告げられた、新しいことが、今、私たちに実現し

見よ、予告したことは訪れた。
だから、
わたしは新しいことを告げよう。
それが芽吹く前に、わたしは
あなたがたに聞かせよう。
イザヤ書42:9

 

多くの預言者や正しい人たちは、
あなたがたが見ているものを
見たかったが、
見ることができず、
あなたがたが聞いているものを
聞きたかったが、
聞けなかったのでる。
マタイ13:17

 

 ロマ書4:18~25
 エステル記5:1~14(通読箇所)
   (ローズンゲン『日々の聖句』10/8;土)

    ―――― ☆  ――――
 

 聖書が啓示している神、
天の神、【主】、
「『わたしはある(I am)』という者」と
名乗られる方(出エジプト3:14)は、
ご自分の預言者などを通して、
まだ、起こっていないこと、
これから起こることを民に告げられましたが、
それが、その預言のとおりに実現したではないか、
と仰るのですね。

 

そして、新しいこと、
まだ、告げられていないことをあなたがたに告げる、と。
それが芽吹く、
起ころうとする前に、あなたがたに聞かせようと。

 

 

 イエスを通して私たちに到来し、
私たちに実現していることは、
エス以前の多くの預言者
神との正しい関係に生きる人たちが、
見たい、聞きたいと切望しても見ることができず、
聞くことができなかったすばらしいもの、なのだと、
エスは言われます。

 

 

 使徒パウロは、
自分の行った正しい行いで
神の前に義と認められる在り方ではなく、
神に信頼することで義と認めていただける生き方について、
次のように書き送っています。

 

「彼(アブラハム)は、望み得ない時に望みを抱いて信じ、
『あなたの子孫はこのように(星の数のように、
浜辺の砂の数のように)なる』(創世記15:5)と
言われていたとおり、
多くの国民の父となりました。

 

彼は、およそ100歳になり、
自分のからだがすでに死んだも同然であること、
またサラの胎が死んでいることを認めても、
その信仰(信頼)は弱りませんでした。
不信仰になって神の約束を疑うようなことはなく、
かえって信仰(信頼)が強められて、神に栄光を帰し、
神には約束したことを実行する力がある、
と確信していました。
 

だからこそ、『彼には、それが義と認められた』のです。
しかし、『彼には、それが義と認められた』と書かれたのは、
ただ彼のためだけでなく、私たちのためでもあります。

すなわち、私たちの主イエス
死者の中からよみがえらせた方を信じる私たちも、
義と認められるのです。

 

主イエスは、私たちの背きの罪のゆえに死に渡され、
私たちが義と認められるために、
よみがえられました。」(ロマ4:18~25)

 

 

 ここでパウロが言っているように、
神なく、望みなく、もろもろの約束とも関係のない者である
私たち異邦人が、イエスを通して実現した
信仰(信頼)による神の義をいただき、
アブラハムの子孫とされ、
神の子の身分をいただき、
神の御国を受け継ぐ者ともされて、
 

神の子にふさわしい生き方、
エスを通して来てくださる
【聖である霊】と呼ばれる方によって、
【父である神】の御思いを心に置いていただき、
【父である神】の御思いがうちにある者とされ、
【父である神】が思われる思いと
思いを合わせて生きるようにしていただけるのですから。

 

多くの預言者たちが見たいと思っていた
この出来事の中を、

私たちも、今日。

 

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