神と思いを一つにして生きる生き方へ

主よ、私は
集会の中であなたを賛美しよう。
詩篇22:23

 

 (イエスの、父である神への弟子たちのための祈り)
あなたがくださった栄光を、
わたしは彼らに与えました。
わたしたちが一つであるように、
彼らも一つになるためです。
ヨハネ17:22

 

 フィレモン書1~16(17~22)
 マタイ16:13~23(通読箇所)
   (ローズンゲン日々の聖句9/13;水)

 

   ―――― α&ω  ――――

 

 イエスは、ご自分が父である神から受けている栄光を、
弟子たち(私たち)に与えてくださっている、
というのですね。

「わたしたち」、
【父である神】、【御子である神】、
【聖である霊】と呼ばれる神が、
愛において、自由意思で、自発的に一つになっておられる、
思いを一つにしておられる、
その一つに私たちも加わるように、と。
私たちにも、ご自身と同じ栄光を着せてくださって。

それで、私たちも集会の中でこの方を賛美するのですね。

 

 

 この、愛における神との一つの中にあって
パウロはピレモンに書き送っています。

 キリスト・イエスの囚人パウロと兄弟テモテから、
私の愛する同労者ピレモンと、姉妹アッピア
私たちの戦友アルキポ、
ならびに、あなたの家にある教会へ。

 

 私たちの父なる神と、主イエス・キリストから、
恵みと平安があなたがたにありますように。

私は祈るとき、いつもあなたのことを思い、
私の神に感謝しています。
あなたが主イエスに対して抱いていて、
すべての聖徒たちに向けている、
愛と信頼について聞いているからです。

 

私たちの間でキリストのためになされている良い行いを、
すべて知ることによって、あなたの信仰の交わりが
生き生きとしたものになりますように。

私はあなたの愛によって多くの喜びと慰めを得ました。
それは、兄弟よ、あなたによって
聖徒たちが安心を得たからです。

 

 ですから、あなたがなすべきことを、私はキリストにあって、
全く遠慮せずに命じることもできるのですが、
むしろ愛のゆえに懇願します。
 

このとおり年老いて、
今またキリスト・イエスの囚人となっているパウロが、
獄中で生んだわが子オネシモ
(有益な者という意味の名前)のことを、
あなたにお願いしたいのです。

 

彼は、以前はあなたにとって役に立たない者でしたが
(オネシモはピレモンの奴隷だったが、
主人に物を盗んで逃亡していたと思われる)、
今は、あなたにとっても私にとっても(名前のとおりに)
役に立つ者になっています。

そのオネシモをあなたのもとに送り返します。
彼は私の心そのものです。
私は、彼を私のもとにとどめておき、
獄中にいる間、福音のためにあなたに代わって
私に仕えてもらおうと思いました。

 

しかし、あなたの同意なしには
何も行いたくありませんでした。
それは、あなたの親切が強いられたものではなく、
自発的なものとなるためです。
 

オネシモがしばらくの間あなたから離されたのは、
おそらく、あなたが永久に
彼を取り戻すためであったのでしょう。
もはや奴隷としてではなく、奴隷以上の者、
愛する兄弟としてです。
特に私にとっては愛する兄弟ですが、あなたにとっては、
肉においても主にあっても、
なおのことそうではありませんか。

 

ですから、あなたが私を仲間の者と思うなら、
私を迎えるようにオネシモを迎えてください。
もし彼があなたに何か損害を与えたか、
負債を負っているなら、その請求は私にしてください。
パウロが自分の手で、「私が償います」と書いています
(これ以外の所は、口述筆記で他の人が書いている)。

 

あなたが、あなた自身のことで
私にもっと負債があることは、言わないことにします。
そうです。兄弟よ。私は主にあって、
あなたの厚意にあずかりたいのです。
私をキリストにあって安心させてください。
 

