神の国での宴会の席に着くまでを

人々が東からも西からも、
また南からも北からも来て、
神の国で食卓につきます。
ルカ13:29
                    (1/22の週の聖句)

 

私が潰(つぶ)れないようにしてください。
私はあなたを信頼しております。

             詩篇25:20(ドイツ語聖書より)

 

雨が降って洪水が押し寄せ、
風が吹いてその家を襲っても、
家は倒れませんでした。
岩の上に
土台が据えられていたからです。
マタイ7:25

 

 使徒16:9~15
 創世記11:1~9(通読箇所)
   (ローズンゲン日々の聖句1/23;月)

 

 

    ―――― ☆  ――――

 

 聖書が啓示している神、
天の神、【主】、
「『わたしはある(I am)』という者」と
名乗られる方(出エジプト3:14)は、
私たちが潰(つぶ)れてしまわないように、
恥を見ないように、私たちを守り、
困難から、不当な苦しみから救い出してくださる方。

 

それで、私たちはこの方に信頼し、
この方に身を避けます。

 

しっかりした土台、
砂地ではなく、岩を土台として家を建てる人のように。
 

自分の理性に信頼し、
自分の理性による善し悪しの判断の上にではなく、
エスを通して来てくださる
【聖である霊】と呼ばれる方が心に置いてくださる、
【父である神】の善し悪しの判断の上に
自分の生活を立ち上げて。

 

 

 パウロたちが、
【聖である霊】と呼ばれる方の導きについていって、
自分では思ってもいなかった、
エーゲ海を渡り、マケドニアギリシャ地方に
エスによる良い知らせを伝えていったように。

 

 

ルカはこの時のことを次のように記しています。

その夜、パウロは幻を見た。
一人のマケドニア人が立って、
マケドニアに渡って来て、私たちを助けてください」と
懇願するのであった。

パウロがこの幻を見たとき、
私たちはただちにマケドニアに渡ることにした。
彼らに福音を宣べ伝えるために、
神が私たちを召しておられるのだと確信したからである。

 

私たちはトロアスから船出して、サモトラケに直行し、
翌日ネアポリスに着いた。
そこからピリピに行った。
この町はマケドニアのこの地方の主要な町で、
植民都市であった。

 

私たちはこの町に数日滞在した。
そして安息日に、
(この町には、ユダヤ人の会堂がまだなかったので)
私たちは町の門の外に出て、
祈り場があると思われる川岸に行き、
そこに腰を下ろして、集まって来た女たちに話しをした

 

。リディアという女の人が聞いていた。
ティアティラ市の紫布の商人で、神を敬う人であった。
主は彼女の心を開いて、
パウロの語ることに心を留めるようにされた。

 

そして、
彼女とその家族の者たちがバプテスマを受けたとき、
彼女は「私が主を信じる者だとお思いでしたら、
私の家に来てお泊りください」と懇願し、
無理やり私たちにそうさせた。(使徒16:9~15)

 

 

このようにして、神である【主】は、パウロたちを導いて
ヨーロッパ最初の教会をピリピに作られ、
パウロの宣教の働きを支援する群れとされたのですね。

 

 

 このような神の御思いの上に立った行動、
岩の上に家を建てる出来事と真反対の出来事が
創世記に記されています。

 

神である【主】は、
「われわれのかたちとして、
われわれの似姿に」(創世記1:26)と望んで造った人間が、
ご自身と思いを一つにして生きる場に留まらず、
もっと素晴らしい者になろうとして
「神のひとりのようになり、
善悪を知る者」になって(創世記3:22)、
それぞれが自分の善し悪しの判断で生きるようになり、
地が暴虐で満ちていることを悲しまれました。
 

それで、大洪水によって生きているものをみな滅ぼし、
その時代で一番神とともに歩んでいたノアとその家族を
箱舟によって大洪水から救い、
彼らから新しい歴史を始められました。

しかし、その結果は次のようなものでした。

 

さて、全地は一つ話しことば、
一つの共通のことばであった。
人々が東の方へ移動したとき、
彼らはシンアル(シュメール)の地に
平地があるのを見つけて、そこに住んだ。

彼らは互いに言った。
「さあ、レンガを作って、よく焼こう。」
彼らは石の代わりにレンガを、
漆喰(しっくい)の代わりに
瀝青(れきせいアスファルト)を用いた。

彼らは言った。
「さあ、われわれは自分たちのために、
町と、頂が天に届く塔を建てて、名をあげよう。
われわれが地の全面に散らされるといけないから。」

 

そのとき【主】は、
人間が建てた町と塔を見るために降りてこられた。
【主】は言われた。
「見よ。彼らは一つの民で、
みな同じ話ことばを持っている。
このようなことをし始めたのなら、
今や、彼らがしようと企てることで、
不可能なことは何もない。

 

さあ、降りて行って、
そこで彼らのことばを混乱させ、
互いの話ことばが通じないようにしよう。」

 

【主】が彼らを地の全面に散らされたので、
彼らはその町を立てるのをやめた。
それゆえ、その町の名はバベル(バビロン)と呼ばれた。
そこで【主】が全地の話しことばを混乱(ヘブル語バラル)させ、
そこから【主】が人々を地の全面に散らされたからである。

                      (創世記11:1~9)

 

 

私たちは、
この、「神の一人のようになり、善悪を知る者」になって、
神に対立、対抗して、
自分の理性の判断だけで善悪を決めていく生き方か、
神である【主】と相談しながら善悪を判断していく生き方かを
選びながら生きることになるのですね。
岩の上の土台か、砂地の上の土台かを。

 

神である【主】は、私が潰(つぶ)され、
恥をかくことがないよう、守り、救い出し、
神の国で、神の家族として食卓に着くよう、
願っていてくださるのですから。

今日も。

 

       ~~~~~~~~~~~~~~


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