私を造られた方が、世を去るまで責任をもって下さるので

神よ、あなたは私の若いころから
私を教えてくださいました。
私は今なお、
あなたの奇
(くす)しいみわざを
告げ知らせています。
詩篇71:17

 

 (シメオンの言葉)
主よ、今こそあなたは、
おことばのとおり、僕
(しもべ)
安らかに去らせてくださいます。
私の目があなたの救いを見たからです。
あなたが
万民の前に備えられた救いを。
ルカ2:29~31

 

 創世記9:8~11(12、13)

 創世記2:4b~17(通読箇所)

   (ローズンゲン日々の聖句1/5;木)

 

   ―――― ☆  ――――

 

 聖書が啓示している神、
天の神、【主】、
「『わたしはある(I am)』という者」と
名乗られる方(出エジプト3:14)は、
私たちの若い頃から、私たちを教え、導いていてくださる方。
私たちが年老いて白髪頭になり、
認知症になり、寝たきりになったとしても、
私たちを見捨てるようなことはないお方なのですね。

 

それゆえ私たちは、この方の大能のわざを、
後に来るすべての人に告げ知らせます。
シメオンが、エルサレム神殿で、
生まれて八日目に、
律法に従って礼拝に連れて来られた
赤ん坊のイエスを見て、
「私の目があなた(神)の救い、
万民の前に用意された救いを見たので、
安らかに(この世から)去ることができます」と
神に告げたように。

 

 

 また、神は、ご自分たちと同じように、
愛において、自由意思で、自発的に、
自分から進んで、ご自身と心を通い合わせ、
ひとつ思いとなり、
思いを共有しながら生きていく者をと願って造った人間が、
「神の一人のようになり、善悪を知る者」となる道を選び、
ご自身と対立、対抗して生き、
その結果、人の世に暴虐が満ちるのをご覧になって
心痛め、大洪水によって世界を一新しようとされたとき、
その時代の人で、一番、
神と思いを一つにして生きていたノアとその家族を選び、
ノアに命じて箱舟を造らせ、
その方舟に入ったものだけが生き残って、
洪水の後の世界を受け継ぐようにされました。

 

私たちが、「私たちだって、その気になれば、
神の律法、神の御思いのとおりを
生きることができますよ。
だから、神様、あなたが、独り子のイエスの命をかけて、
私たちの救いを用意する必要など、ありませんよ」
という口を封じるために。


そして、神は、地から洪水が引いて、
箱舟から出て来たノアたちに言われました。
「見よ、わたしは、わたしの契約を
あなたがたとの間に立てる。
そして、あなたがたと後の子孫との間に。
また、あなたがたとともにいるすべての生き物との間に。
鳥、家畜、
それに、あなたがたとともにいるすべての地の獣、
箱舟から出て来たすべてのものから、
地のすべての生き物に至るまで。

わたしは、わたしの契約をあなたがたとの間に立てる。
すべての肉なるものが、
再び、大洪水の大水によって断ち切られることはない。
大洪水が再び起こって地を滅ぼすようなことはない。
わたしとあなたがたの間、
また、あなたがたとともにいるすべての生き物との間に、
代々にわたり永遠にわたしが与える
その契約のしるしはこれである。
わたしは雲の中に、わたしの契約の虹を立てる。
それがわたしと地との間の
契約のしるしである」(創世記9:8~13)と。

 

 

 天地創造のとき、
神は、人間の住まいとしての天地宇宙、
地球の自然環境のすべてを用意し終わり、
人間が何一つ不自由なく、
幸せに暮らせる環境を整え終えて言われました。
「さあ、人を造ろう。
われわれのかたちとして、われわれの似姿に。」

 

そして、男と女に創造し、祝福して言われました。
「生めよ。増えよ。地に満ちよ。
地を従えよ。海の魚、空の鳥、
地の上を這(は)うすべての生き物を
支配(統治、管理)せよ」と。

 

また言われました。
「見よ。わたしは、
地の全面にある、種のできるすべての草と、
種の入った実のあるすべての木を、
今あなたがたに与える。
あなたがたにとってそれは食物となる。

