神がしようと思われることをしていく者へ

(神である主のことば)
「わたしの聖なる名を
汚してはならない。」
レビ記22:32

 

(イエスのことば)
「わたしを『主よ、主よ』と呼びながら、
なぜわたしの言うことを
行わないのですか。」
ルカ6:46

 ルカ5:33~39
 テトス書3:1~7(通読箇所)
    (ローズンゲン日々の聖句2/13;火)

 

   ―――― α&ω  ――――

 

 聖書を通しご自身を啓示している神、
天の神、【主】、
「『わたしはある(I am)』という者」と
名乗られる方(出エジプト3:14)は、聖なる方。
人間の延長線上にある神ではない、
人間とは全く別なる方なのですね。

だから、人間の延長線上にある神々と
同じ扱いをしてはならないのですね。

 

エスを「主」と呼びながら、
エスが言われることを行わないのは、
エスを「主」としていないことなのでしょうから。

 

 私たちの〔生まれたときからの私〕という霊は、
「わたしたちと思いを一つにする者を」(創世記1:26)との
神の創造の目的から的外れになっていて、
神の一人のようになり、
神を無視して自分の理性の判断だけで
善悪を決める者となっています(創世記3:22)。

神に対立、対抗する者に。

 

 その、神に従おうとしない私たちの霊を、
神はなお、惜しんでくださって、
創造の目的のとおりに回復しようと計画してくださいました。

【御子である神】が、人間イエスとして人の世に来られ、

私たちすべての人間の「的外れ」の責任を
御自身の身に負われ、

神に呪われた者となって十字架刑での死刑を受けられて。

 

神は、私たちをイエスの十字架刑での死に合体させ、
死んだものと手続きしてくださいました。

 

十字架刑での処刑を受けられたイエスは、
死んで墓に納められ、
三日目、日曜日の早朝、
死人の中から新しい霊のからだに復活され、

40日にわたって何度も弟子たちに現れ、
ご自分が確かに生きていることを弟子たちに見せ、
神の国のことを語った後、
オリーブ山で弟子たちが見守る中、上げられ、
天の【父である神】の右の座に復帰されました。

 

【父である神】は、そのイエスを通して、
もう一人の方、【聖である霊】と呼ばれる方を
私たちにお遣わしくださり、
この方によって私たちの心に、ご自身の思いを置き、
私たちのうちにご自身の思いがあるようにされます。

エレミヤ31:31~34、エゼキエル11:19~20、36:25~28、ヨハネ17::21~23)

 

それで、私たちは、
この、うちに来た神の御思いによって生きる者、
神と思いを一つにしながら生きる者にと、
新しく生まれさせていただけるのですね。
エスのことばを行う者にと。

 

 

 パリサイ人(神の律法を守ることに熱心なグループ。
自分たちは他の人たちとちがって
義人だと自負している)たちや律法学者たちは、
また、イエスに言いました。
「(バプテスマの)ヨハネの弟子たちはよく断食をし、
祈りをしています。
パリサイ人の弟子たちも同じです。
ところが、あなたの弟子たちは
食べたり飲んだりしています。」

 

それでイエスは彼らに言われました。
「花婿が一緒にいるのに、
花婿に付き添う友人たちに断食させることが、
あなたがたにできますか。
しかし、やがて時が来て、花婿が取り去られたら、
その日には彼らは断食します。」

 

エスはまた一つのたとえを彼らに話された。
「だれでも、新しい衣から布切れを引き裂いて、
古い衣に継ぎを当てたりはしません。
そんなことをすれば、その新しい衣を裂くことになり、
新しい衣から取った布切れも古い衣には合いません。
 

まただれも、新しいぶどう酒を
古い革袋に入れはしません。
そんなことをすれば、新しいぶどう酒は革袋を裂き、
ぶどう酒が流れ出て、革袋もだめになってしまいます。
新しいぶどう酒は、
新しい革袋に入れなければなりません。

 

まただれも、古いぶどう酒を飲んでから、
新しいものを望みはしません。
「古いものが良い」と言います。」(ルカ5:33~39)

 

 

 

 パウロの、テトスへの手紙は続きます。

「あなたは人々に注意を与えて、
その人々が、支配者たちと権威者たちに服し、従い、
すべての良いわざを進んでする者となるようにしなさい。
 

また、だれも中傷せず、争わず、柔和で、
すべての人にあくまで礼儀正しい者となるようにしなさい。
私たちも以前は愚かで、不従順で迷っていた者であり、
いろいろな欲望と快楽の奴隷になり、
悪意とねたみのうちに生活し、
人から憎まれ、互いに憎しみ合う者でした。
 

しかし、私たちの救い主である神のいつくしみと
人に対する愛が現れたとき、
神は、私たちが行った義のわざによってではなく、
ご自分のあわれみによって、
聖霊による再生と刷新の洗いをもって、
私たちを救ってくださいました。

 

神はこの聖霊を、
私たちの救い主イエス・キリストによって、
私たちに豊かに注いでくださったのです。

 

それは私たちがキリストの恵みによって義と認められ、
永遠のいのちの望みを抱く
相続人となるためでした。」(テトス3:1~7)

 

 

 私たちも、この、イエスを通して来てくださる
【聖である霊】と呼ばれる方によって心に来る
【父である神】の御思いと
思いを一つにして生きるのですね。
永遠のいのちの望みを抱く、神の国の相続人として。

今日も。

 

      ~~~~~~~~~~~~~~

 

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