この幸いの中へ、あなたも

いかに幸いなことでしょう。
背きを赦され、
罪を覆っていただいた者は。
詩32:1

 

私たちは、
イエス・キリストによって、贖い、
すなわち罪の赦しを
得ているのです。
コロサイ書1:14

 

 ヨハネ6:47~56
 使徒21:15~26(通読箇所)
   (ローズンゲン『日々の聖句』7/19;月)

 

  ―――― ☆  ――—―


 幸いなのですね。
その背きを赦していただき、
罪を覆っていただいた者は。

 

【父である神】は、
人となられた【御子である神】イエスによって、
エスのいのちを代価として支払って私たちをあがない、
私たちに罪の赦しを与えて。

 


 イエスは言われます。
「まことに、まことに、あなたがたに言います。
信じる者は、永遠のいのちを持っています。
 

わたしはいのちのパンです。
これは天から下って来たパンで、
それを食べる死ぬことがありません。

 

わたしは、天から下って来た生けるパンです。
だれでもこのパンを食べるなら、永遠に生きます。
 

そして、わたしが与えるパンは、
世のいのちのための、私の肉です。

 

まことに、まことに、あなたがたに言います。
人の子(イエス)の肉を食べ、その血を飲まなければ、
あなたがたのうちに、いのちはありません。

 

わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む者は、
永遠のいのちを持っています。
わたしは終わりの日にその人をよみがえらせます。

 

わたしの肉はまことの食べ物、
わたしの血はまことの飲み物なのです。

 

わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む者は、
わたしのうちにとどまり、
わたしもその人の内にとどまります。」(ヨハネ6:47~56)

 

 

 また、言われます。
「いのちを与えるのは御霊です。
肉は何の益ももたらしません。
わたしがあなたがたに話してきたことばは、
霊であり、またいのちです。」(ヨハネ6:63) 

 

つまり、イエスが「わたしはいのちのパンです。
わたしの肉を食べ、わたしの血を飲まなければ」と
言っているのは、
エスの肉体の肉とか、血のことではなく、
霊の世界のことだということのようです。
【御霊】の世界のことだと。

 

エスは、十字架に架かるために捕らえられる夜とられた
過ぎ越しの食事の席で、弟子たちに言われました。

 

「わたしが父のうちにいて、
父がわたしのうちにおられることを、信じていないのですか。

 

わたしがあなたがたに言うことばは、
自分から話しているのではありません。
わたしのうちにおられる父が、
ご自分のわざを行っておられるのです。」

 

 

 また、言われます。
「(聖霊があなたがたに来られる)その日には、
わたしが父のうちに、あなたがたがわたしのうちに、
そしてわたしがあなたがたのうちにいることが、
あなたがたに(体験的に)わかります。」

 

 また、言われます。
「父よ。あなたがわたしのうちにおられ、
わたしがあなたがたにいるように、
彼らもわたしたちのうちにいるようにしてください。
すべての人が一つとなるように。
 

わたしたちが一つであるように、
彼らも一つになるためです。
わたしが彼らのうちにいて、
あなたはわたしのうちにおられます。
彼らが完全に一つになるためです。」(ヨハネ14:10、20、17:21~23)

 

 

 これは、物質的世界では理解のしにくいことですが、
霊の世界ではこのようなことが起こるのでしょうね。

 

ちょうど、悪霊にかれた人は、
その人の中に悪霊がいて、
その人は、悪霊がしようと思うことをしていきます。

 

そのように、「クリスチャン」とは
「キリスト(キリストが遣わされる【聖霊なる神】)にかれた人、
キリスト気違い」のことのようです。
シリアのアンテオケで、人々は
エスの弟子たちのことをこのように呼び始めたそうです。

 

 

 つまり、「永遠のいのちを持つ者、
エスの肉を食べ、イエスの血を飲む者」とは、
十字架刑での処刑を受けて死に、
三日目、日曜日の朝、新しい霊にからだに復活し、
天の、【父である神】の右の座に復帰されたイエス
つかわしになる【聖霊なる神】をお迎えし、
この方によって、
【父である神】の御思いが私のうちにあり、
私の思いが【父である神】の内にあるようにしていただき、
思いを一つにする関係にしていただいて、
【父である神】がしようと思われることをしていく者に
していただくこと、なのでしょうね。

 

神を愛する者に、
そして、互いに相手を自分よりもすぐれた者として尊重し、
大切にし合い、
正義と公正と平和を求めていく者に。

 

【父である神】の御思い、
愛、喜び、平安、寛容、
親切、善意、誠実、柔和、自制(ガラテヤ5:22)の思いが
うちにある者に。

 

そして、私のうちに起こる思いの一つ一つも
エスの御前に差し出し、受け取っていただきながら。

 

神の御思いが私のうちにあり、
私の思いが神のうちにある、
一つになる関係に。(ヨハネ6:47~56)

 

 

 その、【父である神】と思いを一つにする関係にあって、
パウロは、「この帯の持ち主をユダヤ人はエルサレムで縛り、
異邦人に引き渡す」との預言により、心を備えられながら、
エルサレムに上り、
ユダヤ人にいたずらな誤解を招かないようにと、
主の兄弟ヤコブや長老たちの勧めに従って、
自分が律法に忠実な者であることを示していきながら。(使徒21:15~26)

 

 私たちも、イエスの肉を食べ、イエスの血を飲む関係、
【聖である霊】と呼ばれる方により、
【父である神】の御思いがうちにある者にしていただきながら、
御思いが成ることを求めて。

 

背きを赦され、罪を覆っていただいた幸いの中で。

今日も。

 

 

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