イエスの愛の御業の中で、私たちも愛し合えるようになって

モーセの言葉)
見よ、
私は今日、あなたがたの前に
祝福と呪いを置く。
もし、今日私が命じる、
あなたがたの神、主の戒めに
聞き従うならば祝福を、
もし、あなたがたの神、主の戒めに
聞き従わなければ、
呪いを置く。
申命記11:26~28

 

 (イエスの言葉)
あなたがたも、
わたしの戒めを守るなら、
わたしの愛に
とどまっていることになる。
ヨハネ15:10

 

 ガラテヤ書2:16~21
 ロマ書8:26~30(通読箇所)
   (ローズンゲン『日々の聖句』3/11;土)

 

   ―――― ☆  ――――

 

 聖書が啓示している神、
天の神、【主】、
「『わたしはある(I am)』という者」と
名乗られる方(出エジプト3:14)は、
「われわれの方として、われわれの似姿」の者が欲しいと
願われたのだそうです。

 

「われわれ」、
【父である神】、【御子(みこ)である神】、
【聖である霊】と呼ばれる神が、
それぞれ、全知、全能、永遠不変の方でありながら、
愛し合ってておられるゆえに、
自分の思いを主張するのでなく、
自由意思で、自発的に、自分から進んで、
相手の思いが成るようにと願って、
思いを一つにしておられる、
その思いを一つにする関係に加わる者が、もっと欲しいと。
 

その計画を実行しようとするとき、
一つの問題が予想されました。

 

それは、その造られた者が、
与えられた自由意思のゆえに、
神と思いを一つにするよりも
自分の思いを主張する者になり、
この創造の目的から「的外れ」な者になるだろうと。

 

そのとき、
【聖である霊】と呼ばれる神が言われたのでしょうね。

 

「そのときは、わたしが行って、
彼らの心に【父である神】の御思いを置き、書き記して、
心に【父である神】の御思いがあるようにし、
われわれと思いを一つにして生きることができるようにし、
われわれと一つになる関係を回復しましょう」と。

 

そして、【御子である神】が言われたのでしょうね。
「では、わたしが人間となって人の世に降(くだ)り、
すべての人間の「的外れ」の責任をわたしが負って
処罰を受け、
聖霊なる神】が、人のところに行かれても、
人間が滅びてしまわないようにしましょう」と。

 

 

それで、神である【主】は、
人間が住むためのこの宇宙、地球の自然環境を整え、
人間が
何一つ不自由をしないで生きられるようにされたうえで、
いよいよ、「さあ、人を造ろう」ということになったようです。
      (創世記1:1~31)

 

そのようにして、
神の御思いのとおりに創造されたアダムとエバでしたが、
予想されたように、
神と思いを一つにしていく生き方よりも、
もっと素晴らしい者になろうとして、
「神のうちのひとりのようになり、善悪を知る者」になる道を
選んでしまったのだそうです。

 

神である主の「向こうを張り」、
神に反逆、敵対、対抗して、
神の上に立とうとする、サタンと同じ性質をもつ者に。
     (創世記3:1~24、イザヤ14:12~14)

 

それで、
【御子である神】が、人となって人の世に来られ、
すべての人間の身代わりとなって
人間の「的外れ」の責任を負われること、
その完了を待って、
【聖である霊】と呼ばれる神が人間のうちに来られて、
【父である神】の御思いを人のうち置き、書き記して、
【父である神】の御思いが人のうちにあるようにされる
その計画を進められるにあたって、
一つの問題がありました。

 

それは、人間が、
「私たちにだって、その気になれば、
あなたの言われるとおりにちゃんとやっていけますよ。
だから、【御子である神】が、
私たちのために身代わりになって死ぬなんてことは
必要ありません。
そんな無駄なことはやめなさい」
と言うだろうということでした。

 

それで、神である【主】は、そのようにさせて、
人間がその気になれば、そうできるかどうか、
実証しようとされたようです。

 

神である【主】は、一人の人、アブラハムを選び、
その4代目の子孫たち70人を、
カナンの地の飢饉によってエジプトにくださせて、
この一人の人、アブラハムから一つの民族、
イスラエル民族を造られました。

 

そして、出エジプトさせ、
モーセを通して、
彼らにご自分の思いを律法という形で知らせ、
祝福と呪いの道を示し、祝福に歩むように言われました。

 

しかし、イスラエル1500年の歴史を通して実証されたのは、

いくら人間がその気になっても、
自分の努力で神の前に良しとされる者はひとりもいない
ということでした。

 

