神である主は、その民を訪れて、これを贖われたのですから

イスラエルの人々が
主を叫び求めると、
主はひとりの救助者を起こし、
イスラエルの人々を救われた。
士師記3:9

 

(ザカリアの言葉)
イスラエルの神である主は、
ほめたたえられますように。
主はその民を訪れて、
これを贖われたからです。
ルカ1:68

 

 ヘブル書10:1、11~18
 マタイ26:47~56(通読箇所)
   (ローズンゲン『日々の聖句』3/ 31;金)

 

   ―――― α&ω  ――――

 

 アモリ人の罪が満ちたとき、
神である【主】は、モーセの後をヨシュアに引き継がせ、
イスラエルの人々を約束の地に入れ、彼らを用いてさばきを実行されました。
 

しかし、その異邦の民のすべてを取り除くことはせず、
残しておいて、
イスラエルの次世代の者が、自由意思で、自発的に
ご自分に仕えることを望まれました。

 

けれども、次世代の戦いを知らない者たちは、
彼らの娘を自分の妻とし、
自分の娘を彼らの息子に与えて、
彼らの神々に仕えるようになりました。

 

それで、神である【主】は、イスラエルの人々を
アラム人の王の手に売り渡されたので、
彼らは8年の間アラム・ナハライムの王
クシャン・リシュアタイムに仕えました。

 

そして、イスラエルの民が【主】に叫び求めたので、
【主】は、一人の救助者、
カレブの同胞ケナズの子オテニエルを起こし、
イスラエルを救われました。

 


 バプテスマのヨハネが生まれたとき、父親のザカリアは
イスラエルの神である主は、ほめたたえられますように。
主はその民を訪れて、これを贖(あがな)われたからです」
と神を賛美しました。

 


その救助者、私たちを贖(あがな)ってくださる方として
エスは来てくださり、
ご自身のからだを、ただ一度、ささげて、
私たちを聖なるもの、神のものとして、
この世から取り分けてくださいました。


ヘブル書の記者は記します。

律法には来るべき良きものの影はあっても、
その実物はありません。
 

ですから、律法は、
年ごとに絶えず献げられるいけにえによって
神に近づく人々を、完全にすることはできません。

 

さらに、祭司がみな、毎日立って礼拝の務めをなし、
同じいけにえを繰り返し献げても、
それらは決して罪を除き去ることはできませんが、
イエス・キリストは、罪のために、
一つのいつまでも有効ないけにえとして
ご自分のからだを献げた後、
永遠に神の右の座に着き、
あとは、敵であるサタンがご自分の足台とされるのを
待っておられます。
 

なぜなら、イエス・キリストは聖なるものとされる人々を、
一つのささげ物によって永遠に完成されたからです。
聖霊もまた、私たちに証ししておられます。
というのも、
「これらの日の後に、わたしが
彼らと結ぶ契約はこうである。

——主の言葉——

わたしは、わたしの律法を彼らの心に置き、
彼らの思いにこれを書き記す」

と言った後で、
「わたしは、もはや
彼らの罪と不法を思い起こさない」
と言われるからです。

 

罪と不法が赦されるところでは、
もう罪のきよめのささげ物はいりません。(ヘブル10:1、11~1

 

 

 この私たちの救助者、
私たちを贖(あがな)う方として来られたイエスが、
私たちのための贖いのためのささげ物として
ご自分のからだを十字架刑での処刑を受けることで

献げるために歩まれた様子を、
マタイは次のように記しています。

 

(ゲツセマネの園で)イエスがまだ話しておられるうちに、
見よ、12人の(弟子の)一人のユダがやって来た。
祭司長たちや民の長老たちから差し向けられ、
剣や棒を手にした大勢の群衆も一緒であった。

エスを裏切ろうとしていた者は彼らと合図を決め、
「私が口づけをするのが、その人だ。
その人を捕まえるのだ」と言っておいた。

 

それで彼はすぐにイエスに近づき、
「先生、こんばんは」と言って口づけした。
 

エスは彼に
「友よ、あなたがしようとしていることをしなさい」
と言われた。

 

そのとき人々は近寄り、イエスに手をかけて捕らえた。
すると、イエスと一緒にいた者たちの一人が、
見よ、手を伸ばして剣を抜き、
大祭司のしもべに切りかかり、その耳を切り落とした。

そのとき、イエスは彼に言われた。
「剣をもとに納めなさい。
剣を取る者はみな剣で滅びます。
それとも、わたしが父にお願いして、
12軍団よりも多くの御使いを、
今すぐわたしの配下に置いていただくことが、
できないと思うのですか。
しかし、それでは、
こうならなければならないと書いてある聖書が、
どのようにして成就するのでしょう。」

 

また、そのとき群衆に言われた。
「まるで強盗にでも向かうように、
剣や棒を持ってわたしを捕らえに来たのですか。
わたしは毎日、宮で座って教えていたのに、
あなたがたはわたしを捕らえませんでした。
しかし、このすべてのことが起こったのは、
預言者たちの書が成就するためです。」

 

そのとき、弟子たちはみな
エスを見捨てて逃げてしまった。(マタイ26:47~56)

 

 

 私たち、自分の努力で神の律法を行うことによっては、
神の及第点に達することができない者ですが、
【父である神】は、その落第生の私たちのために、
救助者、贖(あがな)い主としてイエスをお遣わしくださり、
私たちの身代わりとしてイエスが、
ただ一度、ご自分のからだをもって、
十字架刑での処刑を受けてくださったことにより、
私たちを、処刑が終わっているもの、
死んだものとしてくださっているのですね。


そして死んで墓に納められたイエスは、
三日目、日曜日の早朝、
新しい霊のからだに復活され、
40日後、オリーブ山で弟子たちが見守る中、上げられ、
天の、【父である神】の右の座に復帰されました。


【父である神】は、そのイエスを通して、
もう一人の方、
【聖である霊】と呼ばれる方を私たちに派遣してくださり、
この方によって、
ご自身が私たち一人ひとりに思っておられる御思いを
私たちの心に置き、書き記して、
私たちのうちにご自身の思いがあるようにして、
私たちがご自身と思いを一つにして生きるように
してくださるというのですね。
ヘブル書にも記されていたように。

 

私たちも、この方に思いを向け、
この方によって心に来た
【父である神】の御思いのとおりを生きて。

 

【父である神】がしようと思われることをしていって。

今日も。

 

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