また、生きるいのちのある、地のすべての獣、
空のすべての鳥、地の上を這うすべてのもののために、
すべての緑の草を食物として与える。」

 

そして、神である【主】は、東の方のエデンに園を設け、
そこにご自分に形造った人を置かれました。

 

神である【主】は、その土地に、
見るからに好ましく、食べるに良いすべての木を、
そして、園の中央にいのちの木を、
また善悪の知識の木を生えさせた。
 

神である【主】は人に命じられた。
「あなたは園のどの木からでも思いのままに食べてよい。
しかし、善悪の知識の木からは、食べてはならない。
その木から食べるとき、あなたは必ず死ぬ。」

                 (創世記1:26~2:17) 

 

 

 天の神、【主】は、
このようにして人間とこの世界とを創造し、
人間の歴史を導き、
私の人生を運んでくださる方なのですね。

私の最期まで責任をもって。

 

だから、私たちは、この方の願いのとおりに、
この方と気持ちにすべてを知らせ合い、見せ合って、
思いを共有しながら生きるのですね。

思いを一つにし合って。

 

神のほうで一方的に用意してくださった
この大きな出来事を告げ知らせながら。

今日も。

 

       ~~~~~~~~~~~~~~


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この方、私たちを大事に大事に思われて

あなたこそ
エル・ロイ
(私を顧みられる神)です。

               創世記16:13(新共同約)〔2023年の聖句〕

 

神は、
お造りになったものすべてを見られた。}
見よ、それはとてもよかった。

         創世記1:31(ドイツ語聖書)〔1月の聖句〕

 

主よ、
私の案件を裁き、
私を贖
(あがな)ってください。
生き返らせてください、
あなたの仰
(おお)せにより。

             詩篇119:154(ド)(1/1の週の聖句)

 

しかし、主は真実な方です。
あなたがたを強くし、
悪い者から守ってくださいます。

                     Ⅱテサロニケ3:3(新改訳)

 

 出エジプト記2:1~10
 創世記1:14~25(通読箇所)
   (ローズンゲン日々の聖句1/3;火)

 

    ―――― ☆  ――――

 

  新年 おめでとうございます。
今年もよろしくお願いします。

 

 聖書が啓示している神、
天の神、【主】、
「『わたしはある(I am)』という者」と
名乗られる方(出エジプト3:14)は、
私を見守っていてくださる方なのですね。
私が失敗し、絶望のどん底にいるときも。
 

この方が、私を生みだしてくださった方なのですから。
この方が仰られることばで、私は生き返るのですから。
私を強くし、悪い者から守って。

 

 

 赤ん坊のモーセを、
絶大な権力を誇るエジプトの王ファラオから守られたように。

 

あのとき、生まれたばかりのモーセは、
イスラエル人が増え広がるのを恐れた
エジプトの王ファラオの
イスラエル人の男の子が生まれるなら、
ナイル川に投げ込むように」との命令により、
ナイル川に投げ込まれるはずだったのですね。

 

けれども、神である【主】は、赤ん坊の母親に、
王の命令に背いて、その子を隠そうとする思いを与え、
三ヶ月たって隠し切れなくなったとき、
瀝青(アスファルト)と樹脂を塗って水が入らないようにした、
パピルスのかごにモーセを寝かせ、
ナイル川の葦の茂みの中に置かせられたのですね。

 

そしてそれを、水浴びに来たファラオの娘に見つけさせ、
泣いているその子をかわいそうに思わせ、

様子を見守っていたその子の姉ミリアムに、
「私が行って、あなた様に
ヘブル人の中から乳母を一人呼んでまいりましょうか。
あなた様に代わって、その子に乳をのませるために」
と言うよう機転を利かせ、
その子の母親がその赤ん坊を育てるよう道を開き、
大きくなってファラオの娘のもとに連れて行かれたその子を、
エジプト王ファラオの娘の子とし、
「水の中から、私がこの子を引き出したから」と
モーセと名づけさせられたように。(出エジプト2:1~10)

 

 

