目を、信頼を、この神に向けて

主よ、私の目はあなたに向いています。
私はあなたに信頼を寄せます。
私を死の力にさらさないでください。
詩141:8

エスは言う:
わたしが生きているので、
あなたがたも生きるようになる。
ヨハネ14:19

 エズラ記9:5~9、13~15
 ヨハネ11:20~27(通読箇所)
   (ローズンゲン『日々の聖句』3/4;金)

 

        ―――― ☆  ――――


 聖書が啓示している神、天の神、【主】、
「『わたしはある(I am)』という者」と
名乗られる方(出エジプト3:14)に、
私たちは目を向け、信頼を寄せるのですね。
私たちを死の力から守ってくださる方に。
 

エスが、【父である神】と思いを一つにして、
今も生きているので、
エスに信頼する私たちも、【父である神」と
思い一つにする関係の中で生きることになるのですから。

 

  
 ペルシャの王アルタクセルクセスの手紙を携えて、
祭司であり、律法の学者であるエズラ
エルサレムに帰って来とき、
指導者たちがエズラのもとに来て言いました。
「バビロンの捕囚から解放されて
イスラエルに帰って来た人たちのうち、
異国の忌み嫌うべき習慣と縁を立つことなく、
かえって、彼らの息子たちも、これらの国々の娘を妻にし、
聖なる種族がもろもろの地の民と混じり合ってしまいました。
しかも、指導者たち、代表者たちが
この不信の罪の張本人なのです。」
 

エズラは記します。
「私はこのことを聞いて、衣と上着を引き裂き、
髪の毛と髭を引き抜き、呆然として座り込んでしまった。
 

夕方のささげ物の時刻になって、打ちのめされていた私は
立ち上がり、ひざまずき、
自分の神、【主】に向かって手を伸べ広げてこう言った。
 

『私の神よ。私は恥じています。
私の神よ。私は
あなたに向かって顔を上げることを恥ずかしく思います。
私たちの咎(とが)は増し、私たちの頭より高くなり、
私たちの罪過は大きく、天にまで達したからです。
 

私たちの先祖の時代から今日まで、
私たちは大きな罪過の中にありました。
私たちのその咎(とが)のために、私たちや、私たちの王、
祭司たちは、諸国の王たちの手に渡され、剣にかけられ、
捕虜にされ、かすめ奪われ、面目を失って、
今日あるとおりです。

 

しかし今、しばらくの間、私たちの神、【主】は
そのあわれみによって、私たちに逃れの者を残し、
私たちのためにご自分の聖なるところに
一本の杭(くい)を与えてくださいました。

これは、私たちの神が私たちの目を明るくし、
奴隷の身の私たちを
少しでも生き延びさせてくださるためでした。

 

事実、私たちは奴隷です。
しかし私たちの神は、
この奴隷の身の私たちを見捨てることなく、
かえって、ペルシャの王たちによって恵みを施し、
私たちを生かして、私たちの神の宮を建て直させ、
その廃墟をもとに戻し、
ユダとエルサレムに石垣を与えてくださいました。

私たちの悪い行いと大きな罪過のゆえに、
様々なことが私たちの上に起こりましたが、
私たちの神、あなたは、
私たちの咎(とが)に値するよりも軽い罰を与え、
逃れの者をこのように私たちに与えてくださいました。

そのようなことの後で、私たちは再びあなたの命令を破って、
忌み嫌うべき行いをするこれらの民と、
姻戚関係に入ってよいのでしょうか。
あなたは怒って、ついに私たちを絶ち滅ぼし、残りの者も、
逃れの者もいないようにされるのではないでしょうか。

イスラエルの神、【主】よ、あなたは正しいお方です。
まことに今日あるとおり、
私たちは逃れの者として残されています。

ご覧ください。
私たちは罪過を負ってあなたの御前におります。
このような状態で、だれもあなたの御前に立つことが
できないにも関わらず。』」(エズラ9:5~9、13~15)

 


 使徒ヨハネは記します。

「マルタはイエスが来られたと聞いて、出迎えに行った。
マリアは家で座っていた。
 

マルタはイエスに言った。
『主よ。もしここにいてくださったなら、
私の兄弟は死ななかったでしょうに。
しかし、あなたが神にお求めになることは何でも、
神があなたにお与えになることを、私は今でも知っています。』

エスは彼女に言われた。
『あなたの兄弟はよみがえります。』
 

マルタはイエスに言った。
『終わりの日のよみがえりの時に、
私の兄弟がよみがえることは知っています。』

エスは彼女に言われた。
『わたしはよみがえりであり、いのちです。
わたしを信じる者は死んでも生きるのです。
また、生きていてわたしを信じる者はみな、
永遠に決して死ぬことがありません。
あなたは、このことを信じますか。』

彼女はイエスに言った。
『はい、主よ。私は、あなたが世に来られる
神の子キリストであると信じております。』」(ヨハネ11:20~27)

 


 私たちもエズラのように、罪で顔を上げられないような場で、
また、マルタのように、
エスに使いを出したのにイエスは来てくれなくて、
兄弟ラザロが死んでしまった悲しみの場で、
「なんで、すぐに来てくれなかったの」と
言いたてたい思いの場で、
なお、目を神に向け、信頼しいくのですね。

心の思いのさまをイエスの御前に広げ、見ていただきながら。
エスが生きているので、私たちも生きるのですから。
【聖である霊】と呼ばれる方の働きの中で。

今日も。

 

 

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