誰も見ていない、誰も知らない、と思っていたのに

災いあれ、謀(はかりごと)を主に深く隠す者に。
彼らの所業は闇の中にある。
彼らは言う。
「誰が我らのことと見ているか。
誰が我らのことを知っているか。」
イザヤ書29:15

 

すべてのものは光にさらされて、
明らかにされます。
エフェソ書5:13

 マタイ12:1~8
 エズラ記5:1~17(通読箇所)
   (ローズンゲン『日々の聖句』8/30;月)

 

    ―――― ☆  ――—―


 私たちは、人知れず行ったこと、
また、心の中の出来事など、
誰も見ていない、誰も知らないと思っているのですね。
人々からも、また、神からも隠すことができた、と。

 

 しかし、それは暗闇の出来事。
やがて、白日の下にさらされて、
明らかにされるときがくるのだそうです。

 


 モーセの律法には、安息日について、
次のように記されています。
安息日を覚えて、これを聖なるものとせよ。
六日間働いて、あなたのすべての仕事をせよ。
七日目は、あなたの神、【主】の安息である。
あなたはいかなる仕事もしてはならない。
あなたも、あなたの息子や娘も、
それにあなたの男奴隷や女奴隷、家畜、
またあなたの町囲みの中にいる寄留者も。

 

それは【主】が六日間で、
天と地と海、またそれらの中のすべてのものを造り、
七日目には休んだからである。
それゆえ、【主】は安息日を祝福し、
それを聖なるものとした」(出エジプト20:8~11。

 

 神の律法に熱心な人たちは、
この戒めをちゃんと守ろうとして、
どこまでが仕事になり、
どこからが仕事に当たらないかを細かく決め、
それを守ることに熱心でした。

 

それで、パリサイ人たち
(神の律法を守ることに熱心な人たちのグループ)は、

エスの弟子たちが、麦畑を通りながら、
麦の穂を摘んで食べているのを見て、
弟子たちが安息日にしてはならないこと、
穫り入れと脱穀という仕事をして、安息日を破っていると
エスを責めました。

 

エスは「『わたしが喜びとするのは真実の愛。
いけにえではない』とはどういう意味かを知っていたら、
あなたがたは、
とが
のない者たちを不義に定めはしなかったでしょう。
人の子は安息日の主です」と答えらえました。

 

律法の文字面を行うことではなく、そのことばの奥にある
神の御思い、真実の愛を求めるように、と。(マタイ12:1~9より)

 

【父である神】は、イエスを通して来てくださる
【聖である霊】と呼ばれる方によって、
私たちの心にご自身の御思いを置き、
ご自身の御思いが私たちの内にあるようにし、
私たちを用いて、
御思いが実現するようにされるのだそうですから。

 

私たちも、心の思いのすべてを神の御前に差し出し、
私たちの心の隅々までも見ていただき、知っていただき、
全部、光に照らされて、
光の中の出来事としていただきながら。

陰のない今日を。

 

 

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