天の父、求めて来る者に良いものを用意して待っていてくださる方

アダムは妻と一緒に、
主である神の御顔を避けた。
創世記3:8(独)

愛には恐れがない。
完全な愛は
恐れを締め出します。
Ⅰヨハネ4:18

 使徒10:(21~23)24~36
 マタイ7:7~11(通読箇所)
   (ローズンゲン『日々の聖句』7/26;水) 

 

    ―――― α&ω  ――――

 

 神である【主】の、
「さあ、人をわれわれのかたちとして、
われわれの似姿に造ろう」(創世記1:26)との願いによって、
愛し合い、神と思いを一つにする者にと創造された人間。


しかし、最初の人アダムとエバは、
その創造された場に留まることを良しとせず、
もっと素晴らしい者に、
神のようになって善悪を知る者になろうとして、
「われわれ(神)の一人のようになり、善悪を知る者」
になってしまいました。
神である【主】の創造の目的から「的外れ」な者に。

 

そして、目が開かれ、
自分が裸なのを知ったアダムとエバは、
「あなたはどこにいるのか」との神の呼びかけに、
恐れて、園の木の間に身を隠した、のですね。
それまでは、ありのままで
神である【主】との交わりの中に居れたのに。

 

ヨハネは書いています。

「愛には恐れがない。
完全な愛は恐れを締め出します」と。
 

エスによって現された
神である【主】の私たちに対する愛は完全であり、
私たちの恐れさえも締め出してしまうのですね。

 

 

 イエス在世当時のユダヤ人は、
異邦人、ユダヤ人以外の外国人は、
律法を持たない汚れた民であり、
交わったり、訪問したりすると汚(けが)れてしまう、
としていました。

 

それで、当初、イエスの弟子たちはユダヤ人だけでした。
けれども、イエス十字架刑での死と復活、
そして、天の【父である神】の右の座への復帰により、
私たち人間に来てくださる
【聖である霊】と呼ばれる方の出来事は、
ユダヤ人の枠の中だけに留まるものではなく、
すべての人間、全世界に広がるものでした。(使徒1:8)

 

この福音、うれしい知らせが
ユダヤ人の壁を越えて異邦人へと広がるためには、
ユダヤ人のこの固定観念が破られる必要があり、
そのために神である【主】は、ペテロを用いられました。

 

その時の様子をルカは次のように記しています。
ヤッファ(テルアビブにある地区)の
皮なめしシモンの家に泊まっていたペテロは、
人々が昼食の用意をしている間、
祈るため屋上に上りました。
そして夢心地になった。

 

すると天が開け、
大きな敷布のような入れ物が、
四隅をつるされて地上に降りて来るのが見えた。
その中には、あらゆる四つ足の動物、
地を這(は)うもの、空の鳥がいた。
 

そして彼に、
「ペテロよ、立ち上がり、屠(ほふ)って食べなさい」
という声が聞こえた。
しかし、ペテロは言った。
「主よ、そんなことはできません。
私はまだ一度も、きよくない物や汚(けが)れた物を
食べたことがありません。」

すると、もう一度声が聞こえた。
「神がきよめた物を、
あなたがきよくないと言ってはならない。」

 

このようなことが三回あってから、
すぐにその入れ物は天に引き上げられた。

ペテロは幻について思い巡らしていたが、
御霊が彼に言われた。
「見なさい。三人の人があなたを訪ねて来ています。
さあ、下に降りて行き、
ためらわずに彼らと一緒に行きなさい。
わたしが彼らを遣(つか)わしたのです。

 

そこでペテロは、
その人たちのところに降りて行って、言った。
「あなたがたが探しているのは、この私です。
どんなご用でおいでになったのですか。」

すると、彼らは言った。
「正しい人で、神を恐れ、ユダヤの民全体に評判のよい
(異邦人、ローマ軍の)百人隊長コルネリウスが、
あなたを自分の家に招いて、あなたから話を聞くようにと、
聖なる御使いから示されました。」
それでペテロは、彼らを迎え入れて泊まらせた。

 