そのことがはっきりしたところで、

ご計画の時が満ちて、
預言されていたとおりに、
【御子である神】が
ダビデ王の子孫である一人の貧しい処女の胎を通して
人間イエスとして人となられ、
およそ33歳の頃、
ユダヤ人の指導者たちのねたみを用いて
十字架刑での処刑を受けられました。

 

 

【父である神】は、このイエスが受けられた死刑を、
すべての人間の、
その人自身である〔生まれたときからの私〕という霊の
死刑と見なしてくださり、
死刑が終っているもの、死んだ者と
手続きしてくださったのだそうです。

 

そのうえで、死んで墓に納められたイエスは、
三日目、日曜日の早朝、
死人の中から新しい霊のからだに復活し、
40日にわたって何度も弟子たちに現れ、
神の国のことを語り、
ご自身が確かに生きていることを見せたのち、
オリーブ山で弟子たちが見守る中、上げられ、
天の、【父である神】の右の座に復帰されました。

 

 

そして、いよいよ、約束の【聖である霊】と呼ばれる方が
わたしたち人間のうちに来られ、
【父である神】の御思いを
私たち人間の心の置き、書き記して、
私たち人間のうちに
【父である神】の御思いがあるようにし、
受け入れる者が【父である神】と一つ思いになって
生きるようにしてくださっているのだそうです。
(エレミヤ31:31~34、エゼキエル36:25~28、ヨハネ17::21~23)

 

 

 だから、私たちが、
エスが言われた戒め、
「神を愛し、互いに愛し合う」ようになっているとすれば、
それは、私たちが、
【父である神】、【御子である神】、
【聖である霊】と呼ばれる神が、
私たち人間に対する愛によって実行された
この御業の中にとどまっていることの証明である、
ということなのですね。

 

 

 それで、パウロはガラテヤにいる
エスによって
神の御思いによって生きるよういなった人たちに宛てた
手紙に書いています。

 

私たちは、生まれながらのユダヤ人(神の民)であって、
「異邦人のような罪人」ではありません。
しかし、人は律法を行うことによってではなく、
ただイエス・キリストを信じる(信頼する)ことによって
義と認められると知って、
私たちもキリスト(である)イエスを信じました。

律法を行うことによってではなく、
キリストを信じる(信頼する)ことによって
義と認められるためです。

 

というのは、肉なる者(生まれたときからの私)はだれも、
律法を行うことによっては義と認められない
(及第点に達することができない)からです。
  ~~~

 

私は、神に生きるために、律法によって(死刑を受け)
律法に死にました。
私はキリストとともに十字架につけられました
(死刑にされました)。


もはや私が生きているのではなく、
キリストが私のうちに生きておられる
(キリストの御思いで生きている)のです。

 

今私が肉(肉体)において生きているのは、
私を愛し、私のためにご自分を与えてくださった、
神の御子に対する信仰(信頼)によるのです。

 

私は神の恵みを無にはしません。
もし義が律法(を行うこと)によって得られるとしたら、
それこそ、キリストの死は無意味になってしまいます。

     (ガラテヤ2:15~21)

 

 

 また、ローマにいるイエスによって神の御思いで生きている人たちに宛てた手紙に書いています。

 

同じように御霊(みたま)も、
弱い私たちを助けてくださいます。

私たちは、何をどう祈ったら(神に伝えたら)よいか
分からないのですが、
御霊(みたま)ご自身が、
ことばにならないうめきをもって、とりなしてくださるのです。
 

人間の心を探る方は、
御霊の思いが何であるかを知っておられます。
なぜなら、御霊は神のみこころにしたがって、
聖徒たちのためにとりなしてくださるからです。

 

神を愛する人たち、
すなわち、
神のご計画にしたがって召された人たちのためには、
すべてのことがともに働いて益となることを、
私たちは知っています。
 

神は、あらかじめ知っている人たちを、
御子(みこ)のかたちと同じ姿に
あらかじめ定められたのです。

 

それは、多くの兄弟たちの中で
御子(みこ)が長子となるためです。

神は、あらかじめ定めた人たちをさらに召し、
召した人たちをさらに義と認め、
義と認めた人たちには
さらに栄光をお与えになりました(ロマ8:26~30)と。

 

 

 私たちも、愛によって私たちの身代わりとなり
、死刑を受けてくださったイエス

三日目に死人の中から新しい霊のからだに復活し、
天の【父である神】の右の座に着いておられる
エスを通して来てくださる
【聖である霊】と呼ばれる方によって、
【父である神】の御思いを心に置いていただき、
この心に来た【父である神】の御思いで生きる、
神の子の生き方を生きる練習しながら、
エスと同じ栄光に包んでいただく
その日を目指して生きるのですね。

エスを長兄と仰ぎながら。
今日も。

 

       ~~~~~~~~~~~~~~

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