 この方、天の神、【主】は、
自分たちと同じように、
愛において、自由意思で、自発的に、自分から進んで、
自分たちと思いを通い合わせ、
思いを一つにする者が欲しいと願われ(創世記1:26)、
人を創造しようと思われたのだそうです。

 

それで、その、人の住む場所として、
まず、この天地宇宙を創造し、
地球の自然環境を整えられて。

 

 

 創造されたばかりの地球の最初の状態は、
茫漠(ぼうばく)として何もなく、
闇が大水の面(おもて)の上にあり、
神の霊がその水の面を動いていたのだそうです。

 

それで神は仰せられたのだそうです。
「光あれ。」
すると光があった。
神は光を良しと見られた。
神は光と闇を分けられた。
神は光を昼と名づけ、闇を夜と名づけられた。
夕があり、朝があった。第一日。

 ~~~

神は仰せられた。
「天の下の水は一つ所に集まれ。
乾いた所が現れよ。」
すると、そのようになった。
神は乾いた所を地と名づけ、
水の集まった所を海と名づけられた。
神はそれを良しと見られた。

 

 

神は仰せられた。
「地は植物を、
種のできる草や、種の入った実を結ぶ果樹を、
種類ごとに地の上に芽生えさせよ。」

 

するとそのようになった。
地は植物を、すなわち、種のできる草を種類ごとに、
また種の入った実を結ぶ木を種類ごとに生じさせた。
神はそれを見て良しとされた。

夕があり、朝があった。第三日。

 

 

神は仰せられた。
「光る物が天の大空にあれ。
昼と夜を分けよ。
定められた時々のため、日と年のためのしるしとなれ。
また天の大空で光る物となり、
地の上を照らすようになれ。」

 

すると、そのようになった。
神は二つの大きな光る物を造られた。
大きいほうの光る物には昼を治めさせ、
小さいほうの光る物には夜を治めさせた。
また星を造られた。
 

神はそれらを天の大空に置き、地の上を照らさせ、
また昼と夜を治めさせ、光と闇を分けるようにされた。
神はそれを見て良しとされた。
夕があり、朝があった。第四日。

 

 

神は仰せられた。
「水には生き物が群がれ。
鳥は地の上、天の大空を飛べ。」 

神は、海の巨獣と、
水に群がりうごめくすべての生きる物を種類ごとに、
また翼のあるすべての鳥を種類ごとに創造された。
神はそれを見て良しとされた。

 

神はそれらを祝福して、
「生めよ。増えよ。海の水に満ちよ。
鳥は地の上に増えよ」と仰せられた。
夕があり、朝があった。第五日。

 

 

神は仰せられた。
「地は生きる物を種類ごとに、
家畜や、這(は)うもの、地の獣を種類ごとに生じよ。」
するとそのようになった。

神は、地の獣を種類ごとに、家畜を種類ごとに、
地面を這う(は)うすべての物を種類ごとに造られた。
神はそれを見てよしとされた(創世記1;1~25)、と。

 

 

 このように天の神、【主】は、
私たち人間を造るために、私たちが住む場所として、
このような壮大な創造のわざを行われたのですね。

それほどに私たち人間を大切に思っていてくださって。

だから、その私たち人間を贖(あがな)う、
ご自分の元に買い戻すためには、
何も惜しまずに代価を支払ってくださっているのですね。

【御子である神】のいのちさえも代価として差し出して。

 

私たちを在るべき本来の姿に生き返らせ、
強くし、守って。

この新しい一年も。

 

       ~~~~~~~~~~~~~~


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神が安息を与えようと。私たちに

六日間は働いて、
あなたのすべての仕事をしなさい。
しかし、七日目はあなたの神、
主の安息日であるから、
どのような仕事もしてはならない。

            出エジプト記20:9、10

 

安息日は、
人のために定められた。
マルコ2:27

 イザヤ書63:7~14
 マタイ4:12~17(通読箇所)
   (ローズンゲン日々の聖句12/30;金)

 

    ―――― ☆  ――――

 

 聖書が啓示している神、
天の神、【主】、