私はあなたの従順を確信して書いています。
私が言う以上のことまで、あなたはしてくださると、
分かっています。
 

同時に、私の宿も用意しておいてください。
あなたがたの祈りによって、
私はあなたがたのもとに行くことが許されると
期待しているからです
パウロは、この、1回目の投獄のときは、
釈放される希望を持っていたので)。(ピレモン書1~22)

 

 

 マタイによるイエスの記事に戻ります。
 さて、ピリポ・カイザリアの地方に行かれたとき、
エスは弟子たちに「人々は人の子
(イエスはご自分のことをよくこう言われた)を
だれだといっていますか」とお尋ねになった。

彼らは言った。「バプテスマのヨハネだという人たちも、
エリヤだという人たちもいます。
またほかの人たちはエレミヤだとか、
預言者の一人だとか言っています。」

 

エスは彼らに言われた。
「あなたがたは、わたしをだれだといいますか。」

シモン・ペテロが答えた。
「あなたは生ける神の子キリストです。」

すると、イエスは彼に答えられた。
「バルヨナ・シモン
(ヨナの子シモン、ペテロの本名はシモン)、
あなたは幸いです。
このことをあなたに明らかにしたのは血肉ではなく、
天におられるわたしの父です。

そこで、わたしもあなたに言います。
あなたはペテロ(ペトロス=石)です。
わたしはこの岩(ペトラ=岩)の上に、
わたしの教会を建てます。
よみの門もそれに打ち勝つことはできません。
わたしはあなたに天の御国の鍵を与えます。
あなたが地上でつなぐことは
天においてもつながれ(ており)、
あなたが地上で解くことは天においても解かれ(てい)ます。

 そのときイエスは弟子たちに、
ご自分がキリストであることをだれにも言ってはならない、
と命じられた。
そのときからイエスは、ご自分がエルサレムに行って、
長老たち、祭司長たち、律法学者たちから
多くの苦しみを受け、殺され、
三日目によみがえらなければならないことを、
弟子たちに示し始められた。

すると、ペテロはイエスをわきにお連れして、
いさめ始めた。
「主よ、とんでもないことです。
そんなことがあなたに起こるはずがありません。」

 

しかし、イエスは振り向いてペテロに言われた。
「下がれ、サタン。
あなたは、わたしをつまずかせるものだ。
あなたは神のことを思わないで、
人のことを思っている。」(マタイ16:13~23)

 

 

 【父である神】は、
パウロがピレモンに書き送っているように、
私たちにも、強制されて、
あるいは、「ねばならないから」ではなく、
自由意思で、自発的に、自分から進んで、
愛し合う、信頼し合う関係になりたいと
思っておられるのですね。
だから、「あなたの同意なしにはなにも行いたくない」と。

愛において、自由意思で、自発的に、自分から進んで、
思いを一つにし合う関係に入ってほしい、と。

 

 

 やがてイエスは、弟子たちに示されたとおりに、
エルサレムに上り、
長老たち、祭司長たち、律法学者たちから捨てられ、
十字架刑での処刑を受けられ、
死んで墓に納められました。

 

しかし、三日目、日曜日の早朝、
新しい霊のからだに復活し、
40日にわたって何度も弟子たちに現れ、
神の国のことを語り、
公衆の面前で確かに死んだ自分が
まさに生きていることを見せたのち、
オリーブ山で弟子たちが見守る中、上げられ、
天の、【父である神】の右の座に復帰されました。

そして、その【神の子】の位にあって、もう一人の方、
【聖である霊】と呼ばれる方を私たちにお遣わしくださり、
この方によって私たちの心に
【父である神】の御思いを置き、書き記して、
私たちのうちに【父である神】の御思いがあるようにし、
私たちが、【父である神】と
思いを一つにしながら生きる者となって、
【父である神】がしようと思われることをしていく者に
してくださる、というのですから。

 

 この方をほめたたえる中で、
いよいよ、この神と思いを一つにしながら生きる生き方へ。

今日も。

 

      ~~~~~~~~~~~~~~


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