この方が一緒にいてくださるなら、私たちは

 

イスラエルの王である主は、
あなたとともにおられるので、
もはや
災いを恐れる必要はない。
ゼファニア書3:15(独)

 

神は、おくびょうの霊ではなく、
力と愛と思慮分別の霊を
私たちにくださったのです。
Ⅱテモテ1:7

 

 ヨブ記42:7~13(14~17)

 ロマ 書14:13~23(通読箇所)

   (ローズンゲン『日々の聖句』4/18;火)

 

      ―――― α&ω  ――――

 

 私たちは、もう、
わざわいを恐れる必要はなくなるのですね。
聖書が啓示している神、天の神、【主】、
「『わたしはある(I am)』という者」と
名乗られる方(出エジプト3:14)が、
私たちとともにいてくださるので。
この方は、臆病の霊ではなく、
力と愛と思慮分別、慎みの霊なのですから。

 

 

 この方が、
苦難を受けたヨブの最期をどのように扱ってくださったか、
ヨブ記は次のように記しています。
 

 【主】がこれらのことをヨブに語った後、
【主】はテマン人エリファズに言われた。
「わたしの怒りは
あなたとあなたの二人の友に向かって燃える。
あなたがたが、わたしのしもべヨブのように、
わたしについて確かなことを語らなかったからだ。

 

今、あなたがたがは雄牛7頭と雄羊7匹を取って、
わたしのしもべヨブのところに行き、
自分たちのために全焼の献げ物を献げよ。
わたしのしもべヨブがあなたがたのために祈る。
わたしは彼の願いを受け入れるので、
あなたがたの愚行に報いるようなことはしない。
あなたがたは、わたしのしもべヨブのように、
わたしのついて確かなことを語らなかったが。」

 

テマン人エリファズと、シェアハ人ビルダと、
ナアマ人ツォファルは行って、
【主】が彼らに命じられたようにした。
すると【主】は、ヨブの願いを受け入れられた。
ヨブがその友人たちのために祈ったとき、
【主】はヨブを元どおりにされた。

さらに【主】はヨブの財産をすべて、二倍にされた。
 

こうして彼のすべての兄弟、すべての姉妹、
それに以前のすべての知人は、
彼のところに来て、彼の家で一緒に食事をした。
そして彼に同情し、
【主】が彼の上にもたらされたすべてのわざわいについて、
彼を慰めた。
彼らはそれぞれ1ケシタと金の輪一つずつを彼に与えた。

 

【主】はヨブの後の半生を前の半生に増して祝福された。
それで彼は羊1万4千匹、らくだ6千頭
牛一千くびき、雌ろば1千頭を持つことになった。

 

また、息子七人、娘三人を持った。
彼はその第一の娘をエミマ、第二の娘をケツィア、
第三の娘をケレン・ハ・プクと名づけた。
ヨブの娘たちんほど美しい女は、
この地のどこにも見当たらなかった。
彼女たちの父は彼女たちに、
その兄弟たちの間で相続地を分け与えた。

 

この後ヨブは140年生き、自分の子と、
その子の子たちを四代目まで見た。

こうしてヨブは死んだ。
年老いて満ち足りた生涯であった(ヨブ記42:7~17)と。

 


 パウロは、ローマにいる、
エスによって【聖である霊】が心に置いてくださる
【父である神】の御思いによって生きるようになった
人たちに宛てた手紙に書いています。

 

【父である神】の御思いで生きる者は、
まだ、神との信頼関係が弱い人たちを
批判し、さばくのではなく、受けれます、と。

 

私たちの中でだれ一人、
自分のために生きている人はなく、
自分のために死ぬ人もいないからです。
私たちは、生きるとすれば主のために生き、
死ぬとすれば主のために死にます。
ですから、生きるにしても、死ぬにしても、
私たちは主のものです。
 

キリストが死んでよみがえられたのは、
死んだ人にも生きている人にも、主となるためです。

 

それなのに、どうして、自分の兄弟を見下すのですか。
私たちはみな、神のさばきの座に立つことになるのです。
私たちはそれぞれ自分について、
神に申し開きをすることになります、と。

 

私たちは、互いにさばき合う思いが出てくるたびに、
その一つ一つをイエスの御前に差し出し、
知っていただき、受け取っていただいて、
兄弟に対して妨げになるもの、つまずきになるものを
置くことをしないようにしようと思うようになるのですね。

 

自分の信仰の基準とちがうからと、だれかをさばく思いは、
エスの十字架刑での死刑に合わせていただいて
死んだものから出て来た思いであると認め、計算して、
エスの御前にかなぐり捨て、
【聖である霊】と呼ばれる方が心に置いてくださる、
「相手を大切に思い、
その人が心を痛めることがないように」と配慮する
愛の思いを心に置いていただいて。

その人も、キリストが代わりに死んでくださったほどの
人なのだから、と。

 

神の国、【聖である霊】と呼ばれる方による
義と平和と喜びの中へ、と。

 

それで、この、【聖である霊】と呼ばれる方によって心に来る
エスの思いで生きる者は、【父である神】に喜ばれ、
人々にも認められるようになるのですから。

 

平和に役立つこと、
お互いの霊的成長に役立つことを
追い求めるようになって。

 

それぞれ、自分が持っている信仰は、
神の御前で自分の信仰として持っていて、
自分自身をさばくこともしないようにしていただいて。

 

そのような、イエスによって来てくださる
力と愛と思慮分別の霊、
【聖である霊】と呼ばれる方の働きの中へ、と。

今日も。

 

       ~~~~~~~~~~~~~~ 


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