「『わたしはある(I am)』という者」と
名乗られる方(出エジプト3:14)は、
人の住まいとして、
この天地宇宙、地球の自然環境を六日間で創造し、
七日目に休まれました。

それで、人にも、七日目の週の終わりの日、土曜日を
安息日として与え、
すべての仕事を休んで家族でゆっくりし、
神と交わりを深める日とするよう、定められました。

 

 

しかし、イエス当時のユダヤ教の人たちは、
自分の力で神の律法を行い、神の義に達しようとして、
特にこの安息日を守ることに力を入れていました。
何を、どこまですると仕事になるのかと、
細かい規則を作って。
まるで、安息日のために人があるかのように。


それでイエスは、その受け取り違いを正して、
【父である神】の御心通りの安息日の過ごし方を
示されました。
人が安息日のために造られたのではなく、
安息日が人のために設けられたのだ、と。


彼らが、自分の受け取り違いに気づいて、
神の御思いのとおりに歩むように、と。

次のイザヤ書で言われているように。

 

私は【主】の恵みを語り告げる。

主の奇しいみわざの数々を。
【主】が与えてくださったすべてのことを。

そのあわれみと豊かな恵みに従って
与えてくださった、イスラエルの家への豊かな恵みを。

 

主は言われた。

「まことに、彼らはわたしの民、
偽りのない子たちだ」と。
 

こうして主は彼らの救い主となられた。
彼らが苦しむときには、いつも主も苦しみ、
主の臨在の御使いが彼らを救った。

その愛とあわれみによって、主は彼らを贖い、
昔からずっと彼らを背負い、担ってくださった。
 

しかし、彼らは逆らって
【主】の聖なる御霊を悲しませたので、
【主】は彼らの敵となり、自ら彼らと戦われた。

 

そのとき、主の民は
いにしえのモーセの日を思い出した。
彼らを、ご自分の群れの牧者たちとともに
海から導き上った方は、どこにおられるのか。
その中に主の聖なる御霊を置いた方は、
どこにおられるのか。
その輝かしい御腕をモーセの右に進ませ、
彼らの前で見ずを分けて、永遠の名を成し、
彼らに深みの底を
歩ませた方は、どこもおられるのか。
 

荒野を中を行く馬のように、
彼らはつまずくことはなかった。
谷に下る家畜のように
【主】の御霊が彼らを憩わせた。
このようにして、あなたはご自分の民を導き
ご自分のために輝かしい名を残されました。

             (イザヤ63:7~14)

 

 

エスが宣教を開始したとき、
「悔い改めなさい(方向転換して、神に向き変りなさい)。
天の御国(神のご支配)は近づいたから」
と言われたように(マタイ4:17)。 

 

【父である神】は、私たちに
安息を与えようと思っておられるのですから。
思いを通い合わせ、
親しく、ご自分と一緒に過ごすときを。

今日も。

 

       ~~~~~~~~~~~~~~


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神のことばは、全部、「然り」、「そのとおり」に実現しているのですから

神が言ったことを、
行わないことがあろうか。
告げたことを、
成し遂げないことがあろうか。
民数記23:19

 

イエス・キリストは、
「然り」と同時に
「否」となったような方ではありません。
この方においては
「然り」だけが実現したのです。
Ⅱコリント1:19

 

 Ⅰヨハネ4:12~16a
 マタイ4:1~11(通読箇所)
   (ローズンゲン日々の聖句12/29;木)

 

    ―――― ☆  ――――

 

 聖書が啓示している神、
天の神、【主】、
「『わたしはある(I am)』という者」と
名乗られる方(出エジプト3:14)は、
言われたことは、そのまま実行される方、
語られたことを、その言葉のとおりに
成し遂げられる方なのですね。

 

だから、人間となられた【御子である神】、イエス
「然り」、「はい」と言っておきながら、
あとで「否(いな)」、「いいえ」と
言うような方ではないのですね。

 

 それで、使徒ヨハネは言います。
