どのような聞き方をしているでしょうか

傷ついた葦を折らず、
くすぶる灯心の火を消さず
 イザヤ書42:3a
    (8/27の週の聖句)

 

わたしは主、あなたの神、
わたしはあなたの益となることを教え、
あなたの歩むべき道に
あなたを導く。
イザヤ書48:17
 

マリアは主の足元に座って、
その話しを聞いていた。
ルカ10:39

 

 マルコ3:1~10(11,12)
 マタイ13:10~17(通読箇所)
   (ローズンゲン『日々の聖句』8/29)

 

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 聖書を通し、ご自身を啓示している方、
天の神、【主】、
「『わたしはある(I am)』という者」と
名乗られる方(出エジプト3:14)は、柔和で、心優しい方。
傷ついた葦を、切り捨ててしまったり、
消えかかってくすぶっている灯心の火を
消してしまったりなさらない方なのですね。

 

私たち、すべての人間の創造主、神として、
私たちの益となることを教えてくださり、
歩むべき道に導いてくださって。

 

それで私たちも、ベタニアのマリア
エスの足もとにペタッと座り込んで
エスの話しに聞き入っていたように、
エスの話しに、
また、イエスを通して来てくださる
【聖である霊】と呼ばれる方が心に置いてくださる
【父である神】の御思いに聞き入っていくのですね。

 

 

 マルコは、イエスについて次のように記しています。
エスは再び会堂に入られた。
そこに片手の萎(な)えた人がいた。
人々は、イエスがこの人を安息日に治すかどうか、
じっと見ていた。
エスを訴えるためであった。
 

エスは、片手の萎(な)えたその人に言われた。
「真ん中に立ちなさい。」
それから彼らに言われた。
安息日に律法にかなっているのは、善を行うことですか。
それとも悪を行うことですか。
いのちを救うことですか。
それとも殺すことですか。」
 

彼らは黙っていた。
エスは怒って彼らを見回し、
その心の頑(かたく)なさを悲しみながら、
その人に「手を伸ばしなさい」と言われた。
彼が手を伸ばすと、手は元どおりになった。

 

パリサイ人たちは出て行ってすぐに、
ヘロデ党の者たちと一緒に、
どうやってイエスを殺そうかと相談し始めた。
 

それから、イエスは弟子たちとともに湖の方に退かれた。
すると、
ガリラヤから出て来た非常に大勢の人々がついて来た。
また、ユダヤから、エルサレムから、イドマヤから、
ヨルダンの川向こうやツロ、シドンのあたりからも、
非常に大勢の人々が、
エスが行っておられることを聞いて、
みもとにやって来た。

 

エスは、群衆が押し寄せて来ないように、
ご自分のために小舟を用意しておくように、
弟子たちに言われた。
エスが多くにお人を癒(いや)されたので、
病気に悩む人たちがみな、イエスにさわろうとして、
みもとに押し寄せて来たのである。

(けが)れた霊どもは、
エスを見るたびに御前にひれ伏して
「あなたは神の子です」と叫んだ。
エスはご自身のことを知らせないように、
彼らを厳しく戒められた。(マルコ3:1~12)

 

 

 イエスが、たとえで、
農夫が種を蒔きに行った時、ある種は道ばたに、
ある種は土の薄い岩地に、
ある種は茨の間に落ちて実を結ぶまでに至らなかったが、
良い地に落ち落ちた種は100倍、60倍、
30倍の実を結んだという話をされました。
その時のマタイの記事は続きます。
 

すると、弟子たちが近寄って来て、イエス
「なぜ、彼らにたとえでお話しになるのですか」と言った。
エスは答えられた。
「あなたがたには
天の御国の奥義を知ることが許されていますが、
あの人たちには許されていません。
持っている人は与えられてもっと豊かになり、
持っていない人は
持っているものまで取り上げられるのです。

わたしが彼らにたとえで話すのは、
彼らが見てはいるが見ず、聞いているが聞かず、
悟ることもしないからです。
 

こうしてイザヤの告げた預言が、
彼らにおいて実現したのです。
「あなたがたは聞くには聞くが、
決して悟ることはない。
見るには見るが、決して知ることはない。
この民の心は鈍くなり、
耳は遠くなり、目は閉じているからである。
彼らがその目で見ることも、耳で聞くことも、
心で悟ることも、立ち返ることもないように。」


しかし、あなたがたの目は見ているから幸いです。
あなたがたの耳は聞いているから幸いです。
まことに、あなたがたに言います。
多くの預言者や義人たちが、
あなたがたの見ているものを見たいと切に願ったのに、
見られず、
あなたがたのきいている子をと聞きたいと切に願ったのに、
聞けませんでした。」(マタイ13:10~17)

 


 このように、同じことを見、同じことばを聞いても、
受け取り方は人により様々なのですね。
エスのことばを聞き、そのみわざを見ても、
いよいよ、イエスに反対し、
エスを殺そうとする者もあれば、
マリアのようにイエスの言葉に聞き入っていく者、
エスについて行く者もあるのですから。

 

私たちも、この方こそ私の神、
私の人生を歩むべき道に導いてくださる方と認めて、
この方に聞いていく者、ついて行く者でありたいですね。

エスを通して来てくださる
【聖である霊】と呼ばれる方が、
【父である神】の私に対する御思いを
私の心に置いてくださるのですから。

 

傷つき、折れかけている葦のような私たちを
折ってしまうことなく、
消えかけてくすぶっているような私たちを、
吹き消してしまうこともしないで。

今日も。

 

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