闇も夜も、昼間と同じように明るい方の御思いを、心にいただいて

たとえ私が
「闇よ、私を覆え。
光ではなく、夜よ、私を囲め」と言っても、
あなたにとっては、闇は暗くなく、
夜は昼のように明るいのです。
詩139:11~12

日が暮れると、
いろいろな病気に悩む者を抱えた人が皆、
病人たちをイエスのところに連れて来た。
エスは一人ひとりに
手を置いて癒された。
ルカ4:40

 使徒16:9~15
 ヨシュア記8:1~29(通読箇所)
   (ローズンゲン『日々の聖句』1/24;月)

 

      ―――― ☆  ――――


 私たちが神から逃れようと、
夜の暗闇に逃げ込もうとしても、
神にとっては、闇は暗くはなく、
夜も昼と同じに見えているのだそうです。

「日が暮れると」というのは、
ユダヤでは、今の私たちのように
夜中の0時が一日の始まりではなく、
日没が一日の始まりだったので、
「日没になって、安息日が終わると」という意味でしょうが、
象徴的に、私たちの神は、夜も、昼と同じように働いてくださる、
というようにも感じます。

私たちの神は、夜だからと言って眠ってしまわれる方ではない。
エスは、昼間であろうと夜であろうと、変わりなく
私たちのために御業を現してくださる方、なのですね。

 


 神は、夜、パウロに、
一人のマケドニア人が立って、
マケドニアに渡って来て、私たちを助けてください」と
懇願する幻を見せて、
パウロたちをエーゲ海を渡ってマケドニアに行かせ、
このイエスによる救いの「良い知らせ」を
アジアだけにとどまらず、ヨーロッパへ伝えるよう導かれました。

 

そして、ピリピという町へ導き、
いつもなら、ユダヤ人の会堂に行って話をするのですが、
ピリピにはまだ会堂がなかったので(ユダヤ人が少なかった)、
祈り場を捜させ、そこでイエスによる救いを伝えさせました。
 

そして、紫布の商人のリディアという女性の心を開き、
パウロの語ることに心を留めさせ、
彼女とその家族の者たちがバプテスマを受けるようにされ、
パウロ一行を家に招き、さらにイエスのことを話してもらい、
こうして、ピリピに信じる者の群れが起こるように
導かれました。(使徒16:9~15)

 


 私たちも、イエスを通して来てくださる
【聖である霊】と呼ばれる方により、
この、闇も暗くはなく、夜も、昼と同じ方、
天の神、【主】の御思いを心に置いていただき、
この方の御思いと一つ思いにしていただいて、
この方が私を通してしようと思われることをしていく者に、と。
(エレミヤ31:31~34、エゼキエル36:25~28、ヨハネ17::21~23)

パウロがピリピへ遣わされたように。
私たちも、今日。

 

 

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