「いまだかつて神を見た者はいません。
私たちが互いに愛し合うなら、
神は私たちのうちにとどまり、
神の愛が私たちのうちに全うされるのです。

神が私たちに御霊を与えてくださったことによって、
私たちが神のうちにとどまり、
神も私たちのうちにとどまっておられることが分かります。

 

私たちは、御父が御子を世の救い主として
遣わされたのを見て、その証しをしています。

 

だれでも、イエスが神の御子であると告白するなら、
神はその人のうちにとどまり、
その人も神のうちにとどまっています。
私たちは自分たちに対する神の愛を知り、
また信じています」(Ⅰヨハネ4:12~16a)と。

 

 

 このイエスについて、使徒マタイは書き記しています。

それからバプテスマのヨハネから洗礼を受けたあと)エスは、
悪魔の試みを受けるために、
御霊に導かれて荒野に上って行かれた。
そして40日40夜、断食をし、その後で空腹を覚えられた。

 

すると、試みる者が近づいて来て言った。
「あなたが神の子なら、
これらの石がパンになるように命じなさい。」

エスは答えられた。
「『人はパンだけで生きるのではなく、
神の口から出る一つ一つのことばで生きる』と書いてある。」

 

すると悪魔は聖なる都に連れて行き、
神殿の屋根の端に立たせて、こう言った。
「あなたが神の子なら、下に身を投げなさい。
『神はあなたのために御使いたちに命じられる。
彼らはその両手にあなたをのせ、
あなたの足が石に打ち当たらないようにする』
と書いてあるから。」
エスは言われた。
「あなたの神である主を試みてはならない」とも書いてある。」

 

悪魔はまた、イエスを非常に高い山に連れて行き、
この世のすべての王国とその栄華を見せて、こう言った。
「もしひれ伏して私を拝むなら、
これをすべてあなたに上げよう。」
そこでイエスは言われた。

「下がれ、サタン。
『あなたの神である主を礼拝しなさい。
主にのみ仕えなさい』と書いてある。」

 

すると悪魔はイエスを離れた。
そして、見よ、御使いたちが近づいて来て
エスに仕えた。(マタイ4:1~11)

 

 

 聖書の神、天の神、【主】は、
仰られたことは、その言葉のとおりに実行なさるのですね。
「わたしはあるという者」と名乗られ、
あろうと思う通りに在ることができる方なのですから。

 

そして、約束のことばは、イエスによって
「然り」、「そのとおり」になっているのですから。

私たちへの約束のことばも。

今日も。

 

       ~~~~~~~~~~~~~~

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望みにより、大胆に

わが魂よ、何ゆえうなだれるのか。
何ゆえ私のうちに思いみだれるのか。
神を待ち望め。
私は神が
わが助け、わが神であられることに、
なおも感謝を捧げよう。
詩篇42:12

 

このような望みを抱いているので、
私たちは
きわめて大胆にふるまいます。
Ⅱコリント3:12

 

 マタイ2:13~18
 マタイ3:13~17(通読箇所)
   (ローズンゲン日々の聖句12/28;水)

 

    ―――― ☆  ――――

 

 敵対する者たちは、骨を砕くほどに私たちをそしり、
絶えず私たちに言います。
「おまえの神はどこにいるのか」と。

それで、私たちのたましいはうなだれ、思い乱れます。
 

けれども私たちは言います。
「神を待ち望め。
私はなおも神をほめたたえる。
私の救い、私の神を」と。

 

このように、神に望みを抱いているので、
私たちはきわめて大胆に行動するのですね。

 

【父である神】は私たちに、
エスを通して来てくださる
【聖である霊】と呼ばれる方によって、
【父である神】の御思いを心に置いてくださり、
【父である神】の御思いがうちにあるようにして、
【父である神】と思いを共有しながら生きる、
新しい契約で生きるようにしていてくださるのですから。

 

石の上に刻まれた文字に仕えるのではなく、
人に、新しい生き方を生きさせてくださる
【聖である霊】と呼ばれる方に仕える者に
