主はご自分の民には法を適用され、
ご自分の僕(しもべ)たちに
寛大であられる。詩135:14
義に飢え渇く者は幸いです。
その人たちは満ち足りるからです。マタイ5:6
Ⅱテモテ3:(10~13)14~17
エフェソ書5:21~33(通読箇所)
(ローズンゲン『日々の聖句』2/25;金)
―――― ☆ ――――
聖書が啓示している神、
天の神、【主】、
「『わたしはある(I am)』という者」と
名乗られる方(出エジプト3:14)は、
ご自分の民を法をもって公正なさばきを行われ、
そのしもべたちをあわれまれる方。
自分には、神の御前で通用する義が一点もないことを認め、
神の憐れみにすがり、神の義をいただくことを願う者に、
その願いをかなえ、満ち足らせてくださるのだそうですから。
私たちが聖書に親しんでいくなら、
聖書は私たちに知恵を与え、
キリスト・イエスに対する信頼による救いを
受け取らせてくれます。
聖書はすべて神の霊感によるもので、教えと戒めと
矯正と義の訓練のために有益な書物ですから。
この聖書をよく読むことによって私たちは、
すべての良い働きにふさわしく、
十分に整えられた者、
間に合うものとなります。(Ⅱテモテ3:15~17)
イエス・キリストは、
ご自分に信頼し、従う者たちのかしらであり、
ご自分がそのからだ(信じる者たちの集合体)の
救い主となっておられます。
それで、このイエスを通して来てくださる
【聖である霊】と呼ばれる方が私たちの心に置いてくださる
【父である神】の御思いは、
妻の立場にある者は、主イエスに従うように、
自分の夫に従おうとする思いなのですね。
教会(イエスに信頼する者の集合体)がイエスに従うように、
妻もすべてにおいて、
自分のかしらとして立てられている夫に従おうと思うのですね。
そして、イエスが(普遍的な)教会
(イエスに信頼する者の集合体)を愛し、
教会のためにご自分をささげられ、
みことばにより、水の洗いをもって、
教会をきよめて聖なるものとし、しみや
しわや、そのようなものが何一つない、
聖なるもの、傷のないものとなった栄光の教会を、
ご自分の前に立たせられる、その思いが夫にも来て、
夫は妻を愛し、自分自身のからだのように
大切にしようとするようになるのですね。
イエス・キリストがご自身のからだである教会
(イエスに信頼する者の集合体)を愛し、養い育てられるように、
夫も妻にそのようにしたいと思うようになるのですから。
自分の妻を自分と同じように愛し、大切に思い、
妻もまた、自分の夫を自分のかしらとして敬って。(エペソ:21~33)
イエスを通して来てくださる【聖である霊】と呼ばれる方によって。
今日も。
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