目に見えない神の国の国民としていただいて

神々の神、主は語りかけ、
日の出るところから日の沈むところまで、
地に呼びかける。
詩篇50:1

 

神の国
目に見える形で来るのではありません。
「見よ、ここだ」とか、「あそこだ」とか
言えるものではありません。
見なさい。神の国
あなたがたのただ中に
あるのです。
ルカ17:20~21

 

 Ⅰペトロ4:7~11
 創世記37:1~36(通読箇所)
   (ローズンゲン『日々の聖句』6/17;土)

 

     ―――― α&ω  ――――

 

 聖書が神の国というとき、
見える神の国
国土とか国民、統治形態などを持った神の国と、
見えない神の国
神の統治、神の支配をさす二面があるようです。

 

エスが、
「悔い改めなさい(方向転換して神に向き変りなさい)。
天の御国が近づいたから」(マタイ4:17)
と言われた神の国は、見えない神の国
神の統治、神の支配のことのようです。

 

だから、私たち一人ひとりがこの方の主権認め、
受け入れて、その統治のもとに入る、
そこが神の統治、神の国があるところになる、と。 

 

 

 私たちは、神が人間を創造されたその目的、
「さあ、人をわれわれのかたちとして、
われわれの似姿に造ろう」(創世記1:26)
との場に留まることをせず、
「神の一人のようになり、
善悪を知る」ようになっている(創世記3:22)者なのですね。

 

神に対立、対抗し、神の向こうを張って、
自分を神の上にいる者にしようと。
それで私たちは、神の権威、神の統治に
服そうとしない性質を持っています。

 

 

 神はそのような創造の目的から「的外れ」になり、
滅びるしかない私たち人間を、
なお、大切に思い、惜しんでくださって、
私たちを創造の目的のとおりに、
愛において、自由意思で、自発的に、
ご自身と思いを通い合わせ、心を一つにしていく者に
回復させようとなさいました。

私たちを、ご自身の子ども、家族となるようにと。

 

【独り子なる神】、【御子である神】が、
天の栄光の座をあとにして、人間イエス(神は救う)となって
人間の歴史の中に来られ、
およそ、33歳の頃、
私たちすべての人間の身代わりとなり、
神に呪われた者となって、
十字架刑での死刑を受け切ってくださいました。

 

エスのこの死によって、【父である神】は、
「神の一人のようになり、善悪を知る者」となっている
私たちの〔生まれたときからの私〕という霊を
死刑が完了したもの、死んだ者と手続きしてくださっている、
というのですね。

 

 

 十字架に架かられたイエスは、
ローマ兵によってわき腹を槍で刺されて
死んでいることを確認された後、
近くにあったアリマタヤのヨセフが
自分のために掘ってあった墓に納められました。

 

そして、イエスは、安息日が開けた三日目の日曜日の早朝、
新しい霊のからだに復活して、
まずマグダラのマリアに現れ、
その後、40日にわたって何度も弟子たちに現れて、
神の国のことを語り、
ご自分が確かに生きていることを証明されました。

 

そして、オリーブ山で弟子たちが見守る中、上げられ、
雲に迎えられて見えなくなり、
天の、【父である神】の右の座に復帰されました。

 

エルサレムから離れないで、
わたしから聞いた父の約束を待ちなさい。
あなたがたは間もなく、
聖霊によるバプテスマを授けられるからです」と言い残して。

 

 

そしてその10日後、
ペンテコステ(五旬節、
モーセを通してシナイ山で律法が与えられた、
古い契約が結ばれた記念日)に、
約束の【聖である霊】と呼ばれる方が弟子たちに来られて、
弟子たちはこの方が語らせられるままに語り出す、
ということが起こりました(使徒2:1~6)。

約束されていた「新しい契約」の始まりが。

 

 

 このようにして、十字架刑での死刑を完了し、
新しい霊のからだに復活し、
【父である神】の道の座に帰られたイエスを通して、
聖霊なる神】、【聖である霊】と呼ばれる方が
私たち人間に来られ、
私たちの心に【父である神】の御思いを置き、
書き記して、
私たちのうちに【父である神】の御思いがあるようにし、
私たちが【父である神】と思いを一つにして生きる、
「われわれのかたち、われわれの似姿」(創世記1:26)が
回復され、私たちはこの地上での生を、
この「神と思いを一つにして生きる」練習のときとし、
【父である神】がしようと思われることを地になしていく
歩みをしていくのですね。

エレミヤ31:31~34、エゼキエル36:25~28、
ヨハネ17::21~23などに預言されているとおりに。

 

 

 それで私たちは、
【聖である霊】と呼ばれる方が心に置いてくださる
【父である神】の御思いのとおりに、
万物の終わりが近づいていることを覚え、
神との語り合うために、
心を整え、身を慎むようにしようと思うのですね。

 

互いに熱心に愛し合い、多くの罪を覆っていこうと。
不平は、イエスの御前に差し出し、
見てもらい、受け取ってもらいながら、
互いにもてなし合いたいと。

 

それぞれ、受けている神からの賜物を
神の様々な恵みの管理者として、
その賜物を用いて互いに仕え合おうと。

語る時は、神のことばにふさわしく語り、
奉仕するのであれば、
神が備えてくださる力によって奉仕していこう、と。
 

すべてにおいて、
イエス・キリストを通して神があがめられるように、と。

この方に
栄光と力が世々限りなくありますように、と願う者へ、と。

今日も。

 

      ~~~~~~~~~~~~~~ 


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