してくださって。

 

そして、この方のおられるところには
自由があるのですから。(Ⅱコリント3:6~7)

 

 

 このイエスについて、マタイは書いています。

そのころ、イエスガリラヤから
ヨルダン川ヨハネのもとに来られた。
彼からバプテスマを受けるためであった。
しかし、ヨハネはそうさせまいとして言った。
「私こそ、あなたからバプテスマを受ける必要があるのに、
あなたが私のところにおいでになったのですか。

しかし、イエスは答えられた。
「今はそうさせてほしい。
このように正しいことをすべて実現することが、
わたしたちにふさわしいのです。」

そこでヨハネは言われたとおりにした。

 

エスバプテスマを受けて、すぐに水から上がられた。
すると見よ、天が開け、神の御霊が鳩のように
ご自分の上に降(くだ)って来られるのをご覧になった。

そして、見よ、天から声があり、こう告げた。
「これはわたしの愛する子。
わたしはこれを喜ぶ。」(マタイ3:13~17)

 

 

こうしてイエスは、キリストとしての公生涯に入られました。
私たちも、うなだれ、思い乱れるときも、
神の励まし、神から来る望みによって
自由に、大胆にふるまうようにしていただけるのですから。

今日も。

農夫が、大地の実りを待ち望むように

ことばは肉となって、
私たちの間に宿った。
私たちはその栄光を見た。

            ヨハネ1:14a(12/25の週の聖句)

 

かつて、引き抜き、壊すために
彼らを見張っていたが、
同じように、建て、植えるために
彼らを見張る——主の仰せ。
エレミヤ書31:28

 

それゆえ、兄弟たち、
主が来られる時まで忍耐しなさい。
農夫は、秋の雨と春の雨が降るまで
忍耐しながら、
大地の尊い実りを待ちます。
ヤコブ書5:7

 ヨハネ21:20~24
 マタイ3:1~12(通読箇所)
   (ローズンゲン日々の聖句12/27;火)

 

    ―――― ☆  ――――
 

 【父である神】の御思いの表現である
「ことば」の立場におられる【御子である神】。

この方が、天の栄光の座をあとにして、
人間イエスとして人間の世界に来られたのですね。
12使徒の一人ヨハネは、
「私たちはそのイエスの栄光の目撃者だ」と証言しています。

 

天の神、【主】は、かつては、
イスラエルの罪を指摘し、引き抜き、壊して、
自分たちの「的外れ」を悟らせ、
ご自分に立ち返らせようとされたのですが、
エスによる贖(あがな)い、
エスのいのちを代価として支払って、
私たち人間を
神ご自身に立ち返らせる道が完成している今は、
私たちを建て、植えるために
見張っていてくださるのだそうです。

 

だから、イエスが私たちを迎えに、二度目に来られて、
私たちを天に引き上げ、
エスとすべての思いを共有しながら、いつまでも
エスと一緒にいるようにしてくださるその日まで、
約束のことばに信頼し、希望をもって待ち望んでいるように、
というのですね。
農夫が、忍耐して作物の実りを期待し、待っているように。

 


 イエスがペテロに、
ペテロがどういう死に方をするかを示されたとき、
ペテロは、「主よ、この人はどうなのですか」と、
仲間のヨハネのことを気にしました。

 

そして、イエスから
「わたしが(二度目に)来るときまで彼が生きるように、
わたしが望んだとしても、
あなたに何の関わりがありますか。
あなたは、わたしに従いなさい」
と言われたように(ヨハネ21:18~22)、
私たちも周りの人のことが気になる者ですが、
その人はその人、私は私として
神の御思いのとおりにしていくのですね。

 

バプテスマのヨハネが、
神から任せられた自分の持ち分を果たしていったように。

 

 

 そのバプテスマのヨハネの働きを、
マタイは次のように記しています。

 

そのころバプテスマのヨハネが現れ、
ユダヤの荒野で教えを宣べ伝えて、
「悔い改め(神に向き変り)なさい。
天の御国が近づいたから」と言った。

 

この人は、預言者イザヤによって、

「荒野で叫ぶ者の声がする。
『主の道を用意せよ。
