恐れなく、いのちの光である神の御思いに中へと

主は私の光、私の救い。
だれを私は恐れよう。
詩27:1

エスは言う:
わたしに従う者は誰でも、
闇の中を歩き回ることはなく、
命の光を持つでしょう。
ヨハネ8:12
 

 マタイ13:31~35
 エフェソ書6:1~9(通読箇所)
   (ローズンゲン『日々の聖句』2/26;土)

 

   ―――― ☆  ――――


 聖書が啓示している神、
天の神、【主】、
「『わたしはある(I am)』という者」と
名乗られる方(出エジプト3:14)に信頼し、
この方により頼む者は、
人を恐れたり怖がったりしなくなるのですね。

エスに従う者は、行先も分からず、
闇の中を手探りして歩き回るようなことではなく、
いのちの光を持つのですから。

野菜の種の中で一番小さいからし種が、
成長すると、どんな野菜よりも大きくなり、
空の鳥が来てその枝に巣を作るような大きな木になるように、
この方の支配、統治は、
最初は気がつかないほど小さいとしても、
やがて大きく広がっていくのですから。


また、パン種のよう、なのですね。
女の人がパン種を、三サトン(39リットル)の粉に入れると、
やがて、粉全体が膨らんでいくよう、
なのですから。(マタイ13:31~35) 

                            
そのように、イエスを通して来てくださる
【聖である霊】と呼ばれる方によって
私たちの心に置かれる【父である神】の御思いは、
最初は誰も分からないほど小さいのですが、
やがて、広く、大きく広がって全世界に及ぶのですね。

子どもたちは、イエスにある者として、
両親に従う思いに満たされて、「父と母を敬う」ようになり、

父たちは、子どもを怒らせることなく、
主イエスの教育と訓戒で育てるようになって。

仕える人は、キリストに仕えるように恐れおののいて
仕えるべき人に仕え、
ご機嫌取りのようなうわべだけの仕え方ではなく、
キリストのしもべとして心から神のみこころを行い、
人にではなく、主イエスに仕えるように、
喜んで使えるようになるのだそうです。

私たちは、良いことを行えば、それぞれ主イエスから
その報いを受けることを知っているのですから。


主人の立場にある人は、
奴隷に対して、脅すことはしなくなって。
彼らの主、また、自分の主が天におられ、
主は人を差別なさらないことを知って。(エペソ6:1~9)

 私たちも、この神、【主】に信頼し、
自分の理性の善悪の判断という暗闇から、
神の御思いといういのちの光の中へ。

今日も。

 

 

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