天の神、【主】との信頼関係の中で、人は生きるのですから

見よ、頑迷な者は、
その心に安らぎを得ることがない。
正しい人は
その信仰(神への信頼)によって
生きる。
ハバクク書2:4(独)

 

それゆえ、
あらゆる汚れや甚だしい悪を捨て去り、
植え付けられた御言葉を
謙虚に受け入れなさい。
御言葉は、あなたがたの魂を
救うことができます。
ヤコブ書1:21

 

 Ⅰテモテ4:6~16
 マタイ9:27~34(通読箇所)
   (ローズンゲン『日々の聖句』8/10;木)

 

   ―――― α&ω  ――――

 

 頑迷な者、自分の考えに自信があり、うぬぼれている者、
自分の考えに立つ者は、心が直ぐでなく、
安らぎがないのですね。

 

しかし、神のことばに柔軟で、信頼してついて行く人は、
正しい、あるべき場に自分を置き、
生きることができると言われています。

 

 イエスが受けてくださった
十字架刑での死刑に合わせていただいて、
創造の目的から「的外れ」になっている
私自身である〔生まれたときからの私〕という霊を
死刑になったもの、死んだものとしていただいた者。

そして、死んで墓に納められ、
三日目、日曜日の早朝、新しい霊のからだに復活し、
40日にわたって何度も弟子たちに現れ、
神の国のことを語り、
自分が確かに生きていることを見せた後、
オリーブ山で弟子たちが見守る中、上げられ、
天の、【父である神】の右の座に復帰されたイエス

 

そのイエスを通して来てくださる
【聖である霊】と呼ばれる方。

 

その方が心に置いてくださる
【父である神】の御思いで生きるようになった者は、
あらゆる汚(けが)れ、
あふれ出て来る甚(はなは)だしい悪を
エスの御前に投げ捨てながら、
心に来た【父である神】の御思いで生きるように
していただけるのですね。
それを素直に受け入れて。

 

みことば、【父である神】の御思いは、
私たちのたましいを救ってくれるのですから。

 

 

 パウロは、若い弟子テモテに書き送っています。

これらのことを兄弟たちに教えるなら、
あなたは、信仰のことばと、
自分が従って来た良い教えのことばで養われて、
キリスト・イエスの立派な奉仕者になります。

俗悪で愚にもつかない作り話を避けなさい。
むしろ、敬虔(けいけん)のために自分自身を鍛錬しなさい。
肉体の鍛錬は少しは有益ですが、
今のいのちと来るべきいのちを約束する敬虔は、
すべて有益です。

 

このことばは真実であり、
そのまま受け入れるに値するものです。
私たちが労苦し、苦闘しているのは、
すべての人々の救い主である生ける神に、
望みを置いているからです。

 

あなたはこれらのことを命じ、また教えなさい。
あなたは、年が若いからといって、
だれにも軽くみられないようにしなさい。

むしろ、ことば、態度、愛、信仰、純潔において
信者の模範となりなさい。

 

私が行くまで、聖書の朗読と勧めと教えに専念しなさい。
長老たちによる按手を受けたとき、
預言によって与えられた、
あなたのうちにある賜物を軽んじてはいけません。

 

これらのことに心を砕き、ひたすら励みなさい。
そうすれば、あなたの進歩は
すべての人に明らかになるでしょう。
自分自身にも、教えることにも、よく気をつけなさい。
働きをあくまでも続けなさい。
そうすれば、自分自身と、あなたの教えを聞く人たちとを、
救うことになるのです。(Ⅰテモテ4:6~16)

 

 

 マタイのイエスについての記事は続きます。

エスがそこから進んで行くと、
目の見えない二人の人が、
ダビデの子よ、私たちをあわれんでください」
と叫び続けながらついて来た。

 

エスが家の入られると、その人たちがみもとに来た。
エスが、
「わたしにそれができると信じるのか」と言われると、
彼らは「はい、主よ。」と言った。

 

そこでイエスは彼らの目にさわって、
「あなたがたの信仰のとおりになれ」と言われた。
すると、彼らの目が開(あ)いた。
エスは彼らに厳しく命じて、
「だれにも知られないように気をつけなさい」と言われた。
しかし、彼らは出て行って、
その地方全体にイエスのことを言い広めた。

 

 その人たちが出て行くと、
見よ、人々はイエスのもとに、
悪霊に憑かれて口のきけない人を連れて来た。
悪霊が追い出されると、
口のきけない人がものを言うようになった。
群衆は驚いて、「こんなことはイスラエルで、
いまだかって起こったことがない」と言った。

しかし、パリサイ人たちは、
「彼は悪霊どものかしらによって
悪霊どもを追い出しているのだ」と言った。(マタイ9:27~34) 

 

 

 イザヤ書35章5、6節には、
「そのとき、目の見えない者の目は開かれ、
耳の聞こえない者の耳は開けられる。
そのとき、足の萎(な)えた者は鹿のように飛び跳ね、
口のきけない者の舌は喜び歌う。
荒野に水が流れ出し、荒地に川が流れるからだ」

とあります。

 

このような、イエスの、キリストとしての
すばらしいしるしとしての御業(みわざ)を見ても、
先入観、自分の聖書の知識の不足のゆえに、
エスを拒否し反対するパリサイ人たち。
頑迷さの見本のようです。

 

 私たちも、自分が知っているところは、
ほんの一部分でしかないことを認めて、
柔軟な心で神の御業を受け入れていきたいですね。
エスを通して来てくださる
【聖である霊】と呼ばれる方は、
【父である神】の御思いを
私たちの心に置いてくださるのですから。

 

聖書をよく読み、みことばを謙虚に受け入れ、
聖書のことばによる裏付けを得ながら。

今日も。

 

      ~~~~~~~~~~~~~~ 


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