそうです。

 

 だから、天の神、【主】は、
異邦人、エチオビアの宦官の所に
わざわざ、ピリポを遣わされたのですね。

 

彼がエルサレムからの帰途の馬車の中で読んでいた、
ほふり場に引かれて行く羊のように、
毛を刈る者の前で黙っている子羊のように、
彼は口を開かない。
かれはいやしめられ、さばきは行われなかった。
彼の時代のことを、だれが語れるだろう。
彼のいのちは地上から取り去られたのである」

とのイザヤの預言が、
エスのことであることを説明し、

 

エスこそ、神のキリスト、救い主であることを伝えて、
異邦人である彼も、イエスに信頼し、神の民とされて、
エスを通して来てくださる【聖である霊】と呼ばれる方によって、【父である神】の御思いを心に置いていただき、
エチオピアの地においても、
【父である神】と一つ思いになって生きる者となるように、と。(使徒8:4~25)

 

 だから、私たちも心したいですね。
おごりは破滅に先立つということを。
洗礼を受けている、教会員になっている、
私たちはクリスチャンだ、と、高ぶって、
神の御心から外れて行きやすい者だということに。

 

ヨナのようになりやすい自分であることを認めて、
神の御思いを求めていく今日を。

 

 

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イエス子を、神のキリストと知って

まことに、
主は我らを正しく裁かれる方。
主は我らに法を与えられ方。
主は我らの王となって、
我らを救われる。
イザヤ書33:22

 

エスは言われた。
「あなたがたはわたしを
何者だと言うのか。」
ペトロが答えた。
「神のキリストです。」
ルカ9:20 

 

 エレミヤ書20:7~11
 使徒8:4~25(通読箇所)
   (ローズンゲン『日々の聖句』6/11;金)

     ―――― ☆ ――—―

 
 聖書が啓示している神、
天の神、【主】、
「『わたしはある(I am)』と名乗られる方(出エジプト3:14)は、
私たちを正しく裁く方。
私たちに法を与え、王として私たちを救われる方。

 

 そして、イエスこそ、その方だというのですね。

神のことばを告げる者に敵対する者をつまずかせ、
永久の恥となして。(エレミヤ20:7~11)

 

 

 イエスがこのようなお方であることを知り、
神の国イエス・キリストの名に信頼した人々は
バプテスマを受け、
エスの名によって来てくださる
【聖である霊】と呼ばれる方をお迎えし、
この方が心に置いてくださる
【父である神】の御思いと思いを一つにして生きる生き方を
始めたのだそうです。(使徒8:4~25)

 

 私たちも、イエスを、私たちを正しくさばき、
法を定められ、救われる王としてお迎えして。

今日も。

 

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愛を。自分の思いではなく、相手の思いが成ることを願う思いを

心を尽くして私はあなたを尋ね求めます。
あなたの戒めから、
迷い出ることがないようにしてください。
詩119:10

 

神を愛するとは、
神の掟を守ることです。
神の掟は難しいものではありません。
Ⅰヨハネ5:3 

 

 ヨハネ21:15~19
 使徒7:54~8:3(通読箇所)
   (ローズンゲン『日々の聖句』6/10;木)

 