主の通られる道をまっすぐにせよ』

と言われた人である。

 

この人はらくだの毛の衣をまとい、腰には川の帯を締め、
その食べ物はいなごとの野密であった。

 

そのころ、エルサレムユダヤの全土、
ヨルダン川周辺のすべての地域から、
人々がヨハネのもとにやって来て、自分の罪を告白し、
ヨルダン川で彼からバプテスマを受けていた。

 

ヨハネは、大勢のパリサイ人やサドカイ人が、
バプテスマを受けに来るのを見ると、彼らに言った。
「まむしの子孫たち、
だれが、迫り来る怒りを逃れられるようにと教えたのか。
それなら、悔い改めにふさわしい実を結びなさい。
 

あなたがたは、『われわれの父はアブラハムだ』と
心の中で思ってはいけません。
言っておきますが、神はこれらの石ころからでも、
アブラハムの子らを起こすことができるのです。
 

斧はすでに木の根元に置かれています。
だから、良い実を結ばない木はすべて切り倒され、
火に投げ込まれます。
 

私はあなたがたに、
悔い改めのバプテスマを水で授けていますが、
私の後に来られる方は私よりも力のある方です。
私には、
その方の履き物を脱がせて差し上げる資格もありません。

 

その方は
聖霊と火であなたがたにバプテスマを授けられます。
また手に箕(み)をもって、
ご自分の脱穀場を隅々まで掃ききよめられます。
麦を集めて倉に納め、
殻は消えない火で焼き尽くされます」と。

 

 

 私たちも、この、バプテスマのヨハネが人々に紹介した、
「私(ヨハネ)の後に来る、
聖霊と火であなたがたをバプテスマされ、
麦と殻を取り分けられる方、イエスに目を向けるのですね。

 


エスは、およそ33歳の頃、
私たちすべての人間の身代わりとなって、
十字架刑での死刑を受けられ、墓に納められましたが、
三日目、日曜日の早朝、新しい霊のからだに復活し、
40日にわたって何度も弟子たちに現れ、
神の国のことを語り、
ご自分が確かに生きていることを実証したのち、
オリーブ山で弟子たちが見守る中、上げられ、
天の、【父である神】の右の座に復帰されました。

 

そして、その位にあって、
もう一人の方、【聖である霊】と呼ばれる方を
受け入れる者にお遣わしくださり、
この方によって私たちの心に
【父である神】の御思いを置き、書き記して、
私たちのうちに【父である神】の御思いがあるようにし、
私たちが、
【父である神】と思いを共有しながら生きていくように
してくださるのですから。

 

私たちの一日一日に、【父である神】の御思いが成る、
その良い実を結ぶ日になるように、と。

今日も。

 

       ~~~~~~~~~~~~~~

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教会に行っていないけれど
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地の上では、平和があるように、と

彼は
諸国の民に平和を命じる。
ゼカリヤ書9:10

 

「いと高きところでは、
神の栄光があるように。
地の上では、み心にかなう人々に
平和があるように。
ルカ2:14

 ルカ2:1~20
 マタイ1:18~25(通読箇所)
   (ローズンゲン日々の聖句12/24;土・聖夜) 

    ―――― ☆  ――――

 

 聖書が啓示している神、
天の神、【主】、
「『わたしはある(I am)』という者」と
名乗られる方(出エジプト3:14)は、
預言者ゼカリヤを通して言われます。

 

「娘シオンよ、大いに喜べ。
エルサレムよ、喜び叫べ。
見よ、あなたの王があなたのところに来る。
義なる者で、勝利を得、
柔和な者で、ろばに乗って。
雌ろばの子である、ろばに乗って。
 

わたしは戦車をエフライムから、
軍馬をエルサレムから絶えさせる。
戦いの弓も絶たれる。
彼は諸国の民に平和を告げ、
その支配は海から海へ、
大河から地の果てにいたる」(ゼカリヤ9:9~10)と。

 

 

 【御子である神】が、【父である神】の御思いを受けて、
やがて、ろばの子に乗ってエルサレム入城される
