どの土台の上に、人生という家を建てるのか

あなたがたの中に毒草やにがよもぎの根が
あってはならない。
申命記29:17

主が互いの愛と、
どんな人に対しても変わらない愛を
あなたがたがに育て、
ますます豊かにしてくださいますように。
私たちがあなたがたに
そうしているように。
Ⅰテサロニケ3:12

 

 Ⅰコリント3:9~15
 Ⅱテサロニケ1:1~12(通読箇所)
1   (ローズンゲン『日々の聖句』11/24;水)

 

     ―――― ☆  ――――

 

 にがよもぎの根があるのですね。私たちには。
私たち、「神の一人のようになり、善悪を知る」ように
なっている者のなのですから。

 

私たち人間は、
天の神、【主】、
「『わたしはある(I am)』という者」と
名乗られる方(出エジプト3:14)により、
「われわれのかたちとして、われわれの似姿に造ろう」
との願いによって造られた者。


【父である神】、【御子である神】、
【聖である霊】と呼ばれる方が、
それぞれ、全知、全能、永遠不変の方でありながら、
愛において、自由意思で、自発的に
自分の思いが成ることよりも、相手の思いが成ることを
願っておられ、心を一つにしておられる(ヨハネ6:38、8:28、14:10、16:13~14)、
その一つに加わる者をとの願いによって造られて。

それなのに、最初の人、アダムとエバは、
その、神と思いを一つにしていく立ち場に満足せず、
もっと素晴らしいもの、神と対等なものになろうとして、
神に対立、対抗していく者になり、
神の創造の目的から「的外れ」になっているのですから。(創世記3:22)

 

そして、アダムの子孫として生まれて来ている私たちは、
この「的外れ」の性質を受け継いで
生まれてきているのですから。
 

 

 それで、天の神、【主】は、
その、「神の一人のようになり、善悪を知る」ようになっている
私たちの〔生まれたときからの私〕という霊を処刑するために、
身代わりの死によるあがないを計画されたのだそうです。

 

【御子である神】を人間イエスとして人の世に送り、
この方を処刑することで
私たちの〔生まれたときからの私〕という霊を死んだもの、
処刑が終わっている者としてくださろうと。


そして【父である神】は、
この、私たち、すべての人間の身代わりとなり、
十字架刑での処刑を受けられ、墓に納められたイエスを、
三日目、日曜日の早朝、新しい霊のからだに復活させ、
40日の間、何度も弟子たちに現れさせ、
エスは確かに生きていることを見せたのち、
オリーブ山で弟子たちが見守る中、上げられ、
天の、ご自身の右の座に復帰させられました。

そして、この、イエスの十字架刑での死によって、
自分の〔生まれたときからの私〕という霊を
処刑が終わったもの、死んだものとしていただいていることを
受け取った者に、
【父である神】は、右の座に着いておられるイエスを通して、
もう一人の助け主、【聖である霊】と呼ばれる方を
お遣わしになり、
この方によって私たちの心にご自身の思いを置き、
書き記してくださって、私たちの心に
ご自身の御思いがあるようにしてくださり、
受け入れる者がご自身の思いによって生きるように
してくださるのだそうですから。

ご自身と思いを一つにし、
ご自身がしようと思われることをしていく者に(エレミヤ31:31~34、エゼキエル36:25~28、ヨハネ17::21~23)と。

 

 それで私たちも、自分の
〔生まれたときからの私〕という霊から出て来た思いは、
死んだものから出て来た思いであると認めて、
これをイエスの御前に差し出し、受け取っていただきながら、
この、【聖である霊】と呼ばれる方によって心に来た
【父である神】の御思いで生きるようにしていただけるのですね。

互いに対する愛、また、すべての人に対する愛が
豊かにあるように、あふれるようにしていただいて。

 


 また、私たちの人生は、
建築家が家を建てるようなもの、のようですね。

この、十字架刑での処刑を受けられ、
新しい霊のからだに復活し、天の、
【父である神】の右の座に帰られたイエスを通して
来てくださる【聖である霊】と呼ばれる方によって心に来た
【父である神】の御思いで生きる生き方を土台とし、
その土台の上に人生という家を建てる。

 

どの土台の上に建てたかは、
「その日」には、明らかになるのだそうです。

その日は火とともに現れ、私たち、それぞれの働きが
どちらを土台にしているかを明らかにするのだそうです。

【聖である霊】と呼ばれる方によって心に来た
【父である神】の御思いで生きた部分は残り、
〔生まれたときからの私〕から出て来た思いで生きた部分は
焼けてしまって残ることはないのだそうですから。(Ⅰコリント3:9~15)
 
その日、主イエスは、燃える炎の中に、
力ある御使いたちとともに天から下って来られるのだそうです。
そして、別の土台の上に建てられたものは、
主の御前から、その御力の栄光から
退けられるのだそうです。

その日、イエスは来て、ご自分の聖徒たちの間であがめられ、
信頼しているすべての者たちの間で感嘆の的となられます。
 

また神は、私たちを召しにふさわしい者にし、
御力によって、善を求めるあらゆる願いと、
信頼による働きを実現し、私たちの神であり主である
イエス・キリストの恵みによって、
私たちの主イエスの名が私たちの間であがめられ、
私たちも主イエスにあって(土台の上にいて)
栄光を与えていただけるのだそうですから。

にがよもぎは、イエスの十字架刑での死によって、
根ごと引き抜かれて。

今日も。

 

 

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