   ~~~~~~~~~~


 完全な愛は、
相手の思いが実現するよう願うもののようです。
私たちは、自分の思うように
相手を従わせようとする者ですが。

 

 神の戒め、掟、御思いを実践することは、
私たちには難しいことです。

 

 しかし、神の御思いを心に持つ者には、
難しくないのだそうです。

 

 【父である神】は、
「神の一人のようになり、善悪を知る者」になって、
神からさ迷い出て、
神の創造の目的から「的外れ」になっている
私たちの〔生まれたときからの私〕という霊、
他人ひとを自分の思うように従わせようとする
〔生まれたときからの私〕を、
エスが受けてくださった
十字架刑での死に合わせてくださって
死んだもの、処刑が終わっているものと
してくださるのだそうです。

 

 そして、死んで墓に納められ、
三日目、日曜日の早朝、新しい霊のからだに復活し、
天の、【父である神】の右の座に復帰されたイエス
遣わしてくださる【聖である霊】と呼ばれる方は、
私たちの心に【父である神】の御思いを置き、
書き記してくださるのですから。

 

 【父である神】の愛の御思いが心にあり、
自分の思いが成ることではなく、
神の御思いが実現することを願う者、
神を愛する者にしていただけるのだそうですから。

 

 

 捕らえられたイエス
大祭司の家で裁判にかけられている時、
召使の女や下役たちから、
「お前も、イエスの仲間だ」と言われて、
三度も、「イエスを知らない、仲間ではない」と答えたペテロ。

 

復活したイエスは、ガリラヤ湖で、弟子たちに現れたとき、
ペテロに言われたのですね。
「あなたはわたしを愛していますか」と。
三度も。(ヨハネ21:15~19)
 

自分の思いが成ることではなく、
わたし(イエス)の思いが成ることを
願う者になっていますか、と。

 

 

 最初の殉教者となったステパノも、
ユダヤ最高法院での取り調べに対して、
自分をかばうことなく、自分の考えではなく、
【聖である霊】と呼ばれる方が心に置いてくださる御思いを
そのままに語って、
みんなの神に対する不従順を指摘し、
石打の刑にされたのですね。

 

天の、神の栄光と
神の右に立っておられるイエスの栄光を仰ぎ見ながら。

 

「主よ。この罪を彼らに負わせないでください」と祈りながら。
「主イエスよ、私の霊をお受けください」と。
神の御思いに自分を委ねて。(使徒7:54~8:3)

 

 私たちも、イエスを通して来てくださる
【聖である霊】と呼ばれる方によって
心に神を愛する思いを。

 

自分の思いが成ることではなく、
【父である神】の御思いが実現することを願いながら。
エスのように。

今日も。

 

 

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真に知恵ある者とは、神に聞く人

主の言葉を侮っていながら、
どんな知恵を持っているというのか。
エレミヤ書8:9

 

私たちは聞いたことに
いっそう注意を払わねばなりません。
そうでないと、
押し流されてしまいます。
ヘブル書2:1

 

 エゼキエル書3:22~27
 使徒7:30~53(通読箇所)
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 私たちは、自分を知恵あるものと思い、
天の神、【主】、
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ことばを侮り、退ける者です。

 

 けれども、天地の造り主、
私たち人間を造られた方を恐れることこそ、
知恵の初めなのだそうです。

 

 この世の知恵では、【父である神】が、
エスを通してなさった、救いのみわざは
理解できないことだったのですね。

 

 ですから私たちは、聞いたことにいっそう注意を払い、
しっかりと心に留めていかないと、
この世の流れに押し流されてしまうのですね。

 

 

 天の神、主は言われます。
「聞き入れようとする者は聞き入れよ。
拒もうとする者は拒むがよい」と。(エゼキエル3:27)


 私たちは、耳を閉ざし、心をかたくなにして
【聖である霊】と呼ばれる方の導きを無視し、
神に聞こうとしないものです。(使徒7:51)

 

 【聖である霊】と呼ばれる方によって、
耳を、心を開いていただいて、
【父である神】の御思いについて行く者、
一歩、踏み出す者でありたいですね。

今日も。

 

 

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平和と正義である方が、私たちの管理、監督をしてくださって

主は言われる:
わたしは平和をあなたの管理者とし、
正義をあなたの監督者とする。
イザヤ書60:17

 

神の国は、
聖霊によって与えられる義と平和と
喜びなのです。
ロマ書14:17

 

 Ⅱコリント1:23~2:4
 使徒7:1~29(通読箇所)
   (ローズンゲン『日々の聖句』6/8;火)

 


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言われるのですね。

 

平和を私たちの管理者とし、
正義を私たちの監督者とする、と。

 

それで、私たちの国の中では、もう、暴虐は聞かれず、
暴行と破滅は聞かれなくなるのだそうです。

【聖である霊】と呼ばれる方によって、
義と平和と喜びがあるのだそうですから。

 

 そのためには、愛のゆえに、
間違いをはっきり指摘することもありますが、
それは、その人を立てなくするためでななく、
互いに喜び合えるようにするためなのですね。(Ⅱコリント1:23~2:4)

 

 

 モーセが、最初、

自分の力でイスラエルの人々を

エジプトの圧制から救おうとしたときは、
「だれがおまえを、指導者やさばき人として
私たちの上に任命したのか」と言って拒否されました。(使徒7:27)

 

 私たちも、イエスを通して来てくださる
【聖である霊】と呼ばれる方を拒むことなく、
この方による、義と平和と喜びの管理の中へと。

今日も。

 

 

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