この方との、愛の語らいの中へ

主は言われる。
彼はわたしを慕うものだから、
彼を災いから逃れさせよう。
詩91:14

 

愛する者たち、
私たちの心に責められることがなければ、
率直に神に語ろう。
そして、神に願うことを
神から得よう。
Ⅰヨハネ3;21~22

 

 マタイ22:1~14
 使徒21;27~40(通読箇所)
   (ローズンゲン『日々の聖句』7/20;火)

 

  ―――― ☆  ――—―


 聖書が啓示している神、
天の神、【主】、
「『わたしはある(I am)』という者」と
名乗られる方(出エジプト3:14)は私たちに言われます。

 

「彼がわたしを愛し、慕っているから、
わたしは彼を災いから逃れさせ、助け出す。
彼がわたしの名を知っているから、
わたしは彼を高く上げる」と。

 


 私たち、
【父である神】が私たちに
恵みのプレゼントとして与えていてくださる
エスによる罪の赦しを受け取っている者は、
このイエスによって、心に責められることは、
一つ一つイエスの御前に差し出し、
見ていただき、受け取っていただいて、
はばかることなく、率直に、確信をもって神の御前に出、
神と話し、
神が私に与えようとしておられるものを
受け取って行くのですね。
神の思っておられるとおりに。

 

 

 【父である神】は、
王子の婚礼の披露宴を催した王のように、
天の御国の大祝会に
私たちを招待していてくださるのだそうです。
雄牛や肥えた家畜をほふり、何も整えて。

 

 最初、招待されていた人たち(イスラエル民族)は、
行こうとしなかったのだそうですね。
 

それで、神は、使いの者たちを大通りに出て行かせ、
出会った人を誰でも、善い人、悪い人に関係なく
招いたのだそうです。

 

礼服を用意し、一人ひとりがその祝会にふさわしい服装に
着替えるようにされて。

 

ところが、王が客たちを見ようとして入って来ると、
そこに、婚礼の礼服を着ていない人がいたのだそうです。

 

それで王が、
「友よ。どうして礼服を着ないで、ここに入って来たのか」と
尋ねても、彼は黙って返事をしようとしなかったのですね。

 

それで、その人は、
祝会の場から外へ放り出されたのだそうです。

 

その人は、よほど、自分の服装に自信があり、
「王が出してくれた礼服など、着ていられるか」という
思いがあったのでしょう。
エスによる救いなど、私には必要ない、と。

 


 私たちも、自分の思いが成ることを求めて、
神の御思いを聞こうとしない性質を持つ者です。
 

その、〔生まれたときからの私〕という霊は、
エスと一緒に十字架刑で処刑された者、
死んだ者としていただき、
その私から出て来た思いは、
死んだ者から出て来た思いであると認め、計算して、
エスの御前に投げ捨てていくのですね。

 

【父である神】は、
エスを通して来てくださる【聖である霊】と呼ばれる方を

私たちに派遣され、
この方によって私たちの心にご自身の御思いを置いて、
私たちがご自身と思いを一つにし、
その思いのように行動していく者に、
していてくださるのだそうですから。

 

礼服を与えてもらった人のように。
 

神の守りの中で、
率直に神と語り合いながら。

今日の歩みを。

 

 

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