翌日、ペテロは立って、彼らと一緒に出かけた。
ヤッファの兄弟たちも数人同行した。
そして次の日、ペテロはカイサリアに着いた。
コルネリウスは、親族や親しい友人たちを呼び集めて、
彼らを待っていた。
 

ペテロが着くと、コルネリウスは迎えに出て、
足もとにひれ伏して拝んだ。
するとペテロは彼を起こして、
「お立ちください。私も同じ人間です」と言った。
 

そして、コルネリウスとことばを交わしながら家に入り、
多くの人が集まっているのを見て、
その人たちにこう言った。
「ご存じのとおり、ユダヤ人には、外国人と交わったり、
外国人を訪問したりすることは許されていません。
ところが、神は私に、
どんな人のことも、きよくない者であるとか
(けが)れた者であるとか言ってはならないことを、
示してくださいました。
それで、お招きを受けたとき、ためらうことなく来たのです。
そこでお尋ねしますが、あなたがたは、どういうわけで
私をお招きになったのですか。」

 

すると、コルネリウスが言った。
「四日前のこの時刻に,
私が家で三時の祈りをしていますと、
なんと、輝いた衣を着た人が私の前に立って、
こう言いました。
コルネリウス
あなたの祈りは聞き入れられ、
あなたの施しは神の前に覚えられています。
だから、ヤッファに人を送って、
ペテロと呼ばれるシモンを招きなさい。
この人は海辺にある、
皮なめし職人のシモンの家に泊まっています。』

 

それで、私はすぐにあなたのところに人を送ったのです。
ようこそおいでくださいました。
今、私たちはみな、主があなたにお命じになった
すべてのことを伺おうとして、御前に出ております。」

 

そこで、ペテロは口を開いてこう言った。
「これで私は、はっきり分かりました。
はえこひいきをする方ではなく、
どこの国の人であっても、神を恐れ、正義を行う人は、
神に受け入れられます。
神はイスラエルの子らにみことばを送り、
イエス・キリストによって平和の福音を宣べ伝えられました。
このイエス・キリストは、
すべての人の王です。」(使徒10:9~36)

 

 

 また、イエスは言われました。

「求め(続け)なさい。
そうすれば与えられます。
探し(続け)なさい。
そうすれば見出します。
(門を)たたき(続け)なさい。
そうすれば開かれます。
だれでも、求めるものは受け、
探す者は見出し、
(門を)たたく者には開かれます。

 

あなたがたのうちのだれが、
自分の子がパンを求めているのに石を与えるでしょうか。
魚を求めているのに、蛇を与えるでしょうか。
このように、あなたがたは悪い者であっても、
自分の子どもには良いものを与えることを
知っているのです。
それならなおのこと、天におられるあなたがたの父は、
ご自分に求める者たちに、
良いものを与えてくださらないことがあるでしょうか。」(マタイ7:7~11)

 

 

 かつて私たちは、異邦人で、無割礼の者、
キリストから遠く離れ、イスラエルの民から除外され、
約束の契約については他国人で、
この世にあって望みもなく、神のない者たちでした。
 

しかし、今では、
エスの十字架刑での死と
三日目の、死人の中からの新しい霊のからだへの復活、
そして、天の、【父である神】の右の座に復帰された
エスを通して来てくださる
【聖である霊】と呼ばれる方によって
【父である神】の御思いを心に置いていただき、
【父である神】と思いを一つにして生きる者、
神の子にしていただき、
神の子の生き方をする者になって、
「アバ、父よ」と呼ぶ者になっています。

 

だから、イエスが言われる
「天におられるあなたがたの父は、
ご自分に求める者たちに、
良いものを与えてくださらないことがあるでしょうか」は、
私のこととして受けていけるのですね。

 

アダムのように自分の失敗、ダメな実態を見て、
身を隠す者ではなく、
神の愛に信頼して、
失敗や必要の一つひとつ、
思い煩いの一つひとつ、
思いのそのままを話していって、
聞いていただき、知っていただきながら、
【聖である霊】と呼ばれる方によって心に来る
【父である神】の御思いと思いを合わせて踏み出してみる
生き方をする者に、と。

今日も。

 

      ~~~~~~~~~~~~~~ 


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