柔和な王として人の世に来られた時の様子を、
ルカは次のように記しています。


そのころ、
全世界の住民登録をせよという勅令(ちょくれい)
(ローマ)皇帝アウグストウスから出た。
これはキリニウスがシリアの総督であったときの、
最初の住民登録であった。
 

人々はみな登録のために、
それぞれ自分の町に帰って行った。
ヨセフも、ダビデの家に属し、その血筋であったので、
ガリラヤの町ナザレから、
ユダのベツレヘムというダビデの町へ上って行った。
身重になっていた、いいなずけの妻マリアとともに
登録するためであった。

 

ところが、彼らがそこにいる間に、
マリアは月が満ちて、男子の初子(ういご)を産んだ。
そして、その子を布にくるんで、飼い葉桶に寝かせた。
宿屋には彼らのいる場所がなかったからである。

 

さて、その地方で、羊飼いたちが野宿をしながら、
羊の群れの夜番をしていた。
すると、主の使いが彼らのところに来て、
主の栄光が周りを照らしたので、彼らは非常に恐れた。
 

御使いは殻らに言った。
「恐れることはありません。
見なさい。私は、この民全体に与えられる、
大きな喜びを告げ知らせます。
今日ダビデの町で、
あなたがたのために救い主がお生まれになりました。

この方こそ主キリストです。
あなたがたは、
布にくるまって飼葉桶に寝ているみどりごを見つけます。
それが、あなたがたのためのしるしです。」

 

すると突然、その御使いと一緒に
おびただしい数の天の軍勢が現れて、神を賛美した。
「いと高き所で、神に栄光があるように。
地の上で平和が、御心にかなう人にあるように。」

 

御使いたちが彼らから離れて天に帰ったとき、
羊飼いたちは話し合った。
「さあ、ベツレヘムまで行って、
主が私たちに知らせてくださった
この出来事を見届けて来よう。」

 

そして急いで行って、マリアとヨセフと、
飼葉桶に寝ているみどりごを捜し当てた。
それを目にして羊飼いたちは、
この幼子について自分たちに告げられたことを知らせた。
聞いた人たちはみな、羊飼いたちが話したことに驚いた。
 

しかしマリアは、これらのことをすべて心に納めて、
思い巡らしていた。
羊飼いたちは、
見聞きしたことがすべて御使いが話したとおりだったので、
神をあがめ、賛美しながら帰って行った。(ルカ2:1~20)

 

 

 このイエス誕生の様子を、マタイは、
マリアの婚約者ヨセフ立場から記しています。


イエス・キリストの誕生は、次のようであった。
母マリアはヨセフと婚約していたが、
二人はまだ一緒にならないうちに、
聖霊によって身ごもっていることが分かった。

 

夫のヨセフは正しい人で、
マリアをさらし者にしたくなかったので、
ひそかに離縁しようと思った。

彼がこのことを思い巡らしていたところ、
見よ、主の使いが夢に現れて言った。
ダビデの子ヨセフよ、
恐れずにマリアをあなたの妻として迎えなさい。
その胎に宿っている子は聖霊によるのです。
マリアは男の子を産みます。
その名をイエスとつけなさい。
この方がご自分の民をその罪からお救いになるのです。」

 

このすべての出来事は、
主が預言者を通して語られたことが成就するためであった。


「見よ、処女が身ごもっている。
そして男の子を産む。

その名はインマヌエルと呼ばれる。」
それは、訳すと
「神が私たちとともにおられる」という意味である。
 

ヨセフは眠りから覚めると
主の使いが命じられたとおりにし、
自分の妻を迎え入れたが、
子を産むまでは彼女を知ることはなかった。
そして、その子の名をイエスとつけた。(マタイ1:18~25)

 

 

このような、不思議な誕生をしたイエスが、
今度は王として来られて、諸国の民に
平和を命じられるのだそうですから。
 

すべての王たち、大統領と呼ばれる人たちも、
これに従うのですね。
 

私たちも、「地の上では、
御心にかなう人々に平和があるように」と願いながら。

今日も。

 

       ~~~~~~~~~~~~~~

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