呼びかけに応えて救ってくださる、この方に信頼して

私は神に呼びかける。
主は私を救ってくださる。
詩篇55:17

これからも救ってくださるに違いないと、
私たちは神に望みを置いています。
あなたがたも祈りによって、
私たちに協力してください。
Ⅱコリント1:10~11

 ロマ書11:(13~16)17~24
 歴代誌上18:1~17(通読箇所)
   (ローズンゲン『日々の聖句』8/25;木)

 

   ―――― ☆  ――――

 

 聖書が啓示している神、
天の神、【主】、
「『わたしはある(I am)』という者」と
名乗られる方(出エジプト3:14)は、
私たちが呼びかけに応えて、救ってくださる方。
私たちが望みを置いている方。

それで、私たちは祈りによって協力し合うということも
できるのですね。

 

 

 それでは、イスラエルと私たちの関係はどうなのか、
そのことについてパウロは書き送っています。

 

「そこで、異邦人であるあなたがたに言いますが、
私は異邦人への使徒ですから、
自分の務めを重く受けとめています。

私は何とかして自分の同胞にねたみを起こさせて、
彼らのうちの何人かでも救いたいのです。
 

もし彼らが捨てられることが世界の和解となるなら、
彼らが受け入れられることは、
死者の中からのいのちでなくて何でしょうか。

 

麦の初穂が聖なるものであれば、
こねた粉もそう(聖なるもの)なのです。
根が聖なるものであれば、
枝もそう(聖なるもの)なのです。

 

枝の中のいくつかが折られ、
野生のオリーブであるあなたがたが
その枝の間に接ぎ木され、
そのオリーブの根から豊かな養分を
ともに受けているのなら、
あなたはその枝に対して誇ってはいけません。

たとえ誇るとしても、あなたが根を支えているのではなく、
根があなたを支えているのです。
 

すると、あなたは『枝が折られたのは、
私が接ぎ木されるためだった』と言うでしょう。
そのとおりです。
彼らは不信仰(信頼しないこと)によって折られましたが、
あなたがたは信仰(信頼)によって立っています。
 

思い上がることなく、むしろ恐れなさい。
もし、神が本来の枝を惜しまれなかったとすれば、
あなたをも惜しまれないでしょう。

ですから見なさい。神のいつくしみと厳しさを。
倒れた者の上にあるのは厳しさですが、
あなたの上にあるのは神のいつくしみです。
 

ただし、あなたが
そのいつくしみの中にとどまっていればであって、
そうでなければ、あなたも切り取られます。

あの人たちも、
もし不信仰(不信頼)の中に居続けなけないなら、
接ぎ木されます。
神は、彼らを再び接ぎ木することがおできになるのです。
あなたが、本来野生であるオリーブの木から切り取られ、
元の性質に反して、
栽培されたオリーブに接ぎ木されたのであれば、
本来栽培された枝であった彼らは、
もっとたやすく自分の元のオリーブに
接ぎ木されるはずです。」(ロマ11:13~24)と。

 

 

 天の神、【主】は、私たちを
オリーブの木、神の民に接ぎ木してくださり、
神の民、神の家族として、
ご自身と思いを共有し合う者にし、
また、私たちの願いも受け取ってくださるのですね。
 

この方のあわれみに信頼し、とどまり続け、
エスがそうであったように、
エスを通して来てくださる
【聖である霊】ある霊と呼ばれる方が心に置いてくださる
【父である神】の御思いが成ることを願いながら。

今日も。

 

     ~~~~~~~~~~~~~~~


(聖書のことばへの疑問やご意見
近くの教会を知りたい等の方、
また、婚活で広く出会いを求めたい、
教会に行っていないけれど
葬儀をキリスト教でしたい、等の方、
お問い合わせは、
shkhknsyg4@yahoo.co.jpへどうぞ。)

 

〈クリスチャンの結婚相談所
 <b>Lita</b>&nbsp;marriage service&nbsp;〉


〈復活社 http://www.sougi8849.jp/index.html 〉

 

〈(株)ブレス・ ユア・ ホーム https://christ-sougi.com/ 所属〉)

 

〈日本仲人協会 https://www.omiaink.com/ 認定


 

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 聖書・聖句へ

 

[にほんブログ村 哲学・思想ブログ キリスト教へ]

 

[https://blog.with2.net/link/?1470390人気ブログランキング