まだ、影も形もない私の人生のすべてを、この方は見ておられて

あなたの眼は私を見ていた。
私という存在がまだ用意されて
いなかったにもかかわらず。
そして、これから生じていく
すべての日々があなたの書に
書かれていた。
詩篇139:16(ドイツ語聖書)

 

自分の命のことで心配するな。マタイ6:25(ド)

 

 マタイ4:12~17
 創世記6:5~22(通読箇所)
   (ローズンゲン『日々の聖句』1/14;土)

 

   ―――― ☆  ――――


 聖書が啓示している神、
天の神、【主】、
「『わたしはある(I am)』という者」と
名乗られる方(出エジプト3:14)は、
すでに、私を見ておられた、というのですね。

私という存在が、影も形もない、
母の胎にもいない、父の腰にもいない、そんなときから。

 

いや、むしろ、天地の造られる前から、
【父である神】のイメージの中に、
私がはっきり、在ったということでしょうか。

 

そして、この方は、母親のお腹の中の胎児の私を見ておられ、
私の骨組みもこの方には隠れてはいなかった、
というのですね。

この方の書物には、
私のために造られた日々のすべてが記されていて。
しかも、その一日もないうちに。

 

このように、私を造られた方、
私を見ておられる方がおられるのだから、
私たちは、何を食べようか、何を着ようかと
心配しなくていいのだそうですね。

 

 

 イエスも、天地を造られる前からの
【父である神】のご計画の時が来て、
ナザレを離れ、ぜブルンとナフタリの地方にある、
泉のほとりの町カぺナウムに来て住まわれました。イ

ザヤ書9:1~2に書かれてあるとおりに。

 

「ゼブルンの地とナフタリの地、
海沿いの道、ヨルダンの川向こう、
異邦人のガリラヤ。
闇の中に住んでいた民は
大きな光を見る。
死の陰に住んでいた者たちの上に
光が昇る」、と。
 

この時からイエスは宣教を開始し、
「悔い改めなさい(神に心を向けなさい)。
天の御国が近づいたから」と言われて。(マタイ4:12~17)

 


 私たちの今日、一日のすべてにイメージをもっておられ、
私たちを見ておられる方がいらっしゃるのですね。
エスが、
「わたしが天から下って来たのは、
自分の思いを行うためではなく、
わたしを遣わされた方の
みこころを行うためです」(ヨハネ6:38)と言われ、
 

また、「わたしが自分からは何もせず、
父がわたしに教えられたとおりに、
これらのことを話している」(ヨハネ8:28)、
 

「わたしは自分から話したのではなく、
わたしを遣わされた父ご自身が、
言うべきこと、話すべきことを、わたしにお命じになった。
わたしが話していることは、
父がわたしに言われたとおりを、
そのまま話しているのです」(ヨハネ12:49~50)、

「わたしと父とは一つです」(ヨハネ10:30)
と言われているように、
 

私たちも、イエスを通して来てくださる
【聖である霊】と呼ばれる方が心に置いてくださる
【父である神】の御思いが成ることを願って生きるのですね。
【父である神】と思いを一つにし、
【父】がしようと思われることをしていって。

今日も。

 

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