今は、御子によって語って下さっているのだそうですね。あの方。
見よ、私はあなたの前に使いを遣わして、あなたを道で守らせ、
私の備えた場所に導かせる。出エジプト23:20
天使たちは皆、奉仕する霊であって、
救いを受け継ぐことになっている人々に仕えるために
遣わされたのではなかったですか。
だから私たちは聞いたことに
いっそう注意を払わねばなりません。ヘブル1:14~2 :1
(ローズンゲン日々の聖句3/7;土)
エジプトでの奴隷の生活から解放されたイスラエルの民。
シナイ山に導かれ、天の神、主の御思いを律法のかたちで示され、
いよいよ、人間は、自分の力、努力で
主と一つ心になっていけるのかどうかという
臨床実験に入って行くのですね。
私たち人間は言います。その気になりさえすれば、本気でそうしようと思いさえすれば、
律法を守ることができる、主と心を一つにしていくことができる。
だから、憐れみは必要ない。身代わりの死による救いなど必要ない、と。
それで、神である主は、御子の死による救いの手続きを実行する前に、
本当に、律法を守ることができるのか、やらせてみる必要があったのでしょうね。
それで、言われます。あなたの前に使いを遣わし、
あなたを道で守らせ、備えた場所、約束の地に導かせるから、
その者に心を留め、御声に聞き従い、
決して背いてはならない(出エジプト23:21)と。
律法は御使いを通して与えられたものと言われていますが(ガラテヤ3:19)、
その者に心を留め、語られたことに、よく注意し、聞き従うようにと勧められているわけなのでしょうね。
けれども、イスラエルの1500年ほどの歴史において、
いよいよ、聞き従おうとしない、心のかたくなな者、
うなじのこわい者であることが明らかになり、
国も、天の神、主の御名を置くと宣言された神殿も破壊するしかない、
人間が自分の力では、律法を守ること、
神である主と心を一つにすることはできない、
背く者であることが明らかになったのですね。
そして、今の時代、天の神、主は、
御子イエス・キリストによって語っておられるのだそうです。
御使いを通して与えられたものが堅く立てられて動くことがなく、
すべての違反と不従順が当然の処罰を受けたのですから、
御子によって語っておられる、その聞いたことに注意を払い、しっかり心に留めるようにと
勧められているのですね。
この救いは、最初主イエスによって語られ、
それを聞いた人たちが、確かなものとして、これを私たちに示し、
そのうえ神も、しるしと不思議とさまざまの力ある業により、
また、御心に従って聖霊が分け与えて下さる賜物によって
あかしされているのだそうですから。
今日も。
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