神の驚くべき御業の中を、私たちも

それゆえ、わたしは再びこの民を、
驚くべき業によって驚かす。
この民の知恵ある者の知恵は滅び、
悟りある者の悟りは隠される。
イザヤ書29:14
 

群衆は、
口の利けない人がものを言い、
目の見えない人が
見えるようになったのを見て驚き、
イスラエルの神を崇めた。
マタイ15:31

 

 ルカ6:43~49
 ロマ書1:16~17(通読箇所)
   (ローズンゲン日々の聖句2/15;水)

   ―――― ☆  ――――

 

 聖書が啓示している神、
天の神、【主】、
「『わたしはある(I am)』という者」と
名乗られる方(出エジプト3:14)は、
知恵ある者の知恵がないものと思われるような、
悟りのある者の悟りが隠されてしまうような、
驚くべき御業(みわざ)を、再び、行なうと仰るのですね。

 

その言葉のとおりに、イエスは、
大勢の群衆が、足の不自由な人たち、
目の見えない人たち、手足の曲がった人たち、
口の利けない人たち、
そのほか多くの人とみもとに連れて来て、
エスの足もとに置いたとき、
彼らを癒されたのですね。
それで群衆は、それを見て驚き、
イスラエルの神を崇めました。

 

 

 また、イエスは言われました。

「良い木が悪い実を結ぶことはなく、
悪い木が良い実を結ぶこともありません。
木はそれぞれ、その実によって分かります。

(いばら)からいちじくを採ることはなく、
野ばらからぶどうを摘むこともありません。

 

良い人は、その良い倉から良いものを取り出し、
悪い人は、悪い倉から悪い物を取り出します。
人の口は、心に満ちていることを話すからです。
 

なぜあなたがたは、
わたしを『主よ、主よ』と呼びながら、
私の言うことを行わないのですか。

わたしのもとに来て、わたしのことばを聞き、
それを行う人がみな、どんな人に似ているか、
あなたがたに示しましょう。
その人は、地面を深く掘り下げ、岩の上に土台を据えて、
家を建てた人に似ています。
洪水になり、川の水がその家に押し寄せても、
しっかりと建てられていたので、びくともしませんでした。

しかし、聞いても行わない人は、
土台なして地面に家を建てた人に似ています。
川の水が押し寄せると、家はすぐに倒れてしまい、
その壊れ方はひどいものでした。」(ルカ6:43~49)

 

 

 イエスが、「良い木が悪い実を結ぶことはなく、
悪い木が良い実を結ぶこともありません」
と言われたように、
私たちが、いくら、イエスのことば、神のことばを聞いても、
私たち自身である〔生まれたときからの私〕という霊は、
神の創造の目的から「的外れ」になっている
「悪い木」であって、
自分の理性を神とし、
自分の理性による善悪の判断によって行動し、
自分の誉れを求めるばかりで(創世記3:22)、
神のことばに従うことはしないのですね。

「茨(いばら)がいちじくの実を結ぶことはなく、
野ばらがぶどうの実を結ぶことがないのと同じように。

 

また、この神の創造の目的から「的外れ」になっている
私たち自身である〔生まれたときからの私〕
という霊から出てくる善悪の判断で生きることは、
土台なしで、地面に、あるいは、砂の上に、
家を建てるようなものなのですね。

 

「地面を深く掘って」、
自分の〔生まれたときからの私〕
という霊から出てくる思いは、
神の創造の目的から「的外れ」でしかないことを認めて、
 

エスが私たちの身代わりとなって受けてくださった
十字架刑での死刑に合体させていただいて、
処刑が済んでいる者、死んだものと
手続きしていただくのですね。

 

そして、死んで墓に納められ、
三日目、日曜日の早朝、新しい霊のからだに復活し、
40日にわたって何度も弟子たちに現れ、
神の国のことを語ったのち、
オリーブ山で弟子たちが見守る中、上げられ、
天の、【父である神】の右の座に復帰されたイエス

 

そのイエスを通して来てくださる
【聖である霊】と呼ばれる方。

 

私たちはこの方をお迎えし、
この方に、【父である神】の御思いを心に置いていただき、
私たちのうちに【父である神】の御思いがあるようにして
いただけるのだそうですから。

 

それで私たちは、
この【聖である霊】と呼ばれる方によって心に来る
【父である神】の御思いで生きる、
人生という建物を建てていく生き方をするように
していただけるのだそうです。

 

「悪い木」である〔生まれたときからの私〕という霊を
死んだものとしていただき、
「良い木」である【聖である霊】と呼ばれる方によって
心に来る思いで生きる人生を建てていく者、
「岩を土台とする」生き方へ、と。

 

 

 この、イエスによる新しい生き方、「良い知らせ」を
当時の地中海世界に伝えたパウロは言います。
 

「私は福音(イエスによる良い知らせ)を恥としません。
福音は、ユダヤ人をはじめギリシャ人にも、
信じるすべての人に救いをもたらす神の力です。
福音には神の義が啓示されていて、
信仰(信頼、真実)に始まり信仰に進ませるからです。

『義人は信仰(神への信頼)によって生きる
(信仰による義人は生きる)』と
書いてあるとおりです」(ロマ:16~17)と。

 

 

 私たちも、神の驚くべき御業(みわざ)
自分の〔生まれたときからの私〕
という霊から出てくる思いによって生きていた私たちを、
エスにを通して来てくださる【聖である霊】によって、
【父である神】の御思いによって生きる、
新しい生き方を生きさせてくださる神に
信頼して、その事実をいただいていくのですね。

 

驚くべき御業の中を。

今日も。

 

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